第18話

日が落ちていることに佐藤が気が付いたのは、部屋の壁に掛けられていたランタンが独りでに灯って、彼の顔を照らした時だった。ベッドに腰かけて、マギサに言われた通りに魔法の訓練に集中していた彼は、顔を上げて独りでに灯ったランタンをまじまじと見た。そのランタンは壁に取り付けられているだけで、そこにあるであろう何らかの仕掛けを、やはり彼が暴くことは出来なかった。解析を諦めた佐藤は、徐に立ち上がって窓の外を見た。彼がいた部屋は二階で、窓には夜の静かな往来が広く映し出されていた。道に沿って並ぶ家の窓からは光が零れていて、佐藤はそれに少しだけ安心感を覚えた。


一つ伸びをしてから、佐藤は一階のキッチンに向かった。軽い案内は受けていたので、迷うことは無かった。マギサの家は往来に建てられている物とさほど変わらない大きさで、不必要に豪華でも、必要以上に質素でもなく、往来の景色の一部として完璧に溶け込んでいた。


キッチンは彼女なりのこだわりなのか他の部屋より少しだけ広く、佐藤からすると化石とも言える大きな石窯や竈が目についた。石窯の扉を少しだけ開けて、中を覗くと、それまでは一切感じなかった熱気が佐藤の顔を襲った。佐藤は慌てて顔を外して扉を閉めた。その後に、石窯の扉の表面を一瞬だけ触って熱さが来ないか確かめる。熱さが来ない事を確認してから、段々と触る時間を伸ばす。結局、いくら伸ばしたところで熱さが来ることは無かった。


「ハイテクなのかローテクなのか分からんなぁ……」


佐藤は呟いて少しだけ悩んだ。マギサが帰ってくるまで待つか、今の空腹を満たすべきか否かを考えた。いくら好きに使っていいと言われたところで本当に好きに使っていいかどうかは別の話ではあったが、すでに部屋に四日間も寝泊まりさせてもらい、更に怪我の治療までしてもらっておきながら、今更食事程度で遠慮するのもおかしな話だと判断し、佐藤は(もちろん常識の範囲内で)彼女のキッチンを自由に使う事にした。


キッチンの廊下に通じる扉とは別の方にある扉を佐藤は開けた。低温に保たれた小さな部屋に、佐藤にも見覚えがある食材が棚や箱の中に詰め込まれ、所狭しと並んでいた。佐藤はその中から、元の世界でも見た事があるような、いくつかの食材を選んで取り出した。ジャガイモと人参らしきものを一部だけ切り取って、火を通して確かめてみる。やはりと言えばやはりであるが、人参とジャガイモの味がした。


佐藤は竈の火の強さがいまいちわからなかったので、シチューを作ることにし、残りの食材を適当に切って、少し大きめの鍋の中に入れた。具材を鍋に入れてから炒め、水を入れてスパイスとして使えそうなものを何となく入れてシチューを作った。とは言っても、彼の自炊経験は長く、料理に関してはある程度自身があったが、かと言って詳しいわけではないため、シチューと言えるのかどうかはかなり不安だった。それでも佐藤は味に納得したかのように鍋を火から外した。出た生ごみの後片付けをしてから、失礼だとは思いつつもマギサの部屋のドア一つ一つ開けて、恐る恐るシルワを起こしに行った。


二階の佐藤が使っている部屋のすぐ近くの部屋を佐藤はゆっくりと開けた。同じように部屋の中は壁に掛けられていたランタンで照らされていて、ベッドの上では彼女が寝ていた。佐藤には随分深い眠りのように感じたが、肩を軽く叩いただけでシルワはすぐに目を覚ました。佐藤が食事の用意が出来たことを伝えると、彼女は嬉しそうにそれに答えた。しかし流石に四日も寝ていなかった事はかなりの負担だったようで、彼女は目をしきりに擦りながら階段を下りていた。



シルワの目が完全に覚めたのは、佐藤の作ったシチューもどきを食べたときだった。口に運んだ瞬間に、彼女の半開きだった目は、その味に驚いたように勢いよく開いた。


「……むー」


シルワは、口をとがらせて不満の声を漏らした。それを見た佐藤は何か間違えたかなと、ソワソワしながら次の言葉を待った。


「……私のより美味しい」


悔しいような、諦めたような顔を見せたシルワに、佐藤は当たり前だ!と言葉が喉から出かかったが、それを強引に飲み込んだ。彼にとってはむしろ、彼女にちゃんとした味覚があるのが予想外だった。


「そ、そうですか……ありがとうございます」


中途半端な作り笑いをしながら、佐藤が返した。


「……サトウ君」


ぴしりと、空気が凍り付いて張り付くのをはっきりと佐藤は感じた。唇を噛んで強引に笑顔を作ったが、貼り付けた笑顔の下には大量の汗が流れていた。


「な、なんでしょう?」

「前に私の料理をおいしいって言ってくれたけど、それほんと?」

「えっと、もちろ――

「ほ、ん、と、う、に?」


一文字一文字を区切って、シルワは強く言った。佐藤は命令された奴隷の様に、その言葉に捕らえられた。観念して正直に話す以外の選択肢など無いように思えた。


「……あー、えっと、その……正直に言うと……美味しくは無いですね、はい」


下を向いたまま指を合わせて、彼女の顔を見ず、抑揚をつけずに佐藤は言った。彼女の顔を見れるはずも無かった。


「……」

「……」


暫くの間、二人の間を沈黙が通り抜けた――少なくとも、佐藤はそう思っていた。

何かを言おう。言わなければ。佐藤がそう思って顔を上げた時だった。


佐藤の懐にシルワが飛びつき、そのまま椅子に座っていた佐藤を椅子ごと押し倒した。

椅子が地面と衝突して、派手な音が鳴る直前――シルワのすぐ後ろで、巨大な光の柱が走り抜けた。


光の柱は家の壁や家具を巻き込んで、そのまま柱が触れた部分は消しゴムで消したかのように綺麗に消失した。支えを失ったテーブルや家具が崩れ落ち、大きな穴の開いた壁からは夜の涼しい風が流れていた。


「間一髪……かな」

「な……何が……」


全身に軽い衝撃が走り、状況が理解できない佐藤の耳に低い声が響く。


「ほう。一応、腕一本程度で済むように調節はしていたんだがな。思ったよりカンが良いらしい」


声の主は、三十代くらいの男だった。体格のいい屈強な男で、手には淡く虹色に光る剣が握られていた。


「報告とは様子が違うが……まあ、いいか」


男は手に握られていた剣を消失させた。開いた手を使って佐藤に指を指した。


「捕らえに来たぞ、転生者。おとなしくしていれば痛い目に遭うこともなかろう」

「――させない」


男と佐藤の間に、シルワが手を広げて立ち上がった。男はその声に眉間のしわを深めた。


「んん?ああ、そうか。お前がイグを殺しかけた公用語で話すとかいう女か。報告では変身すると言っていたが、それが変身前と言うわけだ」


男が公用語で言った。シルワはその質問の意図が全く理解できていなかった。


「――変身?何のこと?それに殺しかけたって……」

「何だ、違うのか。知った話ではないが――悪いことは言わん。その転生者に関わるのはやめておけ」

「断る」

「まあ、だろうな。そうでなければ私の前に立つ訳がない」


シルワは姿勢を低くして構えた。男はまるで見下す様に棒立ちのまま、静かに腕を下ろした。


「大丈夫。サトウ君は私がちゃんと守るから」


佐藤の方をチラリと見て、彼女は小さく笑った。彼はどういう表情を取るべきか分からず、顔を強張らせたまま無言でそれを眺めた。

空気が張り詰めたまま、暫くの時間が流れた後、シルワが息を吐き、男に向かって飛び掛かり拳を突き出した。殺すつもりとまではいかないまでも、一撃で沈めるつもりでシルワは拳を打ち出した――が、男は指先一つでそれを受け止めた。


「なっ……」

「ふむ。悪くない」


男が感心したように言った。まるで弟子と手合わせをしている師匠のようであった。


「このっ……!」


シルワは空中で身をよじって、男の顳顬に向かって蹴りを繰り出した。しかし、男は逆にそれを片手で掴んだ。男の手はまるで万力の様で、シルワの体は空中に固定された。


「相手が私でなければな」


そのまま掴んでいた手を、男は振り下ろした。凄まじい速度でシルワは地面に叩きつけられた。加速した彼女の勢いを床が受け止めることは出来ず、そのまま木製の床は気持ちのいい音と共に破壊された。辺りには砂埃が舞い、飛来した木片が佐藤の顔を何度か叩いたが、彼の目が覚めることは無かった。


砂埃の中からシルワが飛びだした。頭から血を流しながらも、目はしっかりと男を見据えていた。そのまま男めがけて拳を振りかぶる。ダメージはあったのだろうが、それでも彼女の動きは先程よりも一段と速くなっていた。彼女の一撃を防ぐために、男は体を動かそうとした――が、男の体が動くことは無かった。何処からともなく現れた木の根の様な蔓が、彼の体を縛り上げていたからだ。


そのままシルワはがら空きの鼻の先を全力で殴りつけた。男の体は勢いよく壁へ吹き飛ぼうとしていたが、彼女は蔓を操り、彼の体を縛って、その動きを途中で強引に引き留めた。シルワが何かを引っ張るような動作をすると、男の体も呼応するように勢いよく彼女へ向かって引っ張られた。再び男の鼻先に彼女の膝が突き刺さった。


「ぐ……」


男が、二、三歩下がった。鼻からは血が流れていた。男は手の甲でそれを拭った。


「……なるほど、それがお前の"祝福"か。面白い」

「どうも。あなたも本気を出してみたら?」

「ふむ、そうだな。では私も少しだけ本気を出そうか」


男は何もない空中に手を伸ばした。手から淡く虹色に光る剣の柄が現れた。男がそれを掴むと、ゆっくりと刃の部分が次第に形作られた。


「これが私の『祝福』だ」

「そ、見せてくれてありがとう」


と言って、シルワは少しだけ距離を取った。額には血に混じって焦りの汗が流れていた。素手と剣ではどちらが強いかなど分かりきった事だった。シルワは佐藤の方をチラリと見た。彼だけでも逃がさなければと、彼女が決意した時だった――淡く虹色に光る剣は、既に彼女の下腹部の肌を貫いていた。


血の混じった息を彼女は吐いた。

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