第20話
――時間は少し前に遡る。
レグム王国の中枢を担う城、カストルム城。この国の北部に聳える、山の様に巨大な城で、もはやそれだけで小国としての機能が務まる程である。その地下牢に、佐藤とグラウスはいた。
「ここだ、入れ」
グラウスが佐藤を促すように言った。佐藤の目の前には石の壁に囲まれた無機質な鉄の柵が聳え立っていて、奥には壁に掛けられているかのようなベッドだけがあった。促されるまま、佐藤は牢の中に入った。鉄格子の鍵が閉まると、佐藤の腕に填められていた虹色の手錠は音もなく消えた。
「俺はこれからどうなるんです?」
佐藤が聞いた。
「それを教える義務は無い」
グラウスがきっぱりと言った。佐藤は「そうですか」と返した。
「食事は別の者が持ってくるから好きにすると良い。明日か明後日には、迎えが来るだろう」
それだけ言って、グラウスがその場を後にした。足音が聞こえなくなると、佐藤はベッドに腰を下ろして、口を手で押さえた。
「やっべー、超怖かった……。そのまま殺されてた可能性もあったよな……」
そう呟いてから、佐藤は頭を抱えた。佐藤の足は貧乏揺すりの様に無意識のうちに震えていた。
(……とりあえず、賭けには勝った。あいつらは俺をすぐに殺すつもりではないらしい。だとすれば、やっぱり奴らの目的は多分、俺の能力――正確には、転生者が持つ能力を利用する事)
佐藤は火を操る女との戦いの最中の会話を思い出す。
『これも聞いた話なんだけどさー、転生者って強い能力を持ってるって聞いたんだよねー』
(転生者の能力を利用できるなら利用して、使えない能力なら国際法に従って処刑って所か?だとするなら恐らく、今後俺の能力について問いただす場が設けられるはず。ひとまずは、そこが勝負だ。俺のこの能力が、国際法を無視してまで利用したくなるほど、価値があるものだと思わせるしかない)
佐藤は未だ震える足を軽く叩いて、自分を鼓舞した。大丈夫だ――と、恐怖に押しつぶされて、折れてしまいそうな自分の足を支えた。勇気とはまた違った形ではあるが、彼女と交わした約束の事を思えば、何でもできるような気がした。
「おい、食事だ」
しばらく経つと、唐突に佐藤の耳に声が響いた。彼がそちらの方を向くと、鉄格子の前に鎧を着た男が、コップとパンが乗ったトレーを持って立っていた。この国に入る前の入国審査の際にいた兵士と似たような恰好であったが、声が違っていた。
「……ありがとうございます」
佐藤は一応のお礼を言って、兵士が持つトレーを受け取った。
「明日の朝、お前の処遇を決めるための会議が行われる。心しておくことだな」
兵士はそれだけ言って、佐藤の返答を待たずにその場を去った。佐藤はそれを見届けてから、またベッドに腰かけてトレーの上をパンを一齧りした。パンは想像以上に硬く、佐藤は引きちぎるようにして一口目を食べた。口の中の水分が根こそぎ奪われるような感覚と共に、一つの違和感を、佐藤の口内は訴えかけた。違和感と言うより、異物感だった。佐藤は反射的にそれを手に吐き出す。
「……紙?」
佐藤の手にあったのは一枚の折られた紙だった。佐藤は中を開けた。紙には日本語で文字が書かれていた。
『これが読めたのなら、この紙を破け』
「マギサさん……なのか?よく分からないけど……」
この手紙の主の意図は分からなかったが、しかしわざわざこれを送ったという事は、その主は少なくとも自分の味方だろうと佐藤は判断し、指示通りにその紙を破いた。床に落ちた紙片は、地面に染み渡るように石の床に飲み込まれた。
「……何だこれ。まあいいや。とりあえず寝よう。寝ないと何も始まらない」
自分を納得させるように呟いてから、佐藤は硬いベッドの上で横になって瞼を閉じた。しかし当然と言えば当然なのだが、なかなか落ち着くことは出来ず、結局彼が寝たのは太陽が闇夜にうっすらと見え始めた頃だった。
兵士が牢に佐藤を迎える前には、佐藤は目覚めていた。睡眠時間は相当短かったように思うが、頭や体は意外なほどすっきりしていた。危機的状況の中、体が睡眠時間が短くて済むように配慮しているとさえ思えた。しかし、彼の気分は変わらず重たいままだった。
「……まあ、夢じゃないよな」
雨の日の部屋の中の様な現実感が、佐藤が目覚めた瞬間、彼の両肩にのしかかった。寝て起きたら元の世界だったという展開を、少しも期待していなかったわけではないが、しかしそれではあまりにも都合が良すぎるだろう。佐藤はゆっくりと体を起こしてベッドに腰かけた。体や頭の調子が良くても、起き上がるのにはかなりの労力を要した。いつもの癖で、佐藤は自分の腕時計を探した。しかし、彼が愛用していた腕時計はマギサの家に置き忘れたことを思い出し、佐藤は肩を落とした。
「あれ結構高かったんだぞ……クソ、後で絶対取り戻す」
少しでも気を紛らわそうと、佐藤は半ば強がって言った。ただ、強がって言った所で気が紛れる事は無かった。
「おい転生者、いるか?」
昨日と同じ声が再び唐突に響いた。鉄格子の前に兵士の男がすでに立っていた。
「いますよ」
「そうか、出ろ。時間だ。場所を移すぞ」
そう言うと、兵士は手枷を佐藤に着けた。兵士は佐藤の先頭を歩き、目的の場所へ彼を連れ出した。佐藤は特に逆らうことも無く、大人しくそれに付いて行った。
「……なあ、一つ聞きたいんだが」
その道中、兵士が唐突に口を開いた。既に地下牢は抜け、佐藤達は暫く不必要なほど豪華で巨大な廊下を歩いていた。廊下には似たような扉がいくつも立ち並び、先が闇に掠れて見えない程だった。その声は、先程までの兵士としての厳しい口調から一転した、一人の人間としての物だった。
「随分冷静だが、これから何が行われる分かっているのか?」
「……まあ、大体の予想は」
「……ならどうしてそこまで冷静に居られるんだ?普通もっと喚くものじゃないのか?」
佐藤は少しだけ黙って考えた。
「もしかして、喚いてくれた方が楽でしたか?」
「……まあな、そこまで動じていないと、何を考えてるのか分かったもんじゃない」
その言葉を聞いて、目の前の男が自分を買いかぶり過ぎていた事に、佐藤は苦笑した。
「いや――別に冷静に振る舞おうとしているだけで、実際の所は滅茶苦茶怖いですよ。この後の議論に全く勝算が無いかと言われれば別ですけど、それでもやっぱり死ぬかもしれないのは怖いですね」
「……そういうものか」
「そういうものです」と佐藤が返す。唐突に何かに気が付いたように、佐藤は男の方を向いた。
「っていうか、こんな話をして大丈夫なんです?一応あなたと俺って、敵同士になる訳じゃないですか」
「お前が何も言わなければな。言っておくが、別に俺はお前に同情した訳ではないぞ?死ぬのも生きるのも勝手にすればいい。ただ、うちの国は三百年前の世界大戦に不参加な分、転生者を極端に恨む気持ちがあまり理解できなくてな」
「そうなんですか?」
「ああ。そもそも三百年前の戦争は、人と魔族との戦争と言われているが、別に人類全てが参戦したわけではない。不参加を貫いた国もいくつかある。勿論、数としてはずっと少ないがな――っと、着いたぞ。ここだ」
兵士がほかの扉よりも少し大きな両扉の前で止まった。兵士が振り返って佐藤の方を向いた。
「一応聞くが、準備はいいな?」
「ええ、いつでも」
わかった。と言って、兵士は扉の横に吊り下げてあるベルの中から出ている紐を揺らした。ちりん――と辺りに子気味良い音が響いた。佐藤を祝うようにも呪うようにも聞こえるその音は、佐藤の気を引き締めさせた。
「転生者をお呼びしました。今から入室します」
兵士は大きめの声で言った。中から返答は無かったが、暫く待ってから兵士は勢いよくその扉を開けた。
広い部屋だった。これまでの豪華な廊下や装飾から一転、木が中心の非常にシンプルな部屋だった。一見した佐藤は、そこが法廷によく似ていると思った。佐藤を囲うようにして、少し高めの位置にある椅子には、数人の人間がまばらに座っていた。中にはグラウスの姿もあった。一瞬、佐藤とグラウスは目があったが、どちらもすぐに目線を外して、それ以上何もすることは無かった。
「そこに立て、転生者」
兵士が強い口調で言った。言われるがまま、佐藤は指定された場所に立った。正面には、質素な椅子の中で唯一豪華な装飾を施されていた椅子に、大きな白髭を携えた老人が座っていた。顔に深く刻み込まれた皺や、所々に出来たシミとは裏腹に、体の線は太く、纏っている雰囲気はかなりの物であった。
「ではこれより、審議を始めよう。審議はこの国の王、レクス=セパラシオが引き受ける。転生者よ、一歩前へ」
老人が言った。少し嗄れて、喋りは決して速い物では無かったが、強く響く貫禄のある声だった。
「(思わぬ大物の登場だな……。それなりに立場がある人間がやるだろうとは思っていたけど、まさか王直々とは……)」
しかし、それでも。やると決めたからにはやるしかないのである。相手が王であれ神であれ、佐藤に選択肢など残っていない。佐藤は一つ、深呼吸をした。ゆっくりと目を瞑り、力を抜いてまたゆっくりと目を開け、老人を真っ直ぐ見た。足の震えや緊張は次第に消えた。
「はい」
佐藤がはっきりと言った。そのまま彼は足跡かの如く地面を踏みしめて、次の一歩を踏み出した。
佐藤はあの夜の事を思い出しながら、再び自身の決意を新たに、そして確かめる。
――決めただろう?佐藤龍一。指を交えた約束は、必ず守ると。
母を殺した、あの日から。
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