第9話

「つ、疲れる……」


通行人に道を聞き、近くの宿を目指して大通りを歩いていた佐藤は、先頭をウキウキで歩くシルワを見ながら聞こえない様に呟やく。

ほとんどの物が初体験のシルワにとって、知らない物だらけのこの国は刺激的過ぎた。通りを歩く人達が公用語を話していないこともあるが、彼女にとっての全ての疑問の答えは、佐藤に委ねられた。

数メートル進む度に、彼女が知らない物があれば『佐藤君!これは何!?』と、質問攻めにされた。佐藤はなるべく彼女を失望させまいと、全ての質問に丁寧に答えた。佐藤が知らない物は、一緒になって考えることで解決した。

結果的に、百メートル進むだけで三十分程の時間を要した。最初は佐藤も一緒に楽しく彼女に教えていたが、流石にわんこそばのように質問攻めにされれば、誰だって音を上げる。彼もその例外ではなかった。

一時間ほど経った所で、ようやく彼女の質問攻めは終わりの兆しを見せた。それでも完全に質問が無くなる事は無くなったが、こうやって彼女の少し後ろで疲れを感じる余裕が出来た。


(あともう一つ。視線が凄い……)


元の世界の西洋人のような顔立ちが主流の彼らにとって、東洋人の佐藤はよほど珍しく――あるいは警戒されていたのか、すれ違う人のほとんどが佐藤に振り返った。ある程度仕方のない事だとは分かっていたが、ここまで熱意的な視線を注がれると予想していなかった佐藤は、正直うんざりしていた。


(しかし――思ったより、安定しているんだな)


大通りのを歩く人達の服装は綺麗で、肌艶もよく、極端に痩せてる人もいなかった。乞食やホームレスの類も見かけず、広場ではまばらだった人達も、大通りを数百メートル進む頃にはそれなりに混雑し、露店や市場はある程度の賑わいを見せていた。

歴史に詳しいわけではない佐藤が一目でそう判断できるほど、この国の人々は豊かであった。


(ひとまず当たりの国と言えるか……治安の悪い街じゃなさそうだし、この世界について何か情報を得られると良いんだけど……)


佐藤が一人物思いに耽っていると、前方から彼を呼ぶ声がした。


「サトウ君、サトウ君――あれなんだろう?」


と、前方の装置を指さして、シルワが言った。


「……何ですかね、これ。多分、魔法方面だと思いますけど……」


佐藤は装置に近づく。その装置は円形の金色の台座の上に、縦に伸びた八面体の結晶が宙に浮いて回転していた。結晶の上には、金の腕輪のような物が同じように宙に浮いていた。


シルワが結晶に触れる。触れた瞬間に、それが熱を持っていたかのように、シルワは手を引っ込めた。


「どうかしました?」


佐藤が聞く。シルワは自分の手を確かめるように眺める。


「魔力を吸い取られた……ちょっとだけだけど、この石、魔力を吸い取ってる」


佐藤も同じように結晶に指先で振れる。が、佐藤には、特に変化を感じなかった。


「うーん……俺は何も感じないですね……」


触れる面積を変えていろいろ確かめてみるも、やはり変化は無かった。




「それはねえ」


と、突然、背後から声がした。佐藤とシルワの間に割って入るように、長い黒髪を携えた女がそれぞれの肩に手を掛け、乗り出すようにして顔を突き出す。佐藤より五センチほど高い位置にあった目と彼の目が合う。黒いペンで強引に塗りつぶしたような、真っ黒という他ない目だった。


「皆から平等に魔力を吸い取る装置でねえ。ちょっとずつ魔力を吸い取って、この国が豊かになるために色々利用しているの……例えばあそこにある小麦粉みたいな国民が消費する食料は、これで生み出された魔力を使って作っているのよ」


その体勢のまま、倉庫のような建物にしまわれる小麦粉を指して女が言った。


「え、えっと……どちら様で?」


佐藤がどうしていいか分からず戸惑っていると、察したように女が表情を変えた。


「ああ――ごめんなさいね。つい逸ってしまったわ。私の名前はベリー……よろしくね?」

「は、はぁ……よろしくお願いします。俺の名前は――

「知ってるわ。佐藤君に――


女は佐藤の発言を遮って言って、そのままシルワの方を向く。手を伸ばして、わざとらしく頭を撫でた。シルワは動くことなく、上目使いで女を強く睨んでいた。


「シルワちゃん」


佐藤に見えない様に、女は不気味なほど口角を吊り上げながら言った。


「じゃあまた、運命の気が向いたら会いましょう」


と言って、女は人ごみの中に消えた。




暫くすると、シルワが突然、地面に膝と手をつき倒れこむ。脹脛が痙攣し、呼吸は荒く、頬を流れた汗が石で出来た地面を軽く濡らした。


「シルワさん!?大丈夫ですか?」


突然のシルワの異変に驚いた佐藤が聞いた。シルワは地面を焦点の定まらない目で見ながら、薄ら笑う。


「あいつやばいよ……全く気配なく現れたから、つい警戒しちゃったんだけど、その瞬間に体が突然重くなって、正直、立ってるだけで限界だった」

「……マジですか」

「うん……多分魔法だとは思うけど……出力が私とは桁違いだね……」

「――とりあえず、宿で休みましょう。立てますか?」


と言って、佐藤はシルワに手を差し出す。シルワはその手を支えにして何とか立ち上がるが、佐藤が手を離した途端に、再び力なく、人形のように倒れこみそうになる。佐藤が慌ててそれを支え、彼女の腕を肩にかける。


「肩貸しますから――もうひと頑張りです」


佐藤が少し口調を強めて言った。絞り出すような声でシルワがそれに答える。


「助かるー……ごめんね。情けない所見せちゃって」

「シルワさんで情けなかったら、俺はどうなっちゃうんですか」

「はは――確かに、どうなっちゃうんだろうね」


何かを思い出したように、唐突に彼女の頬が緩んだ。


「……そこは『そんな事ないよ』って否定するんですよ。後余計なことは思い出さなくてよろしい」


そんな中身のない会話を楽しみながら――もしくは、心の底にほんの少しだけ出来始めた小さな不安から逃れながら、二人は宿屋を目指して再び歩いた。


角を数回曲がると、通りにある民家を三つ四つ繋げたような建物が見えた。ただ、他の民家と違って清掃が行き届いているのか、新築のように綺麗であった。

酒を持った兵士の絵が描かれた看板の下にあるドアを、緊張しながら佐藤は開けた。中は広く、簡素な椅子と机がいくつか用意されていて、何人かがそこに座っていた。壁の棚に所狭しと並んだ酒瓶や木の樽、明かりの灯っていない、時代を感じる飾り気のないシャンデリアは、落ち着いているというより上品だった。そんな景色と同化するように木製のカウンターを挟んで、小柄な白髪の老人がグラスを拭いていた。

その老人は入り口に立っている佐藤と目が合うと、彼らの様子を特に気にすることもなく、柔らかい声で招き入れた。諸々の手続きを終えると、老人は佐藤達を二階にある個室へと案内した。


「部屋はこちらになります。もしよろしければ軽食も用意しますよ。と言っても、料金は別ですけど」


と言って、佐藤に鍵を渡した。お礼を言って鍵を受け取り、鍵を開けて中へ入る。


部屋には小さな机と、ベッドが二つ並べられているだけのシンプルな部屋だった。しかし、ベッドは綺麗に手入れされていて、机の上に埃のような物は全くなく、床は塵一つなく、彼の仕事ぶりが感じられた。

佐藤はそのまま、慎重に彼女を肩から降ろしてベッドに寝かせた。シルワは佐藤に短くお礼を言った後に、よほど堪えたのかすぐに眠ってしまった。

佐藤はもう片方のベッドに腰を下ろした。


(しかし……さっきの人、俺を抱えたまま数メートル飛べるくらい強靭な肉体を持つシルワさんを、ここまで追い込んだのは確かに凄いけど、俺たちの名前を知っていたのが気になる。俺たちの事を知っている誰かが彼女に言った可能性とか、そういう能力を持っている可能性とか、色々考えられるけど……一番気になるのは、それを知ってわざわざ会いに来たとこなんだよな。正確な理由は知る由も無いけど――多分、俺が転生者だからなのかな)


周りと違う姿をしているからなのか、名前が変だからか、転生者という存在だからなのか――いずれにせよ、シルワと彼女に接点が無い上、目的が佐藤だとするなら、その理由が転生者だからと考えるのが一番自然である。

佐藤は閉じた木製の窓をチラリと見て、蝋燭の火を消すときのように息を吐いた。


(あのクソ神様は、転生者は俺が初めてじゃないって言ってたよな。シルワさんも結構いるって言ってたし、この世界にも転生者は何人かはいるはず。彼女が転生者の何に惹かれたのかは知らないけど、この世界の転生者の立場を少し調べてみないといけないかもな)


佐藤は徐に立ち上がり、そのまま鍵を持って扉を開け、廊下に出た。


(あの爺さんに聞いてみるか。俺たちは客だし、優しそうだから色々教えてくれると思いたい)


そのまま廊下を進んで、角を曲がった所で、向こう側から来た人とぶつかりそうになった。すんでの所でお互いに止まって、反射的に謝る。


「すみません。不注意でした」

「いやこっちこそ――って、お前あの時の!」


そこに立っていたのは、二メートルは優に超えるであろう、その中身が一切見えない程、全身に重厚な鎧を着た人間だった。そしてその後ろには、ローブで顔が少し隠れた、小さな無表情の女の子が立っていた。

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