第19話

「なん……で?」


彼女の下腹部に刺さった剣はすぐに消えた。まるで型抜きされた生地の様に、向こう側の景色がはっきりと見えるほど綺麗に、彼女の腹にはひし形の穴が開いていた。


「ああ――言っていなかったな。私の剣は、空中に自由に配置でき、自由に操作できるのだよ」

「くっ……」


彼女の穴から溢れる様にして流れる血を見て、佐藤はふと我に返った。。非日常から別の非日常へとスイッチが切り替わった時に、自分でも不思議なほど頭の中は冷静になった。が、実際にそういう現場に遭遇して冷静でいられるかと問われれば、彼は否と答えざるを得ないだろう。


「シルワさ――


どうすればいいかは分かっていた。佐藤の頭はすぐに答えを出し、その名を叫ぼうとした。しかし、その名を言い切る前に、シルワは手を出してそれを静止させた。


「……だいじょうぶ。サトウ君は……私が守るから」

「でもっ……!」


それが強がりである事は、佐藤にもすぐに分かった。しかし、だからと言って、目の前で痛みに耐えながら、それでも自分の為に立ち上がろうとしている人を否定することは出来なかった。ただ見ているだけは筆舌に尽くし難いものであったが、それしか彼には出来なかった。


「それを決めるのはお前ではない。底はもう見えた。お前じゃ私には勝てない。やるだけ無駄だ」


男が言った。もうすでに興味の大半を失った声だった。


「うる……さい!」


シルワが腕を振り上げた。それと呼応するように、床を突き破って木の根に似た蔓が勢いよく飛び出した。続けて、シルワは手を振り下ろし、男の全身を締めあげた。ギチギチと、歪な音が男の体から鳴ったが、男の表情は変わらなかった。


「あああああッ!!」


自分を鼓舞するように叫んで、シルワは目の前の涼しい顔をした男に飛び掛かった。動けない男の体に連打を叩きこんだ。

変化が起きたのは、十二撃目の時だった。その十二発目の拳を、男が鷲掴みにした。男を縛っていた筈の蔓は、いつの間にか綺麗に切断されていた。


「なっ……!?」

「別にそのままでもよかったんだがな。この程度の蔓、切れぬわけが無かろう?」


そのまま男が、シルワのがら空きの体を蹴り飛ばす。彼女の体はくの字で射出され、石で出来た壁を完全に破壊し、勢いを失うことなく地面と体を擦り合わせ、丸太の様に暫く転がった所で彼女の体は止まった。


「……」


過呼吸の様な掠れた声を零しながら、シルワは体を起こした。足は動かず、立つことは出来なかったが、それでも戦う意思を失うことは無く、座りながらも目の前の男を強く睨んだ。男は気にすることなく、片手を上にあげた。


「終わりだ」


男の低い声が、静かな夜に染み渡った。

いつの間にか、数百の淡く虹色に光る剣が切っ先を彼女に向けて宙に静止していた。


「……」


数百の剣が、一斉に彼女へ向かって発射された。

シルワは、ぎゅっと目を閉じて、自分の体が剣によって貫かれるのに備えた。



……そのまま、目をどれだけ閉じても、自分の体が数百の剣によって貫かれる感覚は無かった。シルワはぼんやりと目を開けた。

剣は空中で静止していた。しかし、彼女にはその剣は見えていなかった。彼女の目には、自分の前に立ちはだかる佐藤の少し頼りない背中が映っていた。


「もう……いいだろっ……!もう……!」


佐藤が言った。悲愴と覚悟が混じったような声だった。シルワに向けられた数百の剣は、佐藤の目の前ですべて止まっていた。


「もういいとは?」

「……決着はついた。これ以上彼女に手を出すな……!」

「それを決めるのは私だが……提案次第では考えてやらんことも無いな」


その男の言葉は佐藤が何を言うのか分かっているようだった。


「……目的は俺なんだろ?さっさと連れてけばいい。ただし、この人に手は出すな」

「ふむ、良いだろう。と言うより元々その予定だったのだがな。まあお前らには関係のない話か」


男が言った後に、佐藤の目の前で静止していた無数の剣は一挙に姿を消した。

佐藤が男に向かって一歩を踏み出した時だった。彼の服の端を、シルワが力なく引っ張った。


「だ……め……いっちゃ……」


柔らかく笑って、佐藤は振り返った。


「どこにも行きませんよ。ちょっとそこら辺まで出かけてくるだけです」

「でも……行ったら……サトウ……君、殺され……ちゃう」


佐藤は少しだけ驚いた様な顔をしてから、また柔らかく笑った。


「……シルワさん、小指を出してください」

「小……指?」


佐藤に言われるがまま、シルワは小指を佐藤に向かって差し出した。佐藤も自分の小指を立てて、シルワの小指を引っ掛けて自分の方に寄せた。


「これ……は?」

「『指切り』って言って、俺の世界で何かを約束する時にやるんです。もしこの約束を破ったら、針を千本も飲まされるんですよ」


わざとらしく戯けた調子で佐藤が言った。シルワはそれを聞いて吹き出す様に小さく笑った。


「ふふ……何それ、そんな事したら死んじゃうじゃん」


佐藤は笑っていた顔を、真剣な物に変えた。


「シルワさん――約束します。俺は必ず、あなたの元へ生きて帰ってきます。あの時、俺の事を本気で心配してくれてとても嬉しかったです。あなたが俺に生きていて欲しいと、勝手に居なくならないで欲しいと願うなら――俺は絶対に、その思いを無駄にはしません」


佐藤の決意の目を、シルワは見た。とても強く、そして何処か悲しげな目だった。


「……わかった。でも、約束だよ?帰ってこなかったら、許さないから。針千本の飲ませに行くから」

「はは――手厳しいですね。分かりました、その時はお願いします」


佐藤はシルワと結んでいた指を外して立ち上がり、再び、男に向かって歩き始めた。シルワは何も言わず、悔しさに肩を震わせてそれを見ていた。


「もういいのか?」


佐藤が男の前で立ち止まると、男が言った。


「はい――すみません。わざわざ待ってもらって」

「別に。お前を捕まえられるのなら、わざわざ手段は問わんよ」


男が佐藤の手に触れると、男が操っていた剣と同じ色の手枷が佐藤の手に発生した。


「しばらくすれば迎えを寄越す。お前にはそれに乗って城まで行ってもらおう」

「……そうですか。ところで、一ついいですか?」

「何だ?」


佐藤は深く息を吸って、男を強く睨んだ。闇夜に彼の眼だけが光って浮かぶようだった。


「お前、彼女を傷つけた事忘れるなよ」


佐藤のその言葉に、男は驚いたように少しだけ目を見開いて、鼻で笑った。嘲笑か、それとも純粋なのかは、佐藤には分からなかった。


「フッ……いいだろう。覚えておこう」



*   *   *



グラウスは城の一室の扉を開けた。既に佐藤は牢に入れた後だった。


「お疲れちゃん。どうだった?例の転生者は」


マギサが机の上で何かを書いたまま言った。

そこは書斎のような場所だった。多くの本が壁の棚に並べられていたが、多すぎると言うほどではなく、彼女の研究室と違ってそこは綺麗だった。


「別に、大したことは無かった。楽な仕事だったな」

「だったら私の家を盛大に破壊するのはやめてほしいんだけど」

「知らん。なら自分でやればよかっただろ」

「それは後々困ることになるからね、だからわざわざ頭下げて君にやってもらったんだし」

「何が困るんだ?」

「それは教えられないなあ」

「チッ」


グラウスはマギサに聞こえる様に大きく舌打ちをした。マギサは特に気にする事もなく、作業を続けた。


「ところで、報告に上がっていた黒い獣とやらは見なかったんだが。一応、シルワとかいう女がいたが、何も知らない様子だったし、変身する事も無かったぞ」

「ふーん、そうなんだ。ちなみにだけど、転生者には一切攻撃しなかったんだよね?」

「……ああ。お前がそう頼んだからな」

「なるほどねぇ。大体読めて来たかな」

「何がだ」

「黒い獣の正体――まあ、別に原理が分かったって訳じゃないけど、発動条件はおおよその予想は付いたかな」

「発動条件とは?」

「教えなーい」

「……勝手にしろ。ただし、今度から私に依頼をするときは王を通してからにしてくれ」


苛立つグラウスは、これ以上の会話の必要性は無いと判断し、部屋を後にしようとした。扉を開けて、まさに今出ようとするその時だった。


「ただえさえ今は姫様が誘拐されてやんごとなき事態なのに――って感じかな?」


マギサが言った。グラウスの足は一瞬で止まり、勢いよくマギサに振り返った。


「お前……!」

「あれ?知らないと思った?情けないねえ、人質に取られて、面白い様に金巻き上げられてるじゃん」


作業を中断して、グラウスを煽る様な顔で言った。


「……お前も賢者なら、少しは協力したらどうだ?」

「えー?やだよめんどくさい。別に賢者は国と仲良くしましょうねってお願いされてるだけで、本当に仲良くする義務は無いしー。君と違ってこっちはフリーだからね。忠誠心も愛国心もある訳ないじゃん」

「ならもうこれ以上余計な頼みも行動も起こすな」

「はいはい。分かりましたよ。これ以上余計な事はしません」


グラウスは少し強めに扉を閉めた。大きな音が鳴って、少しだけマギサの髪が発生した風によって揺れた。


「ま、姫様に関しては、私も当事者だからね」


魔女の格好をした白髪の女は、怪しく笑った。

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