第8話

その花畑は、森の中にあった。

一面に様々な色の花が咲いていた。赤い花、青い花、黄色い花、白い花――様々な色の花が、乱雑に咲いていた。彼らは生存競争の真っ只中にいるわけだが、しかし、乱雑で無秩序ながら、まるで黄金比のような比率で存在していて、何かの一つの美しさに向かって互いに協力し合って咲いているようだった。


その花畑に、一つの小さな山があった。土で盛られた、三十センチ程の山だった。それに向かって、膝を折って手を組んで、目を瞑って祈りを捧げている一人の金髪の少女がいた。

少女が目を開く。その瞳は青かった。


「お母さん。今までありがとう。ちょっとだけ……ごめん。もしかしたらずっとかもしれないけど、世界を見てくる。ほんとはずっとずっと見たかったけど、どこか自分勝手な気がしてて……だから、サトウ君が元の世界に帰るまで、サトウ君のために――


そこまで言って、少女は憂いを帯びた目をした。


「いや、違うかな……結局、お母さんの言う通り、人は自分のためにしか動けないのかな……サトウ君に理由を押し付けて、結局自分が見たいから……なのかな」


分からないよ――と、少女が言った。

山は動くことも、やまびこのように声を返すことも無かった。



*   *   *



「ここがレグム王国なのか?凄いな……」


佐藤は思わず感嘆の声を漏らす。


その国――レグム王国は、一言で言えば圧巻だった。高さ三十メートルを優に超す城壁が、地平線のどこまでも真っ直ぐに続く国だった。

ここまでの道中、特に危険などは無く、ただひたすら歩くだけで、この国にいとも簡単に到着できた。佐藤からしてみれば、(旅用に荷物が多かったのもあるが)森を抜ける道のりの方がずっとずっと大変だった。

城壁は石で出来ていたが、一部、人や物資を出入りさせるためであろうか、鉄格子状の門があった。その近くにある一室に、佐藤達はいた。

机を挟んで、真面目そうな顔をした男と、佐藤達が椅子に座っていた。


「……とまあ、そんな訳で、この国に入りたいんです」


と、佐藤は軽装備の兵士に適当に作った理由を話した。


「ええ、構いませんよ。我が国は基本的に他国や他地域からの入国は全面的に許可しておりますので」

「それは助かります」

「書類をお持ちしますので、少々お待ちください」


と言って、兵士は奥に消えた。シルワが佐藤の脇を肘で小突いて話しかける。


「ねえ、どうだった?」

「多分、大丈夫だと思います。こちらの事情もあまり興味がなさそうでしたし」

「良かったー」


と言って、シルワは向きなおした。奥から数枚の書類を持って、兵士が戻ってきていた。慌てて佐藤も向きなおす。


「こちらの書類に、必要事項を書いて、拇印をお願いします」


と言って、目の前の机に紙を差し出した。


「(名前と……出身国、入国の理由、滞在期間……武器の携帯をしていないかのチェック欄……)」


思ったより普通だと、佐藤は思った。


「シルワさん、読めます?」


佐藤は小声で彼女に言った。シルワは、佐藤の方を向いて言う。


「うん、公用語で書いてる……けど、どうしよう。私文字書けないや……」

「あ……しまった」

「どうしたの?」

「俺も文字の方は書けないかも……」


試しに佐藤は、ポケットから紙を取り出した。『あ』とだけ書いて、目の前の兵士に見えない様に、机の影に隠してシルワに見せる。


「読めます?これ」

「……何これ?」

「やっぱりダメか……」


「どうかされました?」


目の前で堂々と不審な動きを見せる二人組を見て、警戒したように兵士は声を低くして話した。


「いや……えっと、文字が二人とも書けなくて……はは」


佐藤はなるべく嘘は避けた。ここで無駄に警戒されても仕方がない。追い出されたのなら追い出されたで、また新たに考えればよい。

それを聞いた兵士は、しまったと言わんばかりの顔をして、口調を元に戻す。


「ああ――すみません。配慮が足りませんでした。私がお書きしますから、口頭で答えてくれれば大丈夫です」


と、素直に謝った。


(……識字率高いのか?この国)


忘れていた、と言うより、この国の常識が世界の常識だと信じ込んでいる反応を見て、佐藤は思った。


「いえいえ、こちらこそ、すみません」


と言って、佐藤達は目の前の男に自分たちの身の上を簡単に伝えた。出身国に関しては、秘匿でも構わないとのことで、何とかなった。佐藤が伝え終わった後に、シルワが兵士に身の上を伝える。

兵士が代筆の対象を、佐藤からシルワに切り替えた時に――彼が少し怪訝な顔をしたが、その事に二人は気が付かなかった。


暫くして、書類を書き終えた兵士が、二人の拇印を取る。


「……はい、これで手続きがすべて終了しました。武器の類はこちらで預からせてもらいますが、出国の際に必ずお返しします」


と言って、兵士は彼らから武器を受け取る。と言っても、彼らが持っていた物は普段からシルワが使っていたナイフ程度の物であったが、それでもまるで高級品を扱うかのように、丁寧に兵士はナイフを受け取った。


「鉄格子の前にお立ち下さい。こちらで門は開閉します」




鉄格子の前に二人が立って暫くすると、金属と石が擦れる重たい音と共に、巨大な鉄格子が上にゆっくりと動き始めた。五メートル程上に上がった所で、音と共に動きを止めた。

門の向こうは、広場であった。放射状に延びた石畳の道に沿って、ファンタジーの世界を思わせる家が、規則的にかつ、対称的に、佐藤の視力では視認できない程遠い距離まで、まっすぐ伸びていた。

西洋の美とも言える光景に、佐藤は思わず圧倒される。巨大なビルを地表から見上げて、自分が酷く小さく感じるような感覚だった。実際には、その建物は高くても十メートル程であったが、数年程度の積み重ねでは決して到達できない、長い時間をかけてその光景が積み重なった事を佐藤は無意識に感じ取っていた。

凄い――と、佐藤は素直な感想を漏らした。佐藤の隣で、シルワは小さく口を開けて立っていた。


「どうですか?初めての国は」


佐藤が真っ直ぐ前を向いたままのシルワの横顔を見ながら、悪戯っぽく言った。


「――よく、分からない。凄い感じはするんだけど、何だろう……なんて言ったらいいのか分からないや」

(分からない……か)


シルワの感想を、そのまま佐藤は心の中で繰り返す。


(俺は日本の街並みを知っているし、馴染んでいるから、海外の街並みとか、ファンタジーの世界みたいな街並みを見て感動できるけど……確かに、彼女にはそういった『比較対象』が存在していないから)


だから分からない。と――別に彼女を理解したつもりではないが、シルワの感想を佐藤はそんな風に考えた。彼女の感性が今まで出会った誰とも違う事も少なからずあるのかもしれないが、こういう風に誰かの気持ちを理解しようとしたのは、彼にとって初めての経験だった。ただ、彼がその事実に気付くはずも無かった。


「とりあえず、この後はどうするんだっけ、サトウ君」


と言って、シルワが佐藤の方を向く。ずっと彼女を見つめていた佐藤は慌てて前を向きなおす。


「そ、そうですね、とりあえず、宿を取りましょう。お金はある程度あるんでしたよね?」

「うん。お母さんが用意してくれたんだよね。『いつか必要になるだろう』って」


と言って、彼女は小さな袋を取り出す。ジャラジャラと、金属がぶつかり合う音が鳴った。


「金貨三十枚――まあ、これがどれだけなのかは分からないけど、お母さんの事だから、多分ちゃんと考えてあると思う」


『お母さん』の言葉が出る時は――彼女はどこか誇らしげだと、佐藤はそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る