第5話 邂逅
佐藤とシルワを荷台に乗せた馬車が、馬車の列に並んで街道をゆっくりと進んでいく。御者の位置には巨大な鎧に全身を包んだ男と、顔を隠すようにローブのフードを深く被った少女が座っていた。
馬車の列は、バイズ共和国の北側と南側を繋ぐ関所へと続いていた。佐藤を乗せた馬車も、同じように関所にたどり着いた。革鎧を着たこの国の兵士が、鎧の男に向かって話しかける。
「許可証は持っていますか」
「持ってるぜ、ほらよ」
と言って、鎧の男は紐で留められて、丸くなった白い紙を兵士に向かって放り投げた。兵士は本来大事な物であるはずのそれを放り投げられた事に、一瞬不快感を顕わにしたが、すぐに取り直してその書状を確認する。
「……どういたしまして。……特に問題は無いですね。一応、荷台の中を確認してもいいですか?」
「ああ、良いぜ。連れが二人いるけどな」
「どうも」
兵士は別の兵士に目配せをした。その別の兵士は胸に膨らみと、腰まで届く長い紫色の髪があり、女だった。女兵士が荷台の中を覗くと、佐藤達と目が合った。彼女は佐藤達に軽く会釈をしてから、男兵士の方に戻った。
「特に異常ないです」
「分かった」男兵士は鎧の男の方に向く。「すみません、お待たせしました。お通り下さい」
「ありがとな」
鎧の男は、軽く合図をしてから、再び馬を引く。青い頭身の馬はゆっくりと歩き始める。女兵士は、その後ろ姿を眺め続けていた。
「どうかしたか?」怪訝に思った男兵士が、女兵士に尋ねる。
「ああ、いえ。何でもありません」
女兵士がそう返した。男は少し不可解だと思ったが、ここで仕事が止まるよりはマシだと考えて、それ以上の追求は止め、踵を返す。
「そうか。次に移るぞ」
「分かりました」
女兵士は振り返って、次の馬車へと向かった。
暫くして、馬車は森の中へと入った。はるか後方に見える関所が、地平線の彼方へ沈んで行くのを確認してから、佐藤は荷台の中で大きく息を吐く。
「はー……」
「どうかしたの?」シルワが聞く。
「いや、やっぱり、緊張するなと思って。もしかしたら死ぬんじゃないかって思うと、どうしても心臓が速くなって仕方ないんですよね」
「ま、そうならないために、わざわざ書状をもらったわけだしな。こっちが下手に焦って動かない限り、大丈夫だろ」
アールが、軽い調子で言う。
「それはそうかもしれないですけど……怖いものは怖いですよ。やっぱ」
「そうだな。朝も軽く話したが、ここから先は決して治安がいいわけじゃないから、用心することに越したことはないな。特に魔族……いや、何でもない」
アールは、チラリとフェルムを見る。フェルムは無表情でアールの脇腹を小突く。
「魔族がどうかしたんですか?」
「気にするな」
「そう言われると気になるんですけど……」
「まあ、あれだ。南側から魔族が増えるから、お前の情報とか、レグムでの経緯とか、そういうのは黙っておけって事だ」
「それはわかってますけど、本当ですか?それ」
「ホントってことにしておけ」
「分かりました……。で、シルワさんは、なんでさっきからずっと口塞いでいるんですか?」
「……口塞いでおかないと、余計な事しゃべりそうだから」
一瞬塞いでいる手を外して、シルワは返す。言い終わると、また口を塞ぐ。
「いや、別にそこまで極端にする必要はないですけど……」
結局、あの夜の佐藤の激昂を、シルワが問いただす事は無かった。それが彼女の優しさなのか、はたまた単純に興味を失ったからなのか、佐藤には真意がどちらかは測りかねた。ただ、どちらにせよ、彼女がそうしてくれるのは有難いものだった。彼が昨日の夜に結論付けたように、実際はそうでない事は分かりきっているが、あの激昂も何かの間違いであって欲しかった。
「極端にしたいの!やっぱり、自分のせいで何か起こったら目覚めが悪いもん」
そう言うシルワの口調は一言一言に微妙な間があり、口を滑らせないよう、慎重に考えて喋っていた。その様子が、まるで特定の言葉を言ってはいけないゲームをしている時の子どものようだと佐藤は思い、なんだか可笑しくなって佐藤は笑った。
その時だった。
「ねえ」
声がした。少し歳を取ったと感じる、女の声だった。佐藤には判断が出来ない事だったが、その言葉は公用語だった。
「何でしょうか」
佐藤は返す。
「この男がどういう人間なのか、その秘密を誰か教えなさい」
「ああ、俺は転生者のサトウって言うんです」
佐藤は返す。その質問になるべく正確に、簡潔に。そうすることが正しいと思ったからだった。自分の事情や都合などどうでもいい。その声で質問をされたのなら、その質問には必ず返さないといけない。そう佐藤は感じていた。だからその質問に返したのだ。そして――
「この人はサトウ君。転生者で、今魔族の国?を目指しているんだよ」
「この男の名前はサトウ。正直に言えば、アールを危険な目に遭わせた忌々しい転生者」
二人も佐藤に倣うかのように、口調や言い方は微妙に違えど、全員が全員、同じ内容の答えを返す。
数秒、時計の針が刻まれる。馬車の車輪が地面の凸凹にぶつかる音が響く。風が、四人の間を吹き抜ける――時間が、経過する。
「フェルム!」
そう叫んだのは、アールだった。無表情のフェルムの目が、少しだけ大きくなる。
「やっぱり、その方は転生者なんですね」
先程、佐藤達に尋ねた声とは違う女の声が、彼らの耳に届いた。その声の主は、既に佐藤の背後に回っていた。腰ほどまでの長い紫色の髪を携えた、柔らかい目をした女で、先程、佐藤達と目を合わせた女兵士だった。
「いつの間に――」
「まあ、あなたには後できちんと話をするから、今は休んでていいわよ?」
そのまま、佐藤の頭を女が撫でる。それだけで、佐藤の意識は闇に沈む。
「サトウ君!」
そう叫びながら、放つシルワの拳を、女は佐藤を抱えたまま体を捻って回避する。その拳は、そのまま荷台の壁に命中し、轟音と共に、荷台の半分が吹き飛んだ。
「おっと、危ないわね」
と言って、女はシルワの体に手のひらを向ける。瞬間、何かがシルワの体が吹き飛ばした。残った荷台の半分を破壊して、彼女はそのまま地面に叩きつけられる。
「随分軽いわね。駄目よ、ちゃんと魔力使って踏ん張らなきゃ――あら?」
いつの間にか、女の周りを無数の氷の槍が取り囲んでいた。
「じゃあ今度はあなたが魔力使って精々踏ん張ってみたら?」
フェルムがそう言ってから、手を振り下ろす。氷の槍は一斉に射出され、女の体を四方から貫く――ことは無かった。その氷の刃は、すべて女の目の前で砕けた。まるで、見えない壁に邪魔されたようだった。
「今のはなかなか悪くないわね。ただ、技術はあっても威力はまだまだ。その程度じゃ、お姉さんが設置した障壁を貫くことは叶わないわよ?」
「今の、並大抵の人間の魔法使いなら、もうすでに死んでるはずなんだけどね。おばさん、背中に何か隠していないかな」
「へえ、可愛い顔して、案外鋭いのね」
と言って、女は後ろ髪に手をかけて、勢いよくそれを靡かせる。バラバラになった髪が重力に従って、再び一つの塊へと変化していく。それと同時に女の背から、セミにも似た、透明の――それでいて、どこかうっすらと、プリズムのように、時折虹色に輝く長い羽が生えた。
「やっぱり妖精族か」
「別に、正体を隠すつもりは無かったんだけどね。ま、説明する手間が省けたという事で、良しとさせてもらいましょうか」
ぶるん――と、女の背中の羽が、ゆっくりと、力強く震える。佐藤を小脇に抱えて、女の体は佐藤ごと宙へ浮かぶ。
「逃げる気?」
「ええ、この子を持ち帰ることが目的なの。だから、これ以上の無駄な争いは避けさせて貰うわ」
「正直、そうしてくれた方が私としては楽だけど……」
ちらりと、フェルムはシルワを介抱するアールの方を見た。フェルムはため息を吐く。少しだけ、ほんの少しだけ、その眼には嫉妬の色が見えた。
「生憎、私の騎士は私だけのモノになってくれないんだ。サトウを置いていかないのなら、必ずアンタは死ぬ。これは警告じゃない、予言だ」
「あら、面白い予言ね。ついでに明日の天気でも占ってもらおうかしら。この子を殺した後でね」
そのまま、宙に浮いた女は、さらに羽ばたいて高度を上昇させる。その場を飛び去ろうと、空中で向きを変えた。その時だった。
「かああああええええええせえええええ!」
シルワが叫びながら、空を飛んでいた――否、空に打ち上げられていた。
「ニンポウ――人間大砲……ってところか?」
「ただ投げただけでしょ。それに前々から思ってたけど、ニンポウって何なの」
「カッコイイだろ?はるか東の果ての国に継承される究極奥義だ」
「超ダサい。私が止めろって言ったら止めるの」
「そりゃ止めるが、恨むくらいはするかもな」
「……じゃあいい。勝手にして」
シルワは、投げられたのだ。アールの巨大な手と腕によって、はるか上空の佐藤を持つ女の元へと。すさまじい速度で、上昇する女との距離を一瞬で詰める。シルワは足場のない空中で身を捻り、拳を構える。
「すごい執念ね。でも残念」
シルワが拳を彼女めがけて放とうとしたその時、女の体が蝋燭の火を消したかのように、脇に抱えていた佐藤もまとめて消えた。拳を放つことが出来なくなったシルワは、そのまま重力に従って落下する。
「え……嘘……」
その事に驚きながらも、シルワは空中で身をよじって、体勢を整える。どれだけ目を凝らしても、どれだけ鼻を利かせても、その姿を捉える事は叶わなかった。その体勢を維持したまま、地面に着地する。
「見えないし、匂いも感じない……!一体どこに――」
「大丈夫。そろそろ落ちてくるから」
「え……どういう……」
驚いて振り向くシルワの後ろから、ドサリと、何かが地面とぶつかる音がした。慌てて彼女がその音の方を向いても、やはりそこには何もなかった。
「アール、どこにいる」
「右前方、二時の方向だな」
「わかった」
と言って、フェルムはすぐさま氷の槍を、その方へ向けて射出した。氷の槍はシルワのすぐそばを掠め、空気を切り裂いて進む氷の槍は、暫くして空中で砕けた。
「やってくれるじゃない」
そこから、火をつけたマッチのように、いきなり女が現れた。その姿は消える前と、一つの事柄を覗いて、一切変わりなかった――その女の羽は、凍り付いていた。
「まさか、羽を凍らせてくるなんてね」
「妖精族の羽は、動物と違って、あくまで魔法の力で浮いている。だから、羽ばたくのを鈍らせてもあまり意味は無いけど、完全に止まるくらい凍らせてしまえば、そうはいかない。しかも羽自体には感覚は無いから、先端から凍らせれば、気付かれずに完全に凍り付かせられる」
「一応聞いておきたいのだけど、どうやって凍らせたのかしら?」
「最初にあなたに攻撃を仕掛け時に、砕けた氷の破片をあなたの羽に忍び込ませた。それを増幅させる形で、薄く延ばして凍らせた。障壁と言っても、何もかもを完全に防ぐ壁を張ったら、呼吸もできないからね。小さいものなら通過できると思っていたし、あのレベルの障壁をずっと維持し続けるなんて、私でも無理だってわかるからね。あなたにできるはずがない」
「あらあら、随分舐められたものね。となると、私の祝福についても、検討はついているのかしら?」
「一度見ればね。大方、自分の体に触れているものも含めて、その姿を完全に消す能力ってところでしょ。匂いもせずアールにもバレなかったのは正直驚いたけど、でもまあ所詮その程度。工夫次第でどうとでもなる」
やはりフェルムは、無表情で言う。女は、フェルムに向けて拍手をした。乾いた音が、あたりに響く。うっすらと浮かべていた笑みは、消えなかった。
「お見事、褒めてあげる。若いっていいわね。あなたのその才能、嫉妬しちゃうわ。人間にはもったいないくらい」
「……適当に誉め言葉として受け取っておく。サトウを返す準備はできたのかな」
「いいえ?この子は、死んでも連れ帰るわよ?ボスの退屈しのぎのためにね……。まあでも、私があなた達に勝てないのは、確かもしれないわね。だから、より相応しい者に任せることにするわ」
「誰が出ても、結果は変わらないよ」
「果たしてどうかしらね……?エル!出てらっしゃい!出番よ!」
女が大きめの声で叫ぶ。その直後――フェルム達の背後で爆発が起こった。木々を爆破で消し飛ばし、その余波で焼き払い――立ち上がる黒煙に混じって、一人の女が姿を現す。紫色の髪は短く切りそろえていて、背の低い少女だった。
「呼ばれて爆破でドガガガーン!人呼んで『賢者殺し』!エル様のお通りだ!道を開けろ!道を開けない奴は漏れなく爆破してやるから覚悟しろ!」
血を滾らせ、睨みつけるような眼を向けながら、少女は叫ぶ。
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