第17話

木製のドアをくぐると、先ほどの物でごった返していた部屋から一変、おおよそ五十メートル四方ほどの不必要と思えるほど広く、一切の物が存在しない部屋に佐藤はぽつりと立っていた。

壁や天井は先程までの石垣のような物ではなく、一切の隙間がない、コンクリートの様な壁だった。感心したように佐藤は拳でその壁を軽く叩いた。骨に響くような音が、体の内側に流れ込んだ。


「すげー……これ、どうやって作ったんですか?」

「魔法」

マギサが即答した。

「まあ、そりゃそうでしょうけど」


そういうことじゃない、と佐藤は言いたかったが、何だか無駄な気がしてきた彼は、もうそれ以上言及することはせず別の質問をすることにした。


「ここは普段何に使ってるんです?」

「んー?発動が大規模な魔法――大抵魔術とか呼んだりするんだけど、まあ、細かい話はいいや。そういう発動するのに場所が必要な魔法とか、被害が予想できない魔法を使う時はここを使ってるね。と言っても、今日はそういう心配がある内容ではないけど」

「その事なんですけど、正直に言って全く自信が無いんですよね」


頭を指の先で爪を立てない様に掻きながら、佐藤が言った。


「あらら。やる前からそんな弱気になっちゃって、なんかあったの?」

「いや、実は以前にも、シルワさんに教わろうと頑張ったことがあったんですよ。でも何度やっても上手くいかなくてですね、その時は結局諦めたんです」

「まー、任せとけって。勿論絶対の保証はしないけど、それなりに自信をもってやるわけだし。一応、私はプロだからさ、信じなって」

「う……すみません」

「そこまで気にしてないよ。さっさとおっぱじめようか、君の魔法特訓」



*  *  *



「ぬおりゃあああああああああ!」

佐藤のその情けない叫び声は、五十メートル四方の巨大な部屋の中では響くことは無かった。


その部屋の床には、ぽつりと石が置かれていて、佐藤はそれに向かって手を伸ばしていた。机の上の石は彼の声と共に一瞬だけ浮き上がった。


「ハァ、ハァ……ど、どうですか?」

「うん、おっけー。成功してるよ。魔法習得おめでとう。……まあ、叫びはいらないけど」


と、マギサは苦笑いをして言った。佐藤は分かりやすく顔を赤くしていた。


「ま、まあ、気分的なあれです……でも、勝手なイメージですけど、こういうのって何か呪文みたいなのを言うものだと思ってました」


自分の手にある、熱っぽい何かを感じながら佐藤は言った。


「君はさ、わざわざ手を動かすときに、手よ動けーって言わないでしょ?」

「言いませんけど……でもそれは流石に違わないですか?」

「違わないさ。結局のところ、魔法なんて感覚の話でしかないんだよ。ほら、マッチョって、胸の筋肉を自由に動かせるじゃない?あれと似たようなもんだよ。鍛えてるうちに感覚を掴むっていうか。そんな感じ」

「どんな感じですか……」


と、佐藤はツッコミを入れながらマギサを見た。その時、彼女の手に抱えられていた書類の束が目についた。彼女が佐藤の特訓を初めた時から持っていた書類だ。


「その書類は?ずっと持っていましたけど」

「ああこれ?君の魔法特訓のための参考資料。読む?」

「参考資料?」


と言って、マギサが差し出した紙の束を佐藤は受け取った。


「魔力を持たない生物の魔法可能性について……生物に魔力を与えた場合の観察実験……これってもしかして、論文ですか?」


と、佐藤は全体に軽く目を通しながらそのタイトルを読み上げた。その紙の束に書かれていたタイトルの雰囲気は、佐藤にとって元の世界でも多少のなじみのあるものだった。


「そ、論文だよ。結構昔のやつかな。魔力を持たない生物に魔法を使わせようって研究の論文と、生物に魔力を与えたらどうなるかって研究の論文。これをもとに、今回の君の魔法特訓の構想と言うか、どうするか考えた。まあ、論文によると、ある程度知能があれば猿でも出来るって書いてるから、君でもできるだろうと思ってね」

「へえ、魔法の世界にも論文ってあるんですね。普通にちゃんとした論文ですし」


そこに書かれていた文章は、佐藤の予想していた物よりも論文としての体裁を保っていた。流し見程度なので彼にはっきりとしたことは言えないが、導き出される結論もしっかりと因果関係に沿って導き出されたように感じ、少なくともこの結論を頭ごなしに否定する事は難しいように思えた。


「私としてはむしろ、君たちの世界にあるのが不思議なんだけどね。何の論文書いてるの?」

「そりゃあ、人や分野によって違いますけど、俺は科学者ですから、科学の事書きますよ」


もちろんこれは嘘だった。元の世界ではただの一般学生である彼が論文を書く機会はそうあるものではないし、そもそも物理学専攻である彼ならば、物理学者や物理学といった言葉を使った方が適切である。普段ならそうするのだろうが、マギサに伝わる気がしなかった彼はあえてそう言った。もっとも、科学と言い換えた所でそれも伝わるとは思っていなかったのであったが、


「科学……ああ、科学か」


と、マギサは何も無い空中を見ながら言った。

その口ぶりは決して色よい物でなく、ため息をつくようであったが、その言葉が意味するところについては、彼女は多少なりとも知識を持っているように佐藤は感じた。


「し……知ってるんですか?」


浮つく声を抑えながら、佐藤が聞いた。今の彼には、彼女に気を遣う事は出来なかった。


「知ってるよ、一応。と言っても、昔そういう話を聞いたことがあるってだけだけどね。詳しいことは知らないし、興味も無いけど」


釘を刺す様にきっぱりとマギサが言った。佐藤は鼻から息を吐いた。


「それは残念です」


面白いのに。と、いつもなら付け加える言葉を彼は飲み込んだ。


「っていうか」

マギサが、自身が手渡した佐藤が持つ紙の束を指して、

「それ、読めるんだ。なんか当たり前のように喋ってたからあまり気にしてなかったけど、私達の言語が分かるんだね」


と言った。佐藤はその言葉を聞いて、しまった、と思った。しかしある程度仕方のないことでもあった。こうして、あまりにも流暢な日本語で全員が話しかけてくるこの状況下では、そこで使用されている言語の種類が違う事を意識することが難しかった。多言語が登場する洋画の日本語吹き替えを見ている気分だった。


「あー……えっと、シルワさんから聞いてません?俺の祝福……なのかは知らないですけど、そう言う能力があるんですよ」

「ふーん……」


と言って、マギサは手を組んで考え始めた。佐藤は手元にある紙の束に時々目を落としながら、彼女の次の言葉を待った。


「……まあ、今すぐはどっちにしろ難しいか」

佐藤に聞こえない様に、マギサが小さな声で言った。


「何か言いました?」

「いや、何でもない。とりあえず、その感覚を忘れない様にして、自分で練習しといて。今は微弱すぎてまだ『人払い』に引っかかるだろうけど」

「練習って……さっきみたいにちっちゃい物を浮かせる……とかですか?」

「いや、さっきのですら私が大分補助してたから、無理だと思う」


マジすか、と分かりやすい驚きの言葉を発しながら、佐藤は机の上に置かれてある石を見た。感覚の話でしかないが、佐藤には五十グラムも無いように見えた。


「……じゃあ、どうすれば?」

「自分の中に流れる魔力を、右手から左手に移す練習法……とか、そんなところかな」

「……地味すぎません?」

「まあ、塵も積もれば何とやらってね。ま、せいぜい頑張って。きっと何かの役に立つだろうさ」

「役に立つと良いんですけどね」


おもむろに、マギサが立ち上がった。


「ま、今日はここいらでお開きにしようか。私ちょっと行くとこあるから、後適当にこの家に居といて。台所にある食材とか、家の中の物は好きに使っていいから。勿論、常識の範囲内でね」

と言って、彼女はドアの方へ歩き始めた。

「どちらへ?」

「ちょっと城の方に。君も見た事ないかな?あのバカでかい城に行ってくる。今後の対策とか方針とか決めたいし。君を国の外へ出すのは……今は厳しいかな。まあ、いずれにせよ少し待ってて」

「……分かりました。マギサさんもお気を付けて」

声を低くして佐藤が言った。

「うん。じゃあね」


いつもと変わらない調子で、佐藤に背を向けたままマギサが手を軽く振って部屋を出て行った。暫くしてから、佐藤もまた地下室から出た。

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