第10話 賢者殺し
後に『賢者殺し』と呼ばれる少女が生まれたのは、今から百年ほど前の事だった。生まれてすぐに両親に捨てられたその少女は、姉と共に路頭に迷っている所を、今の『イディオン』のボスに拾われた。
ボスは彼女たちに衣食住、そして仕事を与えた。姉はそうでは無かったが、少女は、その仕事がどういった事であるか分かっていなかった。ただ、自分が尊敬するボスのよくやったの一声と、金貨だけが欲しくて、ボスから与えられる任務を黙々とこなしていた。
少女の祝福――『触れた物を爆破する能力』。触れただけで相手を即死させられるこの能力は、与えられた仕事をこなすのに最適な能力だった。『透明化が出来る』姉と一緒に近づいて、対象に触れれば、それだけで相手は死ぬ。初仕事はそうやってこなした。その時の姉の引き攣った顔を、少女はもう忘れてしまった。
彼女が仕事をこなせばこなすほど組織内での立場も、与えられる報酬も増えていった。少女の姉はそむしろ嫌っているぐらいだったが、少女は自分を救い出してくれたその組織のボスの事を慕っていた。
だから、少女は何でもやった。自分のやっている事が間違いだと、一度だって思ったことは無かった。人間は恨むべき対象だから、殺せと言われれば殺す。脅せと言われれば脅す。攫えと言われれば攫う――そうすれば、対価がもらえたから。餌を貰えるからと、芸を覚える犬のように――報酬を得るために、彼女は罪を重ねた。彼女の姉は、その事を憂いていた。罪を重ねるのは自分だけでいいと思っていた。両親に捨てられたあの日から――何があっても妹を守ると、そう自分に誓っていた。
それなのに結局、自分の誓いが果たされることは無かった。自分の妹はすっかりと、血に染まってしまった。自分が手を汚すことをためらっているうちに――自分以上に手を汚して笑っている妹の姿がそこにはあった。
姉は自分の無力さを嘆いた。無知は罪であろうか。知らず知らずのうちに、笑いながら罪を重ねる妹をこれ以上見てられなかった。それでも――これ以上失えない、世界でたった一人しかいない家族なのだ。そこにあるのが目を覆いたくなるような現実だとしても、見るしかないのだ。しっかりと目に焼き付けて、進むしかないのだ。これ以上、失わないためにも。
――正しい心を失ったとしても、確かにそこに存在しているのだから。
その日が来たのは、そこから数十年経った後だった。その日は、かなり大きな抗争があった。組織の存在を快く思わない国側が、軍を使っての掃討作戦を行ったからである。その頃には組織内での地位も高くなっていた少女は、対賢者の戦力として、他数名の人員に加えて、姉と共に投入された。
戦闘は、熾烈を極めた。いくら少女が強いと言っても、相手は国家の全戦力と同等と呼ばれる存在である。少女は苦戦し、被害は甚大だった。そして、その戦いの中で少女の姉が、重傷を負った。命に別状は無かったが、出血が酷く、傍から見れば命すら脅かされる状況に見えたであろう。
自分の姉の瀕死の姿を見た少女は――激高した。相手の攻撃を厭わず、賢者めがけて突っ込んだ。ありったけの魔力を使って障壁を張って、賢者の攻撃を紙一重で防ぎきると、そのままその体を掴んで、自分の能力を発動した。賢者の体は内側から破裂した。
爆発は、その怒りによって増幅されているのか、少女の姉が今までに見た爆発の中で一番大きかった。上がった黒煙は、中々消えなかった。少女の姉は、固唾を飲んでその黒煙が消えるのを待っていた。その時間は、異様に長かった。しかしその姿は、三分と経たずに現れた。
噴煙の向こうから現れたのは、血だらけの少女だった。爆発のダメージが自分にも及んでいたのか、少女の姉が負った傷よりも、はるかに深かった。姉はぎょっとして、慌てて少女に駆け寄って、今にも灰になって崩れそうなその体を支えた。
「お……姉ちゃん。私……やったよ。賢者を殺したんだ……」
「もういいからっ……今手当てしてあげるから、喋っちゃ駄目……」
少女の姉は急いで治癒魔法をかけた。自分の体の痛みなど、すっかり忘れていた。自分の腕の中にある命を取りこぼすまいと、必死だった。
――けれど、少し嬉しくもあった。まだ自分の妹は、汚れきってはいないんだと、ちゃんと洗えば、綺麗になるんだと。そう思えた。他人が傷つくのを見て、ちゃんと怒る事が出来るんだと、妹の手を汚させてしまった自分がずっと許せなかった。今回の行為がまた罪を重ねていることは分かっているけれど、だからこそ、ほんの少しだけ救われた気分になった。
「ね……ねえ、お姉ちゃん……」
「な、何?」
自分の腕の中にいる妹は、震える指で、力なく爆発を起こした方向を指さした。
「あいつさ……私がどっかーんってする前にさ、私の能力に気が付いていたんだろうね。引き攣った顔しててさ……滅茶苦茶面白かったんだよね……お姉ちゃんにも、見せてあげたかったな……」
そう言って、少女は姉に向けて、とびきりの笑顔を見せた。一切の邪念も、邪悪も無い、晴れ晴れした笑顔だった。少女のその笑顔は、少女の姉の中の何かを壊した。
――ああ。ごめんね。エル。お姉ちゃんの所為で。
もう、全てが遅かったのだと、姉はその時悟った。――誰が悪い訳ではない。『組織』が存在するためには、犯罪行為に手を染めるしかない。倫理や道徳に背く事をするしかない。そうしないと生きていけないのだから。この世界で生きるためには――そうするしかないのだから。だからこれは、誰のせいでもない。私の所為なのだ。引っ張り上げるべきだったのだ。この残酷で、どうしようも世界に染まる前に、妹を引っ張り上げるべきだった。何か手段はあったはず、何か方法はあったはず。
でも私は、それを諦めてしまった。辛い現実に立ち向かうより、温い地獄を選んだ。そしてそれに妹を巻き込んで――結果がこれだ。
少女の姉は笑った。何に対して笑ったのかは自分では分からなかった。ただ、見下すような笑い声を上げていた。少女の姉は、既に気絶した自分の手の中の妹に、まるで人形にでも話しかけるかのように、少女の姉は語り始める。
「……そうね。私も、見たかったわ。その顔」
――違う。いくら忌み嫌っている仲だからと言って、命を弄んでいいわけが無い。
「せっかくだし、生きている人間を捕らえて、あなたのおもちゃにしましょうか」
――そんな事をすれば、結局同じ所に落ちるだけじゃないか。
「人間は敵で、私達妖精族はみな同胞だものね」
――違う。結局私たちを捨てた両親は魔族だ。その理由だって、ただ単純に私達が望まれない存在なだけだったからだ。人間すら関係ない。敵かどうかなんて、その状況でしか語れない事じゃないか。
「エル。よくやったわね。賢者の始末。きっとボスも喜んでいるわ」
――やめて。妹の人殺しを肯定する姉が、一体どこにいると言うのだ。こんなことは間違っている。こんな……事は……。
いつの間にか、涙が頬を伝って、歪んだ口の中に入ってきた。疲れ切った体だからであろうか、その涙は、何故だか甘かった。
「……エル。ごめんね。お姉ちゃん、それでもあなたを失いたくないの。嫌われたくないの。あなたがもう戻れない所まで来ていると言うのなら――私も、一緒にそこに……」
少女の姉は、力なく自分の妹を抱きしめた。
――それでもなお、狂えない自分が嫌だった。堕ちてしまえればどれだけ楽だろうか。血に染まりきればどれだけ楽だろうか。温い地獄を選んでおきながら、それでもなお、浅ましく現実に生きようとする自分は――どれだけ醜いのだろうか。
だから少女の姉は、仮面を被せた。自分の心に、仮面を被せた。全てから目を背けて、ただ妹に賛同する。そうすれば、これ以上誰も――自分さえも、傷つけずに済むから。
* * *
エルが息を切らしながら、転生者を捕らえていた筈の檻に続く扉を開けると、目の前にあったのは姉の生首と、部屋の中を訝しげに眺める一人の人間だった。エルは人間の方には目もくれず、一目散に自分の姉の生首の元へ駆け寄って、それを拾った。
「お……姉ちゃん?」
拾いあげた首からは、鮮度を表すかのように、断面から血が滴った。エルはゆっくりと、自分の方へそれを引き寄せて抱きしめた。
「な……んで、一体誰が……こんなこと……どうして!」
大粒の涙を流しながら、エルは吠えた。
「……私には目もくれず、か。まあ、そりゃ当然か」
部屋の中にいたのはマギサだった。石造りの地面と擦れて端の方が若干ボロボロになっているローブと、三角帽子を被っていた。
「あなた誰。あなたがお姉ちゃんを殺したの?」
エルは手元にある自分の姉と目を合わせたまま、そう言った。
「いや? 私じゃないよ。だって理不尽じゃないか、そんなの。でも、君の姉を彫刻みたいにした奴の事なら知ってるけどね。一応、目立つから殺しはなるべく避けろと言ったんだけど、ま、私の言う事なんて聞く筈が無いか」
『知っている』――その言葉を聞いた瞬間、エルの体はぴくりと震えた。
「知ってるって、誰?」
「知ってどうするのさ」
「同じ目に遭わせる」
「それは難しいと思うなぁ。どっちみち、彼は今ここにいない訳だし。それに教える義理も無いしね」
「じゃあ――」
そう言って、エルはマギサに向かって手を伸ばして、マギサの手を強引に掴んだ。マギサは特に抵抗する事も無く、それを受け入れた。
「――死んで?」
そう言葉を続けて、エルは魔力を送り込むように、力を込めた。彼女が能力を発動させるときのきっかけのような物だった。彼女の能力――『触れた物を爆破する能力』が発動した。マギサの体は、着ていたぶかぶかのローブを巻き込んで、ほんのわずかの欠片も残さず、巨大な爆発と共に塵となって消えた。
「絶対に許さない。地獄の果てまで追いつめて、絶対にぶっ壊してやる」
そう言って、エルは自分の姉の頭を、無意識のうちに歪んでしまう程に、怒りを込めて強く抱きしめた。その時だった。――トントン、と、その怒りに震える肩を叩く手があった。
「全く、困るじゃないか。服は再生するのに時間が掛かるんだからさ、あんまり壊さないで欲しいのだけれど」
そこに居たのはマギサだった。確実に爆破させたはずの彼女がどうして生きているのか――ただそれは、エルにとってどうでもいい事だった。もう一度体に触れて、能力を使えばいい。
だから、彼女はもう一度、マギサの声を無視してその腕を掴んだ。いつものように能力を発動させて、マギサの体を先程よりも強く爆破させた。思わず自分でも目を背けてしまうほどの、閃光と爆音が発生した。
確実に能力を使った。普通なら塵一つ残っていない。爆発させた場所は黒煙で良く見えなかったが、見るまでもなく、その向こう側に広がっているのは破壊された壁の景色――であるはずだったが、しかしある一つの違和感が、そうでは無い事をエルに予感させていた。
――爆破させるために腕を掴んだ。それまでは良い。ならどうして、この腕は未だに掴んだままなのであろうか。
答えが出る前に、黒い霧が晴れ始めた。ゆっくりとその姿が見え始めると同時に、わざとらしく咳き込む声が聞こえた。
「ゲホ、ゲホ……あー。やっぱり服がボロボロになっちまった。煙たいからあんまりやらないで欲しいんだけど、それ」
マギサは自分の口元に手をやりながら言った。服は彼女の言った通り、酷い有様であったが、彼女のその下の肌は、傷一つない、瑞々しいとさえ言えるような、綺麗な肌だった。
エルは恐怖心から手を離した。これ以上、掴んでいられなかった。
「な……んで?どうして!?二回も爆破させた筈なのに!」
「うーん、もうちょっと有名人だと思ってたんだけどなぁ、私。流石に魔族にまで広まってないか――ほら、この帽子見た事無い?『魔女』の帽子なんだけど」
と言って、マギサはボロボロになった紫色の三角帽子を脱いで、エルに見せた。
「ま――じょ?って、あの魔女?だって魔女は、魔女狩りで――」
「うん。死んだよ?ほとんどね」
マギサはエルの言葉を遮って言った。随分わざとらしい言い方だった。
「じゃあ何でお前は死んでないんだよ!」
「そりゃあだって」
マギサは笑ったまま、顔をエルの直前まで近づけた。恐れるような表情のエルが、短く悲鳴を上げた。
「私の祝福は――『不老不死』だからね」
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