第24話

「勝つ覚悟――か。勝算があるようには思えんがな」

「そうかい?だがこの剣を見てもまだ同じことが言えるかな?」


佐藤はわざとらしく剣を軽く振ってちらつかせた。


「確かに、その剣は私の攻撃を弾いた。大したものだ」


グラウスは何かを考えていたのか、その返答には少しだけ間があった。


「この剣はマギサさんがくれたもので、特別製なんだ。剣以外にも、まだ機能があるのさ。大体、この脱獄計画を立てたのは彼女なんだ。なら、普通に考えてお前を倒す方法を用意しているだろう?」

「そうか、やはりあいつはお前達の味方か。全く気に食わん女だ」


グラウスは不愉快そうな顔で言った。


「そのとっておきを叩きこんで――俺の勝ちだ」

「まあ、何でも構わんが、一つ忠告しておこう――今回は、殺すとまでは行かなくても、無傷で終わらせる事は出来んぞ。お前が私に刃を向けている以上、その覚悟はしてもらう」


グラウスが言った。その言葉には確かな凄みがあった。しかし――佐藤に怯えなど、一切無かった。


「ああ。分かってる」


それ以上、言葉は無かった。二人の間を、暫くの時間が流れた。



「うおおおおおおおおおおッ!」


何の合図も、機会も無く、突然佐藤は全速力でグラウスに向かって走り出した。やはりこの程度か――と、彼はその動きを眺めていた。佐藤の動きは彼にとって欠伸が出るほど遅かった。


「確かに、その剣には何かがあるんだろうな。私を倒しうる何かが。なら話は早い」


グラウスは手にした剣を一度だけ振った。彼が手にしていた剣はスイングの途中でどんどん伸びていき――佐藤の右腕の肩とその先を綺麗に二つに分けた。柄を握った自分の右腕が宙を舞って後方へ落下するのを佐藤は見た。地面に腕が弾むのと同時に、手に握られていた剣の刀身は一瞬で消滅した。


佐藤の肩口から、凄まじい量の血液が噴出し、床を赤く染め上げた。それと同時に、佐藤に途轍もない激痛が襲い掛かる。人間の防衛機能つうかくが総動員で悲鳴を上げた。


(やば……これ……死)


ここまで痛いのか――佐藤は掠れ行く視界で、そんな事をぼんやりと思った。


ここまで痛いとは、ここまで苦しいとは、ここまでの衝撃だとは――


(ここまで――は、全部想定内だぜ、グラウス!)


佐藤はニヤリと笑った。彼の目は掠れた視界であったが、それでもグラウスを中心に見据えていた。ドン!――と大きな音を鳴らして、佐藤はグラウスに向かってさらに一歩を踏み込んだ。




グラウスは理解が出来なかった。武器を失い、腕を失い、しかし闘志は失うことなく、真っ直ぐに向かってくるこの男を、理解できるはずが無かった。


佐藤は左腕を動かした。彼はその動きを見逃さなかった。


(左腕?隠し持っていた武器……いや)


魔力――彼の左腕から、微かに魔力を感じた。


(転生者は魔法は使えない筈――まさか、あの短期間で?馬鹿な)


グラウスは、佐藤の左手に注視した。どれだけ微弱な魔力であっても、魔法の種類によっては油断できるものではないからだ。どんな種類か?属性か?精神干渉か?――その疑問は尽きない物であったが、何にせよ、どんな魔法が自分に向けられようとも、彼はそれに対処できる自信と実力があった。そう、――


佐藤は、魔力を込めた左手を――


「俺の肉も骨も全部切らせてやる――ただし、勝敗の二文字は俺が切るぜ」


直後――グラウスの腹を、背後から青い刀身の剣が貫いた。その剣が貫いた箇所は、何の因果か、シルワがグラウスに貫かれた位置と全く同じ所だった。



「なっ!?……馬鹿な……何が……」


彼の背後にあったのは、小さな虚無だった。そこからスラリと伸びた青い刀身が、グラウスの腹を背後から貫いていた。青い刀身は、役目を終えるとすぐに消えた。その直後に、彼の口から大きな血の塊が吐き出された。


「ガハッ――くそ……」


態勢を崩したグラウスは、再び構えようとした。


「動くな。少しでも動けば殺す」


と、フェルムがその動きを牽制する。いつの間にか、グラウスの周りを氷の槍が取り囲んでいた。


「ッ……サトウ……お前、何をした!?」

「彼女――フェルムさんの……祝福ですよ。空間と空間を繋ぐ……ゲートを作れるんです。それで俺の落ちた手と……あなたの後ろを繋ぐようにあらかじめ……頼んだんです。後は……少し前に練習した通り……手から手に魔力を送って……剣を反応させたんです」


苦痛に言葉を途切らせながら、佐藤が言った。


「な……に?まさか、全部初めから狙っていたのか!?」


傷口を抑え、狼狽えながらグラウスが言った。ここまで動揺した自分自身の声を聴くのは彼にとって初めてだった。


「狙って……ましたよ。俺なんて……あなたにとって何でもない……だから……この剣の存在をちらつかせれば……間違いなく腕を切り落とすだろうと。あなたの力は、いささか強すぎますからね……」

「違うッ!そうじゃない……お前は、お前は腕を治す算段があったのか!?」


グラウスが何かに縋るように叫んだ。佐藤は、激痛で上がりきらない口角で薄く笑った。


「ある訳無いじゃないですか……そんなの……そんなご都合主義なんて」


佐藤が言った。つまり彼は――右腕を餌にして、グラウスを釣ったのだ。彼に一撃を浴びせるためだけに、自分の右腕を喜んで差し出した。


グラウスは、自身から血の気が引いていくのを感じた。体の中が空っぽになるようであった。


「(ありえん……斬られるのではなく、自ら斬られに行っただと……?そんな事が出来るのか?なんだ……この男は。何なんだ……)」

「まあ……こんなに痛いとは……思っていませんでしたけどね……はは」


よろめきながら佐藤が冗談めいて言った。相変わらず肩口からの出血は止まる気配を見せていなかった。


「……何故そこまで出来る。あのシルワとか言う女のためだろう……何故そこまでして約束を守ろうとする?」

「……俺の都合のいい勘違いかもしれないですけど、シルワさん、俺に生きてて嬉しいって、言ってくれたんですよ。あれだけ目を真っ赤にして、泣きはらして。『生きてくれて良かった』って……」


佐藤は下を向いて、何かを思い出したように笑った。


「そんなの……そんなの、答えなきゃダメでしょう?……右腕無くなったのは滅茶苦茶怒られそうですけどね……まあ、死ななきゃ安いってことで許してくないですかね……はは」


と――佐藤は嬉しそうに笑う。それを楽しみにしてる様でもあった。それを無言で聞いていたグラウスは、肩の力を抜くように息を吐いた。続けてフェルムの方に顔を向け、


「……フェルムと言ったな。彼の治療をしてやれ」と言った。

「あなたが何もしない保証は無いけど」

「絶対何かをするという保証も無いだろう?……降参する。私の負けだ。それに、早く治療をしてやらねば彼は本当に死んでしまうぞ」

「……分かった。でも動かないでね」


数秒考えてから、フェルムが言った。言った後に、佐藤の方に近づいた。


「治療するから、座って。飛んでった右腕はどうしようか」

「……フェルムさんの魔法で氷漬けにでもしておいて下さい。右腕の包帯は肩の治療に使っていただければ」


わかった、と返事をして、彼女は作業に取り掛かった。地面に落ちた佐藤の右腕から包帯を解いて、それを肩の方に回した。


「すいません、ちょっとグロいかもしれないですけど」

「別にいいよ」


そう言う彼女の手捌きは非常に鮮やかのもので、すぐに彼の肩口は包帯に塞がれた。


「お上手ですね」

「……昔ちょっとね」


それだけ言って、彼女はグラウスの方へ向いた。


「で、降参するって本気なの。あなた確か王様直属の兵士だったような気がするけど」

「……別に、今回の事は突発的な事で、そもそも王からの命令を私は受けていない。と言うか、正直誰もその男が脱獄するとは思っていなくてな」


その言葉を聞いたフェルムは、訝しげに顔を傾けた。


「どういう事か教えて」

「いや……実はその男の処遇について話し合う場が設けられてな。内容は伏せるが、この男の生み出す価値について検討している段階だったんだ。だから脱獄を仕掛けるにしてもそれが終わってからだろうと」


そう。とだけ言ってから、フェルムは再び考え込んだ。彼女の昏い瞳が、夜の沈黙と混ざりかけた――その時だった。


「サトウ君?」


声が響いた。そこは巨大な穴が開いていて、音が響くはずもないのだが――その声は、何故かこの場にいる全ての者の頭の中でしばらく反芻した。その声は、不気味なほど無機質なシルワの声だった。その声に釣られて、全員が顔を向けた。


そこに居たのは、黒い獣だった。

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