第7話
(やっぱり、そう考える方が自然……だよな)
すっかり慣れてしまった彼女の夕食を無言で口に運びながら、佐藤はあの時の事について考えていた。
冷静に考えれば当たり前の話ではある。ここは異世界。違う世界で、異なる世界。ともすれば、そこで使われている言語が日本語である確率はずっと低い。
『一つ能力を君にあげて、別の世界に行ってもらうことにしたってわけ』
あの時の憎たらしい声が、佐藤の脳内に響く。
(俺の能力は、そういう事なのか……?)
あらゆる言葉を日本語として認識する能力。
(……確か、掃除の時、この家にあった本を見たけど――日本語だったよな)
あらゆる言語を日本語として認識する能力。これが――これだけが、佐藤に与えられた能力だった。
(……確かに、与える能力としては、最も自然で、まともだ)
佐藤は、ますます思考に耽る。先程から佐藤の様子を怪訝に思ったシルワが呼びかけていたが、彼の脳には届いていなかった。
(わざわざ与えるんだったら、何の役にも立たない物を与える必要は無いし、あの神様が本当に世界の管理者だとするなら、強すぎる能力は転生先で甚大な被害を与える可能性がある。だから、強くは無くても役に立つ能力だと思っていたが――)
佐藤はそこで、何かが引っかかった。
(ちょっと待て、だったら何で――)
「サトウ君!」
大きな自分を呼ぶ声がして、佐藤の思考はそこで途切れた。目の前のシルワが、怪訝そうに佐藤を見つめていた。
「は、はい。何でしょう」
「ずっと手が止まってるけど、どうしたの?」
佐藤のスプーンを持つ手は、彼の口の前で止まっていた。
「あ……すみません。ちょっと考え事しちゃって」
「……あの時からずっとそんな調子だったけど、どうしちゃったの?」
「実は……」
佐藤はシルワに真っ直ぐ見つめられ、思わず言葉を漏らす。
「ふーん。なるほどねえ」
「どう思います?」
佐藤は素直に聞いた。
「どう思うって……まあ、その通りなんじゃない?」
適当とも言える調子でシルワが言った。
「シルワさんは、何語を話してるんでしたっけ」
「私は公用語だねー」
「どんな言葉なんです?どこで使われてるとか、誰が使ってるかとか」
「えっとね、確か世界の人達が意思疎通できるように作られた、極限まで単純化した言葉……とか何とかだったはず。実際に使ってる人たちは旅人とか、商人とか、世界各地を回る必要がある人達だけらしいけど」
考える素振りを見せながら、シルワが言う。
元の世界で言う英語みたいなものかと、佐藤はそんな事を思う。
「しかし、転生者にも祝福に似た力はあるんだね」
と、唐突に、シルワはそんな事を言った。
「祝福?」
「ああ――この世界にはね、祝福って言って、生まれ落ちたときに皆、固有の能力を持っているの。私はこれ」
と言った後に、佐藤の肩を何かが叩いた。
佐藤が振り返ると、どこからともなく現れた木の根に似た色をした蔓が、佐藤の肩を叩いていた。
「うわ。びっくりした」
「こんな感じで、蔓を操れる」
物珍し気に、佐藤が蔓を掴む、不思議な手触りがした。蔓と言ったが、木のような硬さは無く、寧ろタコの足のような、滑らかさと柔らかさを兼ね備えていた。暫く触っていると――
「あ、あの、サトウ君。くすぐったいから、あんまり触らないで……」
と、シルワが顔を赤らめ、顔を伏せて言った。佐藤は慌てて手を離す。
「す、すいません。まさか感覚があるとは思ってなくて……決してわざとじゃ……」
「う、うん。分かってる……」
二人の間に、また微妙な空気が流れた。黙ったまま、顔を見合わせる。
「ほ、ほら、ご飯冷めちゃうよ。食べよ」
「そ、そうですね」
* * *
寝ていた佐藤は、ツリーハウスの中の、木で作られた簡素なベッドで突然目を覚ました。目を覚ましてすぐに、自分の体が思うように動かないことに気が付く。所謂金縛りと言う奴だ。
佐藤は慌てるでも、焦るでもなく、またかと思った。
(そう言えば、ここに来てからは初めて見るな……)
現実と混ざり合った夢を見ながら、佐藤はそう思った。気が付くと、馬乗りのような形で、黒い何かが佐藤を支配するように上に乗っていた。重さがあるのかは分からないが、瞼一つ動かせなかった。
そのまま、黒い何かは佐藤の頬を押さえつける。そのまま何を言うわけでもなく、圧迫するように、黒い何かは佐藤をじっと見つめる。
暫くして、それがどれだけの時間かは分からないが、佐藤は現実に引き戻される。先程まで自分を見つめていた男は消え、体の支配も元に戻っていた。ベットの近くに置いてあった腕時計のライトをつけて、今の時刻を確認する。液晶画面には深夜一時と記されていた。
「……マジか」
軽く呟いて、佐藤は起き上がりベットに座る。
明日――と言うか今日だが、教えてもらったレグム王国へ出発する事になっている。そのため、なるべく早く起きるように意識して寝たのだが、思いのほか早く起き過ぎてしまった。
ひんやりと、冷たい空気が頬を撫でる。月の光が部屋の窓から差し込んでいたが、それでも一歩先が良く見えないほどに暗かった。佐藤は何となく外を散歩してみようと、目が闇に慣れるのを少し待った。
暫くすると、少し距離を開けて、自分の目線の先で寝ているシルワの姿が目に映った。
(そう言えば、シルワさんより先に起きたことって今までなかったんだよな……)
佐藤は、彼女の体に掛かっている毛布が、微妙にずれていることに気が付く。言い訳をするような発見であった。そのまま彼女のベットの近くまでなるべく音を立てない様に近づいて、彼女の体に掛かっている毛布に手を伸ばし、掴んでそれを深く掛けなおす。
そのまま、少し邪な気持ちを含んではいたが、彼女の寝顔を拝もうと、目を向ける。
彼女は――シルワは、泣いていた。
今までの彼女の言動からは想像もつかない、弱く、儚げに泣く女の姿が、そこにはあった。すするような声は無く、ひたすら透き通る透明な涙を流していた。
お母さん、ごめんなさい――と、何か夢を見ているのだろうか、独り言のように、彼女がそう言った。その光景を見て、佐藤には動揺や、罪悪感のような物など、全くと言っていいほど湧いてこなかった。
美しい。と、高貴とも言える姿で泣く彼女を見て、彼はそう思った。
彼は無言で部屋を出た。そしてそのまま、ツリーハウスを降りて、草木が寝静まる暗い夜を歩く。空に浮かんだ月は半分欠けていて、世界を照らすには足りなかった。
暫くしてから、
「お互い、苦労しますね」
と、ほんの少しだけ、同情を含んだ声で佐藤は言った。
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