第14話
屋根の上で、一人の人間が一部始終を見ていた。紫色の三角帽子に、紫色のぶかぶかのローブを着た、背の低い女だった。
「……あの子の人払いを解除して見に来てみれば……凄いことになってるなぁ」
女は意外そうな顔をして、あっけらかんと言った。
「さて、後片付けの前に一応報告しておくか」
と言って、女は目を閉じ、自分の耳に手を当てた。
少しして、女は目を開けてから言う。
「アールか?目標は見つけた。今から保護するよ」
手を耳に当てたまま数秒待ってから、女は笑った。
「はは――いつの間に人に頼ることを覚えたんだ?まあ、いいや。後で私の家に来てよ。お前にもいろいろ手伝ってもらうから。そういうの得意だろ?」
「――」
「冗談だって。とりあえず来て、鎧の調整もしたいし」
別れの挨拶をした後に、手から耳を外し、女は軽く伸びをした。
「こいつは手がかかるぞー」
おどけた調子で、女が言った。
* * *
佐藤は目を覚ました。目を覚まして真っ先に視界に入ったのは、見知らぬ天井だった。宿と同じ木製の天井だったが、纏っている雰囲気が微妙に違うことにすぐに気がついた。
自分に何が起こったかを思い出すのに、そこまで時間はかからなかった。
――あの時、炎を自由に操る女と戦って、紆余曲折の後、負けた。
(そこまでは覚えてるけど、気絶した後の記憶が曖昧なんだよな……)
気絶した後に、自分の体が何かをしようと動いていたのは覚えている。しかし――その時の記憶は、夢のような、幻想のような、そういうぼんやりとした曖昧なものになっていた。
佐藤は思い出すことを諦めて体を起こした。布団が自分の体からずれ落ちて、自分の上半身が露わになった。自分の体には、ほんのわずかの隙間もないほど、全身に隈なく包帯が巻かれていた。
「サトウ――君?」
声がした。この世界に来てから、初めて聞いた人間の声で、一番慣れ親しんだ人間の声だった。その声は――ひどく震えていた。
佐藤は首を横に振って、声のした方をを向いた。
目の前ではシルワが、爪先まで包帯が巻かれた自分の手を祈るように握って、死人でも見たかのような顔で、佐藤を見つめていた。
突然の出来事だった為か、目の前のシルワは、声を出せないまま口を上下に動かすだけだった。
「えっと……おはようございます?」
何か言わなければと思って、佐藤は単語をひねり出した。
「……今はこんにちはの時間」
思いの外冷静なツッコミが彼女から帰ってきた。確かに窓から差し込む日の影は短くなっていて、目や口などの包帯で覆う事が出来ない部分からは、昼間の蒸し暑い熱気を感じていた。
佐藤はシルワと自分の温度差に戸惑っていた。どうにか、彼女と自分の温度を合わせられないかと、あれこれ言葉を探し、彼女に伝えようとした。
「えっと、その――
「お願いだから!」
口下手な佐藤が捻り出した言葉を遮って、彼女が大きな声で言った。まるで部屋全体に釘を刺しているようで、その言葉が言い終わった途端に辺りは静まり返った。
言葉を探していた佐藤はようやく彼女の顔をしっかりと見た。彼女の目は真っ赤に腫れていて、その下には、一日二日では到底到達できない深い隈が刻まれていた。人の感情を読み取るのが苦手な佐藤でも、それが自分のせいで出来たことがすぐに分かった。
「……お願いだから、サトウ君まで勝手に居なくならないで」
悲愴と後悔を含んだ声で、シルワが言った。
佐藤は彼女の言葉に気圧され、何も考える事が出来なかった。
「……全部聞いた。サトウ君が、今どんな状況なのか。サトウ君がどんな大変な目に遭ってるかって」
いつの間にか、彼女は泣いていた。引き攣る声も乱れる髪も情けない顔も、何も厭わず、すべてを曝け出して佐藤と向き合っていた。
「サトウ君はきっと、私を巻き込みたくなかったんだよね……?」
「ああ……まあ、そう言えばそうなんですが……」
「……気持ちは嬉しいけど、でも、サトウ君までいなくなるなんて嫌だよ……」
そう言うと、彼女は掴んでいた彼の手を、さらに強く握った。佐藤はそれを無言でしばらく眺めた後、
「すみ……ません。配慮が……足りませんでした」
佐藤は気圧されたまま、どうしていいか分からず、半ば反射的に答えた。まるで初めから用意されていたかのような返答であったが、シルワは特に気にする事もなく、祈るような高さにあった手を、ベットの上へと下ろした。頬を伝った涙が、佐藤の手の甲の上に落ちた。
佐藤に巻かれた包帯は、彼の触覚を奪っていた。しかしそれでも、その涙はとても暖かかった。
「……勝手に居なくなった事は謝ります。ですけど、俺はこうやって無事ですから、もう泣かないで下さい」
それは佐藤の紛れもない本心だった。自分に出来るだけの優しさを言葉に含ませて、それを言った。
目の前の
しかし、シルワは首を二、三度横に振ってそれに答える。
「違う――違うよ。私はサトウ君が無事だから、だか……ら――」
溢れるものを抑えられず、彼女は涙で喉を詰まらせた。
「人……はね――嬉しい……から、泣くんだよ」
止めどなく流れる大粒の涙を拭い、必死に声を絞らせながら、シルワが言った。
その言葉は、佐藤にとって、まるで科学史における世紀の大発見のように感じた。普通の感覚からすれば、いささか大袈裟に聞こえるかもしれないが、それ程驚きと発見に満ちたものだった。
佐藤は目を丸くしてから、少しだけ笑った。
「ありがとうございます。でも、シルワさんは笑ってるほうが素敵ですから、笑ってください。これもどうぞ」
自分の近くの壁に掛けてあったタオルを取って、シルワに差し出しながら、なるべく格好を付けず、かといって平坦でもない、その中間を心掛けて、小恥ずかしい台詞を佐藤は言った。
シルワは何も言わず、首を縦に振った。それを受け取ると、自分の鼻の前にそれを持ってきて――
自分でする分には大した障害にならないのに、他人の物だと何故だか不快な気分にも成り得る音が、その場を支配した。
「……ありがとう」
と言って、佐藤にそれを返した。佐藤は無表情で、指先で摘むように、なるべく触れる面積を減らしてそれを受け取った。
「……いえ、お役に立てて何よりです……」
佐藤は微妙な顔をしながら、投げ捨てる様に元あった場所にそれを戻した。涙を手の甲で拭く彼女を見て、呆れながら笑った。
「そう言えば聞きそびれましたけど、ここは何処なんです?」
「あ……えっとね、ある人が助けてくれたの」
「ある人?」
その時、タイミングを見計らったかのように、部屋のドアが音を立てて開いた。
「お、やっと起きたか。寝坊助さんだねぇ」
悪戯っぽく笑いながら、ぶかぶかのローブを着た女がドアの所に立っていた。すらりと伸びた長い白髪を揺らしながら、佐藤の目の前まで近づくと、確かめる様に佐藤の顔を覗き込んだ。
「ふむふむ、顔色もいいし、取り敢えずは大丈夫かな?」
「あなたは……?」
物珍しげに目の前の白髪を眺めながら、佐藤は聞いた。
「ん、ああ、そう言えばまだ自己紹介もしてなかったっけ?」
何かを思い出したような顔で、女が言った。
「私はマギサ。この国で魔法の研究をしてる。君たちの事を保護するようにアールから頼まれてね」
「アールさんが?ありがたい話ですけど、どうしてまた?」
あの時の事を思い出しながら、佐藤は言った。
「さぁ?君たちに何があったのか知らないけど、アールはそういう星の元に生まれた人間だからね。まあ、私を頼ったのは正直意外だったけど」
「?」
「ああ、ごめんごめん。こっちの話」
よく分かっていない顔を浮かべた佐藤を察したようにマギサが言った。
「えっと、俺は――
佐藤が自己紹介をしようと声を発した途端、静止するようにマギサが佐藤の目の前に手を伸ばした。
「大体は聞いてるよ、転生者のサトウ君に、そこで気持ち良く寝ているのがシルワ……でしょ?」
佐藤がベッドのそばに目をやると、気絶したように寝ている彼女の姿がそこにはあった。
とても幸せそうな顔をしていた。
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