第一章・A『賢者会議』
「……そういう訳で、これからこの転生者をうちらの国は保護することになったから、皆よろしくね。ま、イグは仕方ないとしても、あのサボり魔には一応こっちで伝えられるよう、努力はするよ。で、何か質問はある?」
円卓と椅子以外、何も置かれていない、窓すらなく、質素と呼ぶにも無理があるような部屋の中で、マギサが言った。ぐるりと並べられた十数個の椅子に、一つ二つの間を開けて、五人の人間が腰を下ろしていた。
その中の一人が手を挙げた。
「話のは大筋は理解しました。にわかには信じ難いですが、なるほど、書き換えの解読ですか。事実なら確かに国際法を反故にしてまで手に入れる価値はあるのかもしれませんね。ですが、具体的には私たちは何をすればいいので?」
その声は男の声だった。黒い大きなジャケットの様な物を羽織り、その上から黒のマントを被せた格好をしていた。顔も全て黒色の仮面かもしくは兜の様な物体で隠していて、その素肌は一切外気に晒されていなかった。
「その逆だよ。君達には何もしないでほしいのさ。転生者に関しては私が中心になって保護する予定だから、君たちはいつも通り過ごしてくれればいい」
「つまり、我々はその転生者に一切干渉するな……と?そういう事でしょうか」
「そういう事」
マギサはその男に向かって指を指して答えた。
「なるほど、把握しました。しかし一つ疑問なのですが、もし私たちの中の誰かと、件の転生者が対立した場合はどうなるのです?その場合も手を出すなと仰るおつもりなのでしょうか?」
「いや、そんな事は無いさ。君たちの敵になるんだったら、それは好きに相手にすればいい。勿論、殺したって構わない。とは言え、そんな事態にならない事を私は切に願ってはいるけどね」
「おや、それまた、どうしてなのでしょうか?」
男が、円卓の上で組んだ手の指を、一つも動かさずに聞いた。
「決まってるじゃない。君たちの相手をするのは面倒だからさ」
彼女のその口の口角は上がっていたが、目は鋭く仮面を睨んでいた。暫く、その円卓を無言が支配した。
「良くないな」
その沈黙を破ったのは、仮面を被った男とはまた別の、雪原のように顔の白い男だった。釘を刺すような物言いとは裏腹に、柔らかい微笑みを浮かべて、二人のやり取りを眺めていた。
「良くないな。喧嘩は良くないよ。それにマギサさん。そういった言い方もあまりいいものじゃないな。仲良しになれとまでは言わないけど、争いは絶対に避けるべきだ。少なくとも、ここではそうしてもらわないと僕が困る」
男に言われてマギサは、険しい表情をいつもの余裕に溢れた表情に戻す。
「ああ、ごめんごめん。そんなつもりは勿論無いよ。エクスにも悪かったね。謝るよ」
「いえ、お構いなく」
男は片手を軽く上げてそう答えたが、仮面の下の目がどこを見ているのかは、誰も分からなかった。
* * *
「マギサさん。最後に一つだけよろしいでしょうか?」
マギサの背後から、仮面の男が言った。既にそこは先程の様な円卓の部屋ではなく、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ森の中だった。
「別にいいけど、それならさっきの会議中に聞けばよかったじゃない。わざわざ改まってさ。それとも、君と私だけじゃないと言えない様な内容?」
「……ええ、まあ。何処で転生者を保護するのかを聞きたいんです。まさか国の中の何処かで保護するつもりでは無いでしょう?」
「ああ。それに関してはもう決めてる。魔族連合国に連れてって保護するつもりだよ。私の古い友人に、彼の力が役に立つかもしれない奴がいるから、とりあえずはそいつに預けようかと思ってる。魔族連合国は別に国際法を順守する義務は無いから、仮にバレてもレグムで保護するよりは面倒なことにならずに済むだろうしね。んで、聞きたいことはそれだけ?」
男は顎に手を当てて考えるような仕草をした。少しの間を置いて、男が答える。
「……その転生者をそこまで案内するのは、一体どなたでしょうか?まさか賢者であるあなたが、とは行きませんよね?」
「私の知り合いのアールって奴だけど、知ってたっけ?」
「ええ。何度か拝見したことが。個人的な事ですが、彼の製作者には随分お世話になりましてね」
その返答に、マギサは小さくため息を零す。
「……まあ、兎にも角にも、そいつに任せるよ。半ば成り行きだけど」
「確か」
男が探りを入れるわけでも、わざとらしくも無く、平坦な声で言った。
「そのアールには、何でもお付きの女の子がいるとか」
「……君ってロリコンだっけ?その言い方だと、犯罪臭が凄いんだけど」
「いけませんか?」男が、不思議そうな声で言う。
「ダメだろ」マギサが、呆れたように返す。
男が、肩を竦める。
「ふむ……そんなに駄目な事何でしょうか――自分の娘の事を気にかけるのは」
マギサは、勢いよく振り返った。男は、いつの間にかマギサのすぐ傍に立っており、背の低い彼女の肩を、テーブルに手を置くように叩いた。
「は?何の冗談だ?だってあいつは――」
「にわかには信じがたいでしょうが、紛れも無い事実です。まあ、別に嘘を吐いているかどうか試させても構いませんが」
と言って、男は黒い仮面の様な物に手を掛けて、それを外そうとした。マギサが手を前に差し出して、その動きを制止させる。
「……いや、いい。とりあえず信じる事にする。で、結局何が言いたいんだ?」
「マギサさんなら既にお気付きになられているのではありませんか?困るんですよ。あの子があまりこの国から離れすぎると。隣国程度なら特に問題は無いですが、流石に魔族連合国まで遠い場所は、リンクが途切れる可能性があるのでなるべく避けたいのです」
「なるほどねー……。悪いけど、それを決めるのは私じゃないし、正直言って、私はあまりあの子に好かれていないから、説得しても受け入れてくれるかどうか。本人だってその危険性は理解しているんだろうし、大丈夫なんじゃない?一応こっちでも対策しておくけど、どうしようか?」
マギサは腕を組んで、暫く考えてから言った。その動きに呼応するように今度は男が顎に手を当てた。
「ふむ……仕方ありませんね」
暫くその体制のまま制止した男が、沈黙を破った。その声は、何か決意めいたものがあった。
「仕方ないって、何が?」
マギサは、男が何をしようとしているのか、何となく理解していた。彼女は自身の魔力を解放した。背後で、数十匹の鳥が危機から逃げる様に、散り散りに飛び去った。白い髪の間から、凍りついた様な目を覗かせた。
「マギサさんの想像通りですよ。元々彼女は何の関係も無かったはず。これ以上、振り回して欲しくないと思うのは、親として当然です。とは言え、可愛い子には旅をさせよとも言いますからね。安全が保障されている限りは、私も行動を起こす事はありませんよ」
「もし安全が保障されなかったとしたら?」彼女が静かに聞いた。
「その時は、然るべき行動を取らせていただきます。その結果が、あなたとの対立になったとしても」
「私に勝てるとでも?」
男は、首を横に振った。
「いえ、無理でしょうね。同じ賢者と言えど、あなたと私では実力差があり過ぎますし」
「はあ?随分拍子抜けな返答だなぁ。なら何であんな事言ったんだよ?」
「男には、勝てないと分かっていてもやらねばならぬ時があるんですよ。最も、あなたには分からないでしょうがね。勝てないからと言って、戦わない道理にはならないでしょう?」
マギサがそれ以上何も言うことは無かった。男は彼女をしばらく無言で眺め、それ以上の言葉が無いことを確かめると、勢いよく踵を返した。男が羽織ったマントが宙を舞い、それに隠されていた部分が露わになった。彼が着ていた服は、背中の一部が派手に破けていた。
そこから覗いていたのは肌色の人間の背中――ではなく、筋繊維に混じって、むき出しになった人間の背骨だった。
「では、失礼させていただきます」
そこから、筋繊維を突き破って、巨大な蝙蝠の様な羽が飛びだした。一体それがどこに仕舞われていたのか、男の身長よりもはるかに大きい羽だった。その羽が勢いよく羽ばたくと、男の体は宙へ浮かんだ。発生した強い風に靡く帽子を、マギサは手で押さえた。
「面倒なことにならないといいけどなー……」
飛び立った男を真顔で眺めながら、マギサは言った。
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