第16話
地下に向かう階段をマギサを先頭にして、佐藤がその後ろを付いて行くように下りていた。
「……話の腰を折るようで申し訳ないんですけど、どうして魔法を?」
階段の中腹辺りで佐藤が言った。
「あれ?君は元の世界に帰りたくないの?」
マギサは振り向かずに言った。唐突な期待感を含んだ返答に、思わず佐藤は階段を踏み外しそうになった。
「え……そりゃ帰りたいですけど、帰る方法知ってるんですか?」
「いや全く」
マギサは即答した。背後でため息の様に、深く鼻から息を吐きだした佐藤の事など目もくれず続けた。
「でも、もし元の世界に帰りたいなら、魔法は必要だと思うよ。それに、他にも理由があるしね」
佐藤もその可能性については考慮していた。現代の科学技術では、転生など普通に考えて不可能である。だとすれば、帰るにはこの世界に存在する不思議な力に頼る他無い。
以前、彼が魔法の習得に挑戦したのは、そういった事情もあっての事だった。
「他の理由?」
「『人払い』って言葉、どこかで聞いてない?」
佐藤は上を向いた。灰色の濃薄のある石の壁は、佐藤の記憶を呼び戻すのに丁度良く、すぐにその答えははじき出された。
「確か、俺を襲った女の人が言っていたような……何です?それ」
顔を前に戻して佐藤が聞いた。
「『人払い』――と言っても、正式名称は別にあって、これはほぼ俗語みたいなものなんだけど、魔法の一種で、魔力を持つ存在を遠ざける効果があるんだよね。効果の対象を自由に選べるから、本来は他人に見られたくない取引とか、誰にも立ち入られたくない場所とかに使ったりするんだけど、一個問題があってね」
「問題?」
「魔力を持たないか、極端に少ない存在には効果がないのさ。動物とか、君みたいに魔力を持たない転生者とか」
背後にいる佐藤に、前を向きながら指を差してマギサは言った。
「じゃあ、あの時のあれって……」
「そ、あの辺り一帯に、あの女は人払いを発動させたのさ。おかげで君以外の人間は蜘蛛の子を散らすようにあたりから逃げ出して、君はまんまと炙り出されたって訳」
「つまり、今後その呪文に引っかからない様にする為には、俺がある程度の魔力を持つようになればいい……って事なんですか?」
「そういう事。基本的に転生者とこっちの人間の違いって、魔力があるか無いかだけだからね。そういう面でも、君がある程度でも魔力を持つことは重要だと思うよ」
と、まるで会話が一時的に終わるのを待っていたかの様に、地下に続いていた階段はそこで途切れ、周りの石壁から浮いているかの様な木製のドアが、そこに佇んでいた。
マギサがドアを開け中に入った。佐藤もそれに続いた。
その部屋は一言で言うなら彼女の研究室で、両脇に壁を覆うほどの大きな本棚には、今にも圧力で飛び出してしまいそうなほど、ぎちぎちに本が詰め込まれていた。しかしそれだけでは足りないのか、不規則に並べられた机や床には、塔のように本が積み重なっていた。
塔は佐藤の身長ほどにまで積み重なっていたが、しかしどの塔も、それが完璧に計算されているかのように、倒れる気配は一切なかった。
その部屋は、言ってしまえば汚い部屋だった。本以外にも謎の杖や宝石、佐藤には用途の見当もつかない小物が床机問わず辺りに乱雑に置かれていて、床はまともな足場が無かった。彼女の家はこの研究室のようなゴミ屋敷と言うわけではなく、寧ろ必要最低限以外の物がない綺麗で清潔な物であったが、ここだけは切り離されたかのように全くの別物であった。
しかし、佐藤はその事に妙な納得感を覚えた。彼の大学生活の中では、様々な研究者の研究室を訪問する機会があったのだが、たいていは汚かった。この部屋はその時の物より酷いものであったが、汚れやにおいが酷いと言うわけではなく、よく分からない物でごった返してるあの感じに近かった。
科学と魔法という分野は全く違うものであっても、研究者として根底にあるものは意外と同じものなのかもしれないと、佐藤は思った。
「ごめんねー、散らかってて。普段ここに誰も呼ばないからさー」
床に散らばった紙の束を拾いながらマギサが言った。
「いえ、お構いなく。普段はここで研究を?」
足の踏み場を慎重に探しながら、佐藤は聞いた。
「うん、一応城の方にも、国から貰った研究室があるけど、ああいうの苦手でねえ。上に呼ばれた時以外は、ここで研究しているよ」
「ちなみに何の研究をしてるんです?」
「聞いてどうしたいのさ?」
「まあ、一応。こういうの、興味あるので」
「ふーん……」
マギサは佐藤の顔を見た。彼の目は真っ直ぐマギサの方を向いていて、その目が少なくとも冷やかしの類ではなく、純粋な知的好奇心から来るものであることは、すぐに彼女にも分かった。
「まあ、良いか」と言って、一つ瞬きをしてから、マギサは話し始めた。
「私がしている研究は書き換え魔法って言ってね、簡単に言えば、この世界の法則を書き換える事が出来る魔法の研究をしてる」
「法則を書き換える、ですか、スケールの大きい話ですね……」
スケールが大きい、と感想は漏らしたが、佐藤は正直彼女が何を言っているか分かっていなかった。それでもなるべく冷静に、聞く側のしてのあるべき態度をなるべく崩さない様に徹した。
「そうだね。この魔法の凄いところは、一度書き換えてしまえばそれ以上魔力を使う必要がない所にあるんだよね。今までの魔法って言うのは、例えば物を浮かそうとしたとき、物を浮かしている間はずっと魔力を消費し続ける必要があったんだけど、法則を書き換えて、初めから浮いているってことにすれば、力も魔力もかける必要は無いからね」
「……なるほど。確かに便利と言えば、便利な魔法かもしれないですね」
とは言った物の、正直に言ってちゃんと理解に及んでいる自信は佐藤には無かった。
マギサは佐藤を気にせず続ける。
「ま、今まで浮かび上がってきた人類の問題が、一挙に解決するかもしれないとして、それはそれは、大した騒ぎになったよ――と言っても、実を言うと七十年前に理論が提唱されて以来、だーれも発動させていないんだけどね」
「やっぱり、そのくらいになると簡単に発動させる事も出来ないんですか?」
「いいや」と言って、マギサは分かりやすく首を横に振った。
「発動させるのが難しいのかすらわかっていないんだけどね。『そういう魔法が存在するかもしれない』ってこと以外、何もわかっていないのが現状。最近じゃあ、研究する人も極端に減ったね」
と言って、彼女は空を飛びながら、いくつか地面に落ちている物を拾い始めた。佐藤はしばらくそれを無言で眺めてから、
「マギサさんは、何故その魔法の研究を?」と聞いた。
「んー?いや別に、それ以外の魔法はもう知り尽くしたからね。それ以外、研究するものが無いんだよ」
と言うと、入った来た扉と反対の位置にある、奥に続く扉を開けて、その部屋の中にマギサは入っていった。佐藤もいくつか小物を足で踏みつけながら、慌ててそれを追いかけた。
最後の言葉を言っている間、マギサがずっと佐藤から顔を見せない様にしていた事を、彼は知る由も無かった。
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