第10話

「いやぁ、偶然だな。まさか同じ宿を取っているなんてよ」

「ホントですね」


宿の一室、佐藤達が取った部屋とほとんど差異のないまた別の部屋で、佐藤と鎧の男が話していた。

全身を銀色で固めた男と佐藤の会話を遠目に、ローブの少女はベットの上で体育座りをして俯いていた。その目は興味が無いというより、腫れ物に触るようであった。気になった佐藤が慎重に声を掛けても、『別に』と短く返すだけだった。


「あの、すみません。あの子はどうして俺の事なんか気になったんですか?」

「それがよ、あの後俺も聞いたんだけど、答えてくれなかったんだよ」


彼女に聞こえない様に、声を潜めて二人が言った。


「なぁー、フェルム。いい加減教えてくれよ。あの時は会うことは無いからって理由で詳しく聞かなかったけど、今こうやって会っちゃった訳だしよ」


鎧の男が少女の方を見ながら言った。フェルムと呼ばれた少女は、無表情のまま、透き通った声で短くため息を漏らした。


「……三百年前に起きた世界大戦は、アールも知ってるよね」

「まあ、そのくらいはな」

「その大戦を引き起こした首謀者が、サトウって名前の転生者なのは知ってるよね」

「そうだっけ?」

「……まあ、いいや。だから私は気になった。それだけ」


「ちょ、ちょっと待って下さい!」


二人の会話を遮って佐藤が声を出す。


「何?」


無表情のまま、目の形を変えず――しかし、睨むようにフェルムは佐藤を見た。思わず、佐藤はたじろぐ。


「あ、いや……確かに俺は転生者で、サトウって名前ですよ。でも、その三百年前の転生者と俺は何の関係も無いっていうか……」

「やっぱり――何も知らないんだね」


冷たく、突き放すように、彼女が言った。そのまま体育座りの姿勢のまま、再び俯く。


「……何も知らないって、何を知らないんです?俺は」

「あー……その、サトウ。実はな」


アールと呼ばれた鎧の男が、フェルムに変わって話し始めた。


「この国――というか、国際法で転生者は死刑になってるんだ」

「……は?」


佐藤はその言葉の全容を理解するのに、少しばかり時間を要した。頭の中が真っ白になり、魂がどこかに飛んで行ってしまった。視線は定まらず、自分の心臓がありえないほど早く動き出す音だけが良く聞こえた。

そんな佐藤の様子を気遣ったか否か、フェルムは顔を上げる。


「別に、私達はあなたを捕まえてどうこうしようってつもりはない――けど、これ以上関わるのはやめにしてほしい」

「おい、フェル――

「アール。今回は流石に私は賛成しない。こいつを助けるという事は、私達は立派な国際犯罪者になるという事だよ」

「そりゃ分かってるが、しかし、こいつは――

「アール」


無表情で、抑揚のない声で――目の前の主張をなかなか曲げようとしない男に釘を刺した。声は普段の調子と変わらなかったが、それでもアールは普段の様子とは違うことを感じ取ったのか、諦めたようにため息をついた。


「分かった……今回は諦めよう――そういうわけだ。すまないが、サトウ。出て行ってくれ」


と言って、アールは佐藤の背中を大きな手で、少し強めに叩いた。その衝撃に備えていなかった佐藤は、押し出されるようにして、一歩二歩、前へ踏み出した。踏み出したが、歩き出すことは出来なかった。愕然と、釈然とせず、ただ床を茫然と床を眺めていた。暫くしても動かない佐藤の背中をアールが押して、半ば強引に部屋の外へ連れ出した。


「とりあえず、一刻も早く国から出たほうがいい。今なら間に合うかもしれん」

「そう……ですね」


佐藤は床を見つめたまま、反射的にそう答えた。アールの声は、耳に届いてはいたが、正しく認識できていなかった。佐藤が廊下に放り出され、そのまま十五分ほど経ったところで、ようやく彼は自分の部屋に戻った。部屋に戻るや否や、彼は自分のベッドに派手に仰向けに倒れこむ。そのまま、天井の木の木目を眺める。自分の手や足は、痙攣するかのように小さく震えていた。


(手足が震えてら。一応自分の中では冷静になろうとしているつもりだけど、無理だよな)


死刑。

罪を償うためと言えば聞こえはいいが、人が人を合法的に、唯一殺すことができる制度。許された殺人、許される殺人。


(死刑囚ってこんな気持ちなのかな……俺が死んでも、誰も悲しんでくれる人なんていなくて、皆が、俺に死ねと笑顔で指を指してきて)


テレビで死刑判決を受けたニュースや、死刑が執行されたニュースを見て、誰が悲しい気持ちになるだろうか。寧ろ、こんな奴死んで当然だ、報いを受けたのだと、何も知らない赤の他人を、そういう風に判断する。判断してしまう。人が死んだという事実に喜び、気分を良くしてから、またいつもの己の日常へと歩き出す。


気が付くと、佐藤の上に、輪郭があいまいで、霧のような、影のような、かろうじて人型であることが分かる、黒い何かが乗っていた。それから伸びた手のような物が、佐藤の首根っこを、締め付ける様に捕まえた。


「……分かってるよ」


無表情で、その黒い物体の目と思わしき個所を、佐藤は諦観した目で真っ直ぐ見た。


「……でも、俺はちゃんと生きるって決めたんだ。貰った命を無駄にしないって。だけど――だからといって、自分がしたことを忘れるわけじゃない。ちゃんと――帰るから。帰って、全部償う」


ここがどんなに厳しい世界だったとしても、どんな理不尽な未来が待っていようとも。


「サトウ君……」


声がした。よく知っている声だ。その声に、目の前で自分の首を絞めていた影は一瞬でかき消された。佐藤は驚いて、慌てて声のした方を向いた。今の独り言が誰かの耳に入っていたんじゃないかと、そんな事を彼は心配していたのだが――


「これ何?……むにゃ」

「寝言かよ……」


目の前のベッドの上で、佐藤の気も知れず、気持ちよさそうに、酷い寝相で寝る彼女の姿を見て、安堵と呆れと、笑いの混じったため息を吐いた。彼女の寝顔を見るのはこれで二度目だが、前見たときのような美しさは欠片も感じず、ただただ惰眠を貪る女の姿がそこにはあった。ただ、佐藤は、今の事の姿の方が、本当の彼女の姿であるように感じた。彼女のそこそこ長い髪の毛はあちこちに散らばり、体に掛かっていたであろう布団は床に落ち、両手両足は落ち着きも無く広がり――品の欠片も無く、自由奔放なその寝相は、安心感すらあった。


「何だかなぁ……人がこうやって色々悩んでるってのに、気持ちよさそうに寝やがって」


そんな独り言をつぶやきながら、床に落ちた布団を拾って、彼女の体に深く、彼女が暴れても落ちる事の無いように掛けなおす。


(……やっぱ、無理だよな。巻き込めねえよ。俺がもし捕まった時に一緒にいたら、シルワさんだって……)


捕まってしまう。それだけで済めば一番楽かもしれないが、生憎、佐藤はこの国の法律を知らない。もしかすれば、彼女も佐藤同様、殺される可能性だってある。それだけは、避けねばならない。

口惜しさや、名残惜しさは、当然あった。彼女に対して恋愛感情の類は抱きはしていないが、それでもやはり、この世界に転生して、どうしようもなくなった時に助けてもらって、今もこうして、自分の為について来てくれる。そんな彼女に、特別な何かを抱かざるを得ないのは当然の事である。


(……だけど、そんな優しい人だからこそ)


――死んでほしくない。こんなどうしようも無くて、救われてばかりで、貰うことしか出来ず、誰かのために何も出来ない奴の所為で死んでしまうなど、あってはならない。


佐藤は階段を降りて、一階のカウンターに向かった。そこでは、白髪の老人が、変わらない様子でグラスを拭いていた。佐藤はその老人に、文字が書けない自分の代わりに、代わりに彼女へ宛てた手紙をお願いした。特に自分の状況を事細かに伝えることなく、簡単に先に帰る旨を書いてもらった。


「こちらで、以上になります」


老人がペンを元あった場所に戻して言った。


「ありがとうございます。すみません、文字が書けなくて」

「いえいえ、私の久々に公用語の練習になりました。最近は国同士の対立も深まってきて、前ほど旅人が来る機会が減りましたので……全く、平和に生きたいものですなあ」


と言って、老人は柔らかく笑った。その言葉は佐藤にとって皮肉でしかなかったが、それでも佐藤は、同じように柔らかく笑って返した。


手紙を受け取って、再び部屋に戻る。彼女を起こさない様に、慎重にドアを開けた。ゆっくりと、足を滑らせるように机の上まで進んで、手紙を置いた。

その姿勢のまま、シルワの方を見た。彼女は相変わらず幸せそうに寝ていたが、すでに体に深く掛けたはずの布団がズレて、肩のあたりが出ていた。


「さようなら」


部屋を出る直前、手紙では書くことが出来なかったその五文字を、振り返ることなく、小さな声で佐藤は言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る