第15話

別の部屋にシルワ運んだマギサが、再び佐藤の部屋に戻ってきた。彼女の手には、包帯が握られていた。


「シルワは別の部屋で寝かせたよ。よっぽど疲れてたんだろうね、なんせ君が寝ている四日間、ずっと起きてたわけだし」

「マジっすか、それ」

「うん。後でお礼は言っておきなよ?」


と言うと、手に持った包帯を伸ばしながら、佐藤に近づいた。

部屋にあった椅子を取って、佐藤と向かい合う様に椅子を置くと、その上に座った。


「ほら、包帯変えるから、右手出して」


佐藤は言われるがまま、目の前の白髪の女と向き合う。彼女は佐藤の右手を取って、慣れた手つきで包帯を解き始めた。辺りに、あの独特な匂いが広がった。

佐藤は自身の目の前で揺れる綺麗な白い髪を、物珍しげに眺めていた。


「……そんなに私の髪が気になる?」


その言葉に、佐藤は一瞬口を結んだ。


「あ、いえ……あまり見ない物で、つい。気に障ったのなら謝罪します」

「別に気にしちゃいないさ。一応昔はちゃんと色があったんだけど、魔法の実験中にちょっとしくじってね」


包帯を解く手を止めず、感情のない声でマギサが言った。それ以上の詮索に気が引けた佐藤は、彼女から目を逸らす様に窓の外を眺め、包帯がほどけるのを無言で待った。

右手に巻かれていた包帯がすべて地面に落ちると、未だ火傷痕や痣で変色している佐藤の腕が露わになった。


「うひゃー、痛そうだね。どう?まだ痛む?」


マギサは彼の腕を見ながら、床に落ちた包帯を拾い始めた。

言われて初めて、自身の腕がまだ痛むかもしれないという事に気が付くほど、見た目はとやかく、彼の腕はいつも通りだった。

佐藤は紫色に変色した肌を指先で押してみるが、痛みどころか、まるで凍傷でもしたかのように触覚すら無かった。


「いえ、不思議と……痛くないと言うか、感覚が無いって言った方が正しいんですかね?とにかく、腕は動くんですけど、痛みが全くないんですよ」

「ふむふむ。これは成功かなー?」


と言って、腕を動かしながら感想を述べる佐藤に、マギサは不敵な笑みを浮かべた。

その笑みを見た佐藤の背筋に、悪寒が走った。


「……成功って、何がです?」

「ああ、その包帯、私の試作品でね。布に回復魔法と催眠魔法を仕込んでて、傷を早く直したり、痛みを上手く無くすことが出来るんだけど、私じゃ実験出来ないから、睡眠魔法の調整が上手くいってるかどうか不安だったんだよね」

「……上手くいってなかったら?」

「全感覚の喪失?良くて植物人間とか」


まるで昨日の夕飯を教えるかの様に、その事実を彼女が伝えた。

佐藤は分かりやすく俯いて、ため息交じりに眉を開いた。


「……なんてもん使ってるんですか」

「しょーが無いじゃん。なるべく早く君を起こしたかったしー」

「……早くしないといけない理由でも?」


俯いた頭を元に戻しながら、佐藤が聞いた。

その言葉を聞いたマギサは、新しく包帯を巻き直す手を止めた。


「……まあ、ついでに現状説明もしてあげるか」


それを言うと、再び佐藤の腕に包帯を巻き始めた。


「君って言うより、シルワの方が少し問題でね」

「な……どうして!」


佐藤は勢いよく立ち上がった。その拍子に彼の体がマギサの手と衝突し、彼女の手にあった包帯が、手から滑り落ちた。そのまま包帯は、床に白い線を描きながら転がっていった。

二人は『あ』と、短く声を上げて、転がる包帯をしばらく見ていた。勢いよく転がっていった包帯は、部屋の壁にぶつかった所でようやく止まった。


「ちょっとー。急に立ち上がらないでよ、落ちちゃったじゃん」

「すみません。つい……」


マギサは落ちた包帯に指先を伸ばした。すると、包帯が空中に浮きあがった後、投げられたかのように放物線を描き、再び彼女の手に戻っていった。

佐藤はその現象を目を丸くして見ていた。


「まあ、気持ちは分からないでもないけど、君の体は痛みを誤魔化してるだけで、酷い状態なのは変わりないんだから、あんまり無茶しないでよ?」


立ち上がった佐藤の肩を軽く押して、促す様にベッドに座らせると、地面に落ちた包帯を巻き戻し始めた。

ズレが無いよう、丁寧に、ゆっくりと包帯を巻き戻し続けるマギサの手を、佐藤はただじっと見ていたが、次第にそれももどかしくなり始め、


「……っでも!なんでシルワさんが!?」


と、耐えきれなくなった佐藤が、止めた息を吐きだすように言った。

マギサは、佐藤の方を見る事も無く、包帯を巻き戻す自分の手だけを見ていた。


「分かったから落ち着けって。焦っていい事ないぞー」


その言葉に完全に納得したわけではないが、しかし、その言葉が正しい事は佐藤も分かっていた。だからと言ってすぐに落ち着くわけでもないのだが、それでも佐藤は、目を閉じてなるべく深く呼吸をして、心を落ち着かせるよう努力をした。

床に出来た白い線が、再び太く白い円柱に再構成されると、マギサは肘の途中まで包帯が巻かれた、佐藤の右腕を取って、その続きをやり始めた。佐藤は無言で目を伏せる様にして、彼女の次の言葉を待った。


「君が戦ったあの女だけど、覚えてる?君が気絶した後に何があったか」


少しの間を置いて、唐突に彼女が言った。


「……何かがあった事は。詳しくは覚えていないです」

「ふーん、そっか」


マギサが少しだけ、返答を待ってから言った。

そのタイミングで右腕の包帯の交換が終わり、彼女が左腕を差し出す様に要求してきた。ある程度進めたところで、マギサが再び口を開く。


「簡単に言えば、シルワがあの女を撃退したんだけど、それがちょっと問題でね」

「……どう問題なんです?」

「その女が賢者って言う、ちょっとした権力者でね。おかげでシルワがかなり危険視されちゃって。最悪、殺しても構わないと」


マギサはやはり、いつもの調子を崩さず、何て事のない報告をするかのように言った。


「そんな……俺のせいで……」


佐藤は、いつの間にか手を強く握っていた。今にも震え出しそうな肩に、マギサが手を乗せた。


「……君のせいじゃないさ。三百年前の転生者が世界戦争なんて引き起こさなければ、こんな国際法なんて制定されなかっただろうし。それに、そもそもこんな法が間違ってるって思うよ。三百年前の大事件の首謀者と同じ転生者だからって、問答無用で殺すのは間違ってるし、君を助けた理由の一割はそれだからね」

「……ちなみに、残りの九割は?」

「私が得するから」


佐藤の口から、空元気のような笑いが零れた。


「なんですか、それ。一瞬関心して損しましたよ」

「いいや、そうじゃないさ。その理由が、私の足を動かすのに足りなかった一割を埋めてくれたのさ。人間が本当に損得勘定でしか動けないのなら、世界はとっくに平和だよ」


佐藤はその答えを聞いて、顎に手を当てて数秒黙った。


「……なんか上手い事言いくるめられたような気がします」

「そうかい?……ハイ、左腕終わりー。後残り一気にやるから、ベッドの上で大の字で寝てて」

「……寝てて包帯の交換って、出来るんですか?」

「まあまあ、良いから良いから」


促されるまま、佐藤はベッドの上で大の字で寝た。マギサは椅子から立ち上がって、佐藤の体を鑑賞するように眺めていた。


「な、何ですか?」


恥ずかしさを誤魔化す様に佐藤が聞いた。


「んー?別に。ただ位置を確かめてただけだよ」

「位置?」

「ほれ」


その間抜けた声と共に、佐藤の体は無重力空間にでもいるかの様にゆっくりと浮き上がった。ある程度ベッドとの距離が開いた所で、上にスローモーションで落ちているかのような動きは完全に止まり、佐藤の体は空中に固定された。

マットで上下に挟まれたかのような圧迫感と共に、佐藤の体は指一本動かすことが出来なくなった。


「びっくりした?」

「いやもう、流石に慣れたというかなんというか……」


その言葉を聞いたマギサは、つまらなさそうな顔をした。


「ふーん、まあいいや。そのままじっとしてて」

「……そもそも体が全く動かないんですけどね」


なんの合図も変化もなしに、そのまま佐藤の体にミイラの様に巻かれていた包帯がほどけ始めた。佐藤の視界の中では、生き物のように包帯が宙を舞っていた。

暫くして全ての包帯が解き終わると、マギサは新しい包帯を取り出して、佐藤の指の端に少しだけそれを巻き付けた。彼女が佐藤の体から少し離れると、包帯は独りでに佐藤の体に巻き付いていった。五分とかからない内に、残った全身の包帯の交換が終了すると、佐藤の体はゆっくりと、ベッドの上に戻された。


「初めからこれで良かったのでは?」


上体を起こしながら、佐藤が聞いた、


「君の状態を少し確認かったからねー。それにあの状態だと話難いだろうし」


マギサは手にある包帯の束を近くのゴミ箱に押し込んでから、再びベッドの上に腰かけた佐藤の方を向いた。


「さて、包帯の交換も終わったし、君にやってもらうことが一つある」

「何ですか?改まって」


彼女は、勢いよく佐藤に向かって指を指した。


「今から君に、魔法のお勉強をしてもらうよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る