第12話

大通りを全力で走る佐藤の背後で、忙しなく爆発が起こっていた。さらにその後ろを、女が足元から火を噴射させ空を飛び、佐藤の後を追いかけていた。

無茶苦茶だ――と、佐藤は思った。人がいないというのもあるのだろうが、通りに並ぶ綺麗な建物を、女は丁寧に爆破していた。彼が戦えない事の鬱憤を、建物にぶつけているようだった。

再び佐藤の足元で爆発が起こり、彼の体は宙へ舞った。数メートル吹き飛んだところで、背中から地面に叩きつけられた。肺に溜まっていた空気が一気に口から吐き出た。


「……いやー、しかし。流石にそろそろ飽きが回ってくるなー」


後頭部に手をやりながら、爆炎に包まれた道から女が歩いてきた。いつの間にか、彼女が着ていた白い服は、火の粉が移って微かに燃えていた。


「おっと、危ない危ない。危うく服が全焼する所だった」


と言って、女は慣れた手つきで火の粉を払った。

今まで逃げの一手を繰り返していた佐藤は、そこで改めて女の全身をしっかりと見た。気が付けば、彼女が着ていた白いシンプルな服は、所々が燃えて穴だらけになっていて、そこから綺麗な肌が顔を覗かせていた。

それを見た佐藤は、あることに気が付いた。


(……もしかして)


佐藤は考える。

女がこちらに向かってゆっくりと歩いていたが、彼は女を視界から排除した。

自身の周りで起きていた火事や上がっていた炎が彼を熱していたが、彼は熱いという感情を排除した。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚――その一切を排除して、闇の中にただ一人、佐藤はぽつりと立っていた。

佐藤は考える――そして、思考の闇に一筋の光が差し込んだ。


(勝てる……かも)


五感が戻ってきた世界で、佐藤は心の中でそう呟いた。

その目の色の変化を、女は見逃さなかった。悠然と歩む足を止め、顎を下げて佐藤を睨む。


「……さっきまで逃げ一手だったってのにさー、どうしちゃったの?急に」

「……別に」


佐藤は深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。ある程度息を吐くと――そのまま足に力を込めて女に背を向けて全力で走った。


「……あれー?戦う気になったのかと思ったのにー」


情けなく逃げる男の背中を呆気にとられた様子で見ながら、女は一人呟いた。

そのまま、男の様子を幾ばくか観察してみたが、彼は逃げる以外何かをしようとしている様子は無かった。一応の警戒はしていたものの、次第にそれが無意味に感じ始めると、彼の後を先程と同じように追い始めた。


(……正直めんどくさいなあ。私以外の賢者はいなかったのかなー)


そんな事を思いながら、女は三発の火の玉を、自身の周りに発生させた。暫くすると火の玉は何の推進力もなしに一気に射出され――佐藤の背後にある建物に向かって飛び始めた。

一発、二発と、佐藤の背後にある建物に、火の玉が衝突する。一瞬の閃光と爆炎が発生し、暫くすればそこには残骸以外何も残らなかった。そして三発目。佐藤のすぐ真横の建物に、同じように火の玉が衝突した。

先の二発と同じように、閃光と爆炎が建物を襲う――その時だった。


今だ!――と、佐藤はその時を待っていたかのように、全身に力を込めた。片足で地面を蹴って、自分の進行方向を九十度横へ変更し、そのまま爆炎の中へ自ら飛び込んでいった。

彼の体は、炎の中へと消えた。


(……は?)


目の前の自殺行為とも呼べる男の行動に、女は驚きと焦りを隠せなくなる。どうしていいか分からず、そのまま空中で静止した。


少しして、爆炎が空気中に拡散され始めると同時に、白い煙が辺りに立ち込めた。女は地面に下りてその煙に近づいた。空気中に舞った煙を片手で払って、自分の手を確かめる。自分の手はその煙によって白く塗りつぶされていた。

親指と人差し指を重ねて擦ってみると、粉上の物が指先の摩擦を減らして滑らかにした。


「何だこれー?……小麦粉?」


それが小麦粉だと判別するまでに、さほど時間はかからなかった。


「これに紛れて逃げるつもりかー?こんなのすぐに吹き飛ばして……」


と、女は再び右手を伸ばして、火の玉を発生させようとした。火の玉が完全なものになるほんの少し前、彼女の手から発生したほんの小さな火。大人になる前の子どものような、攻撃のきっかけのための火――それだけで十分だった。

空気中に舞った小麦粉に、火の先が触れた。

その一瞬で、連鎖的に、爆発的に、火が増殖していった。

彼女が起こした爆発よりも数段大きな炎が、音を立て明確な意思を持って、彼女を飲み込んだ。



*   *   *



発生した火は、ほんの一瞬だった。

辺りには燃え残った小麦粉が、先ほどより規模は小さくなったが、未だ霧を発生されていた。

服がほとんど燃え尽き、裸とも言える状態になった女が、発生した炎の中心に倒れていた。その女に向かう足音が一つあった。


「粉塵爆発――小麦粉みたいな粉状の物は、普通に燃やすと焦げるだけなんですが、今みたいに空気中にばら撒いてから燃やすと、連鎖反応を起こして一気に燃えるんです」


と、霧の向こうから、着ている物が女と同様にボロボロになっている佐藤が、歩きながら教科書の音読をするように言った。そのまま、寝ている女の近くまで歩くと、歩みを止めて言葉を続ける。


「服が燃えていたので、魔法を使う人間が自身の魔法の影響を受けないわけではない……と。電気ナマズは電気を発生させる度に実は感電しているって話がありますが――そんな感じで、実は火を使うからと言って、火に強いわけではない……と。そう考えたのですが――


そこまで佐藤が言った所で、寝ていた女が勝ち誇ったように笑った。


「ま、正解だねー。今のは良い一手だったよ」


彼の言葉を遮って、女が言った。そのまま立ち上がって、自身の様子を気にもせず、佐藤に向き直る。


「粉塵爆発……かー。いやー全く、参ったよー。私達の世界じゃ全く聞かない話だけど、君たちの世界じゃ普通なのかなー?」


自身の肌に纏わりついた粉を払いながら、相変わらずの勝ち誇ったような顔で女が言った。


「確かに魔法使いは、自身の使う魔法から身を守るために杖を使って自身から離れた場所で現象を起こしたりー、防御魔法を同時に使ったりするものだけど――私にはその必要が無いんだよねー。祝福って知ってるー?」

「ええ、知ってますよ。この世界の住人たちが持っている、特別な能力の事ですよね」

「そ、私の祝福は熱への完全耐性。悪くない作戦だったけど、私はそもそも対策する必要が無いから対策していないだけー。残念でしたー」


佐藤は今だ勝ち誇ったように喋る彼女の様子を見て、突発的に笑った。


「んー?何笑ってるのかなー?」


勝ち誇ったような笑い顔は、すぐに不機嫌な顔に変わった。


「実は火を使うからと言って、火に強いわけではない……と。そう考えたのですが――


佐藤は笑うのをやめ、彼女に遮られて言う事が出来なかった部分の、少し前から言葉を続けた。


「だが、あなたは違う」



*   *   *



「さっき、あなたの服が燃えてるのを見て気が付いたんです。あなたの服は燃えてボロカスになっているのに――その下の肌は、一切火傷の痕が無く、綺麗なままです。もしバリアのような物を張って炎を防いでいるのだとしたら、わざわざ服の下に器用に張る必要は無い――なら、あなたが何らかの形で炎への耐性があるんじゃないかと思ったんです」

「ふむ。仮にそうだとしても、よく分からないねー。効かないと分かってるなら、わざわざする必要ないじゃんー」

「……質問を質問で返すようで申し訳ないんですが――どうして、やられたフリをしたんです?」


女は答えなかったが、瞳孔が少しだけ小さくなった。佐藤は、その沈黙を分かっていたかのように無視して、言葉を続けた。


「いや……そもそも、俺が小麦粉の霧に紛れた時点で、辺り一帯を爆破すればいい。最初に出会った時点で、俺を爆破してしまえばいい――あなたほどの力を持つ人間なら、今すぐ俺を殺すことだってできるんじゃないんですか?……だけど、あなたはそれをしなかった。何故なら、あなたの目的は、俺の生け捕りだからだ」


佐藤は勝ち誇る訳でもなく、静かに、淡々と、しかし強く言った。女は下を向いたまま、黙ってそれを聞いていた。


「ここら一帯には、燃え残った小麦粉が残ってます。あなたがもし一瞬でも火を使えば、ここら一帯は先程と同様、大爆発するでしょうね。そして俺はめでたく死亡するわけですが――あなたには、それが出来ない。……これで火は封じました。なるべくなら早めに投降してくれると助かります」

「……一つ、聞いていいかなー?」


感情を一切排除したような声で、女は聞いた。佐藤は、その声に背筋に悪寒が走る。


「……なんですか?」

「君の能力を教えて欲しいなー」

「……それを教える訳にはいかないですね――ただ、凄い能力ですよ」


それを聞くと、女は諦めたようにため息を吐いた。


「……認めるよー。君は賢いねー。だから、最後に一度だけ聴くねー」

「……なんですか?」

「大人しく捕まってくれないかな?君のその賢さに免じて、死刑じゃなくて終身刑くらいで手を打つよー」

「お断りです」

「だよねー」


佐藤は息を吐いて、姿勢を下げ女を真っ直ぐ睨んだ。まだ勝った訳ではない。本番はここからだと褌を締めなおす。


(敵とは言え、殴る訳にはいかないよな……どうにかして無力化を図るしかないか)


女の体は、シルワと比べるまでもなく、元の世界の女性の筋肉量とさほど変わらない物だった。だから佐藤は、肉弾戦に持ち込めば勝てると思ったわけであるが――


佐藤は女に近づこうと、次の一歩を踏み出した――その瞬間、彼の意識の糸は切れた。


気が付くと、女から数メート離れた所で、佐藤は地面の上を寝そべっていた。遅れて、頬に激痛が走った。彼は自分の身に何が起きたのか全く理解できていなかった。実際には、女が彼に向かって走って近づいて、頬を殴り飛ばしただけである。しかし、その出来事が一瞬だったために、彼はその一切を知覚できなかった。


「な……何だ……?」

「一つ、教えてあげるよー」


佐藤を殴った姿勢のまま、倒れた彼を吐き捨てるように見下して女が言った。彼女の腕や足の筋肉は、異常なまでに膨れ上がっていた。顔と肉体を強引にくっつけた合成写真のような、不自然という他ない光景だった。

よろめきながら立ち上がった佐藤に、女は地面を蹴って一瞬で距離を詰めた。やはり佐藤には、その動きを目で追うことは出来なかった。


「私はねー、炎魔法を得意にしてるけど、もう一個、身体強化も得意なんだよねー」


そのまま、肥大化した拳で佐藤の腹を殴った。鈍い音と衝撃が、ゆっくりと、しかし確実に彼の全身を駆け巡る。

佐藤はただ、その衝撃に視界を歪ませながら、機能の失った口を上下に動かすだけだった。


「悪いけど、選んだのは君だ。歯を食いしばって死ななないように頑張ってくれ」


――そこから先は、よく覚えていなかった。

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