第6話

「サトウ君、大丈夫ー?」

「大丈夫ですよー!」


商人に会うために、森を抜ける道すがら、シルワの声が辺りに響いた。少し後ろで、佐藤の声がこだまのように返ってきた。

シルワは迷うことなく、不安定で危険な足場を、昔から慣れ親しんだ、平坦な舗装された道路のように歩いていた。彼女は佐藤の事もあってかなり慎重に歩いていたが、それでも彼にとってシルワの速度は、追い付くので精いっぱいであった。

足が棒になる感覚と、足の裏の筋が引っ張られる感覚に耐えながら、佐藤は歩いていた。最初は景色を楽しみながら歩く余裕もあったが、今は足を動かす以外に思考の介在する余地は無かった。


シルワは、木の影が短くなっているのを見て、今の時間が昼であることを推察する。


このままでは間に合わない。と、シルワは直感する。商人とは別に契約や約束をしているわけではなく、ただ単に定期的にここを通るだけの話であって、この機会を逃せば次に商人がここに来るのは一か月後になってしまう。一生懸命に自分の後ろを追いかけている彼には申し訳なかったが、シルワはある決断をした。


「サトウ君、ここから少し先に開けた場所あるからさ、そこで休憩しようか」


暫く歩くと、岩や木の根が無い平坦な場所に着いた。空からは太陽の光が差し込んでいて、周りの木の葉が雲のようであった。佐藤は打ち捨てられたような丸太の上に腰を下ろした。シルワは全く堪えていないのか、そのまま立っていた。


「疲れた?」


シルワが佐藤に水筒を差し出して言った。鉄製で、蓋がついているちゃんとした水筒だった。佐藤はお礼を言ってから、蓋を何回か回して外し、中を水を貪るように飲む。


「慣れない分、結構疲れますね……」


軽く笑いながら、佐藤は言った。しきりに脹脛をさすって、少しでも疲れを取ろうとする。


「だったら、ここからは私がおぶるよ」

「へ?」


佐藤の口から、情けない音が出た。とは言え、180近くある佐藤からしてみれば、自分の目線の少し下にいるシルワにおぶられる発想は無かった。


「いやいやいや、流石に無理ですって。いやまあ、あなたほどの怪力なら出来るかもしれないですけど、色々不味いですって」

「何が不味いの?」

「あー、えっと……」


普通は男女の位置が逆だと言おうとしたが、その言葉にどれほどの説得力が含まれているか考えようとしたところで、虚しい結論に気が付いてしまった。


「別にサトウ君がどうしても無理ならいいけど、多分このままのペースだと今回は間に合わないよ」

「……次に商人が来るのは?」

「三十日後」


特に気にしてもいない様子でシルワは言った。

佐藤はため息を吐く。そのまま頭を抱え、軽く頭を掻いた。


「……お願いしていいですか」

「いいよー」


そんなわけで、彼女の背中に情けなくしがみつく佐藤と、何でも無いような顔でそれを抱えるシルワがそこにいた。


「サトウ君って結構軽いんだね」


佐藤を揺らして位置を調節しながら、シルワが言った。


「なら良かったです……」


恥ずかしさで死にそうになりながら、佐藤は声を絞り上げた。


「しっかり捕まっててよー」


トン。と、彼女は軽くジャンプした。それだけで、数メートルはあった木の遥か上に、佐藤を抱えたシルワが存在していた。


「は?」


慣性に引っ張られて、彼女の肩から佐藤は手を離してしまう。残った足を支えに、バンザイのような形で、彼の上半身は空中に投げ出された。彼の目に、わざとらしく太陽が映り込む。


「ちょっと待――


佐藤の声は、虚しく宙にかき消された。シルワはそのまま佐藤の足を力強く掴んで彼を支え、森の中へ突っ込む。


「ちょっと待ってええええええ!!」


そのまま、シルワは木の枝から枝へと飛び移って、凄まじい速度で森を駆け抜ける。佐藤の体は、彼女の着地や跳躍に合わせて上下に揺れる。下に揺れるたびに、彼の後頭部に太い枝が衝突し、上に揺れるたびに、顔面に太い枝が衝突した。

木の枝が綺麗に後頭部にクリーンヒットしたところで、彼の見ていた景色にノイズが走り、佐藤の意識は途切れた。



*   *   *



「……死ぬかと思いましたよほんと」


呟くように佐藤が言った。先程のダメージはある程度彼女の魔法で回復されていたが、それでも額に少しだけ傷が残っていた。


「……ご、ごめんなさい。初めてだったから気が付かなくて」


シルワが腰を折って丁寧に謝った。

佐藤はなぜだかその様子を見て、自分が間違ったことをしたかのような感覚に陥った。


「ま、まあ、怪我はなんともないですし、運んでくれたことは事実ですから、ありがとうございました」

「……うん、ごめんね。次から気を付けるから」


暫く二人はお互い顔を伏せて歩いた。罪悪感の枷が二人を縛っていた。


「あー、その、商人のお話聞かせてもらっていいですか」


焦燥感に駆られた佐藤が、言葉を発した。


「あ……うん。えっとね、ここの先に公道って言う、国と国とを繋ぐ道があるんだけど、30日周期で商人が通るんだよね。昔から――


昔から。その先を言おうとして、シルワは言い淀んだ。


「昔から?」


佐藤が反射的に聞く。


「昔から、色々良くしてもらってるの」


佐藤から目を逸らすようにして顔を伏せ、彼女は言った。



*   *   *



森を抜け、草原をしばらく歩くと、石畳で出来た幅八メートル程の道があった。道は二方向に、地平線の遥か向こうまで続いていた。広い草原にぽつりと、風景の一部のように大きな馬車があった。

佐藤達はその馬車に近づいた。はっきりとその姿が認識できるところまで近づくと、佐藤は引いている馬が生物でないことに気づく。青白く、体の向こう側が少し透けて見える馬だった。その馬を横目に見ながら、もう何でもアリだなと、そんな事を佐藤は思った。


「カートルさん、お久しぶりー」


御者の位置に座ってい、初老の少し太った男に、シルワは話しかけた。


「お久しぶりです、シルワ殿。今日は何用ですかな?」

「用って程大したものじゃないけど、ちょっと国に行きたくなっちゃって。だからこの近くの国の位置をを教えて欲しいの」

「それはそれは、素晴らしい。ここから一番近い国ですと、我が祖国レグム王国が一番ですかね。地図を渡しますから、お使いください」


と言って、シルワに折った紙を渡す。折った紙を広げ、不思議そうに彼女は眺める。


「地図は読めますか?」


その様子を見て、察したようにカートルが聞いた。シルワは首を横に振って答えた。


「この道をまっすぐ進んで、分かれ道を右に行けばすぐ着きますよ。歩きなら二日程ですかね」


馬車が向いている方を指して、カートルが言った。


「ふむふむ。ありがとう、カートルさん!」

「いえいえ、例には及びませんよ」


カートルが横で聞いていた佐藤をチラリと見てから、言葉を発した。


「そちらの方は?」

「ああ、こっちは転――


と、シルワが正直に言おうとした所で、佐藤は咳払いをした。


「……じゃなくて、旅人で行き倒れたサトウ君」

「恥ずかしい話ですが、森に入って迷ってしまって、死にかけた所を彼女に助けてもらったんです」


佐藤は話を終わらせるようにそれだけ言うと、シルワに耳打ちした。


「説明が面倒だから、転生者であることは伏せようって言ったじゃないですか」

「ご、ごめん。忘れてた……」


カートルは自分に聞こえない様に話をする二人の様子を見て不思議に思ったが、余計な詮索はしなかった。

その時だった。


「ねえ――サトウって言った?」


突然、荷台の奥から、声がした。声量は決して大きくなかったが、その場にいた全員の耳に響く、透き通った声だった。

全員が声のした方を向いた。荷台から身を乗り出すようにして、一人の少女が、顔を覗かせる。白い顔に銀色の髪。それと対比するように黒く、昏く光る目――端麗な顔立ちながら、どこか少女のあどけなさを内に閉じ込めたような顔は、全くと言っていいほど表情が無かった。

佐藤は思わず、彼女に魅入った。何故か彼女の目から、視線を外すことが出来なかった。


「えっと……言いました」


彼女から目線を外せないまま、佐藤は答えた。


「そう。ありがとう」


それだけ言って、彼女は佐藤から隠れるように荷台の奥に消えた。呆気に取られてる佐藤に今度は男の太い声が聞こえる。


「えーっと……サトウだったか?悪かったな!こいつはこういうやつなんだ。許してやってくれ」


今度は荷台から、全身が鎧で覆われた大男が顔を覗かせる。


「悪いなカートルさん。商談相手と関わるのは契約違反だってのに」


手を前に出して謝りながら、鎧の男がそう言った。


「いえいえ構いませんよ。商談相手と言うより友人と言った方が正しいですからね」

「そりゃ助かるわ。ありがとな」


と言って、鎧の男も同じように荷台の奥に消えた。


「すみません。先程の方は今回私の護衛を頼んだ人たちでしてね」

「あ、ああ。護衛ね……」


呆けたまま佐藤は反射的に答えた。そんな佐藤の肩をシルワが叩く。


「ねえ、サトウ君。今の女の子と鎧着てた人って何て言ってたの?」

「あれ、聞こえなかったんですか?」


佐藤が聞いた。シルワが困惑の表情を浮かべ、首を傾げた。


「いや、そうじゃなくて」


そのまま、首を傾げたまま彼女が言った。




「私とあの人たちって、使ってる言葉が違うじゃない?だから何て言ったのかなぁって」

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