第3話
どことも知れない森の中を鼻歌交じりに、今にもスキップを始めそうな勢いで、シルワが歩いていた。その後ろを、死人のような顔で、全身が燃え尽きたような佐藤がついていた。
彼は結局、あのスープをすべて飲み切った。直前まで、彼が彼女に対して感謝の気持ちを抱いていたことも原因の一つであろう。兎にも角にも、彼は飲み干したのである。地獄の窯で作られた溶岩の如き汁を、彼は彼女を傷つけたくないと言う一心で、彼は腹の奥に強引に流し込んだ。
(死ぬかと思った……)
ただ単に膨れた腹を抑えながら、彼女の料理は人を殺せると、彼はそう思った。ただ、それにしても一体全体、何故ここまで不味いものが作れるようになったのだろうか。という疑問は当然あるのだが、なんだかボロが出るのが怖かったし、一生この話題に触れたくなかったので、彼はとりあえず黙っていることにした。
「着いたよ、ここが私の家」
と、シルワが止まった。ずっと俯いたまま歩いていた佐藤は、思わず彼女に衝突しそうになる。すんでの所でブレーキをかけて、彼女まで残り数センチのところで止まった。
佐藤が見上げると、20m程の巨大な樹の上に、枝と葉に同化するようにして、家が建っていた。せり出した床の部分からは、梯子が地面まで垂れていた。
その光景に、佐藤は何だか感動を覚える。人間が機械もまともな道具も無い時代に作りあげたピラミッドを見て感動するような、そんな気分だった。
梯子をシルワが昇り始めた。少ししたところで、佐藤もそれに続く。下を見るのは怖かったし、上を見続けるのも何だか不味い気がしたので、少し赤くなりながら、自分の手と足だけを見て上った。
梯子を上りきると、そこにあったのは落とし戸だった。シルワが手で押してそれを開け、佐藤もそれに続く。中は意外と広かったが、内装は佐藤の想像した通りだった。彼が物珍し気に眺めていると、シルワが替えの服と、タオルを差し出してきた。
「取り敢えず、風呂に入ってきて。下にあるから」
彼女がほんの少しだけ微妙な顔をしていたことに、佐藤は気が付いていなかった。
ツリーハウスを下りて、彼女に言われた通りに暫く森の中を行くと、開けた場所に露天風呂が出来ていた。みる限り自然に発生した温泉のようであった。山のような場所ではなく、平野に出来た森に果たして泉源が存在するのかという疑問は彼の中にはあったが、数日ぶりの風呂に比べたら些細な疑問であった。
恐る恐る指先で温度を確かめてみる。想像以上の熱さに、彼は思わず指を引っ込めた。周りに誰かがいるとは思っていなかったが、何となく周りに注意を向けながら、服を脱いだ。全裸になって、足元から温度に体を慣らすようにしてゆっくりと、お湯の中に体を沈めていった。肩まで浸かった所で、長く、溜飲交じりの息を吐いた。実際に何かが進展したわけではないが、風呂に入っている時くらいは、すべて忘れていたかった。
10分程お湯に浸かって、そろそろ上がろうかと思った頃、草木をかき分け、こちらに向かっている音がした。敵襲か、それとも野生動物かと、佐藤が警戒する。
森の奥から、シルワが現れた。
「あれ、どうかしました?」
お湯に浸かったまま、首だけ向けて佐藤が答えた。何となく、無意識のうちに手で股間を隠していた。
何か忘れていたのか見落としていたのか、彼女がやって来た原因は何だろうかと、佐藤はあれこれ考えていたのだが──
「ああ、私も入ろうかなって」
と言って、シルワは服を脱ぎ始めた。佐藤は慌てて反射的に目をそらす。そらしたあとで、彼女を止めようと慌てて向き直す。
「ちょちょちょ、すとっぷ!ストーップ!」
両手で目を隠しながら、制止を促す。
「な、何?どうしたの?」
「どうしたもこうしたも無いでしょ!何をやってるんですかあなたは!?」
「いやだから、お風呂に入ろうかなって思っただけで……」
「いやいやいや!普通に考えて――
と、ここまで口に出したところで、佐藤はあることに気が付いた。
(――もしかして、知らないのか。生まれも育ちも森だと言っていたから、そういう常識的なことに疎いのか?)
頭がゲス方向に傾きそうになったが、彼にその後の罪悪感に耐える勇気も度胸も無かった。
「普通に考えて?」
「あー、その、男と女が一緒に風呂に入るのは不味いんですよ、色々」
何がどう具体的に不味いのか、彼の口から言うのは憚れた。
シルワはそれを聞くと、顰めていた眉をさらに曲げ、こう言った。
「……サトウ君って男なの?」
「そっからかーい!」
* * *
「なんか余計に疲れた気がする」
と、佐藤はお決まりの台詞をツリーハウスの椅子の背もたれに身を預けながら言った。あの後、結局佐藤がシルワに風呂を譲る形で、言い換えれば逃げるような形で、彼はその場を後にした。
ただいまー、と、女の声がした。声の方に佐藤が意識を向けると、艶っぽく、少し乱れた金髪で、肩にタオルを掛けた頭からほんのりと湯気の立ったシルワが、落とし戸から顔を出した。
佐藤はその光景を見て、心臓が跳ねた。風呂上がりの女の人って、どうしてここまで色っぽいんだろうと、彼は思った。
彼と対面する形で、シルワは椅子に座った。そのまま肘を机に当て、佐藤をじっと見つめる。暫く彼らは見つめあっていたが、佐藤がもどかしくなって目線を外す。
「な、何ですか?」
「うーん、やっぱ分からないなぁ。私が女なのはお母さんから聞いたけど、男の人がどんな人か聞いたことないんだよねー」
この人はどこまで俺で弄べば気が済むんだろうかと、彼はそう思った。最も、彼女の行動は天然の物であったし、佐藤もそれは分かっていたが、悪意のない悪意程厄介なものはない。
「ね、男と女の違いって何?」
「男の女の違い、ですか」
佐藤は手を組んで考えては見るものの、案外うまい返答というのは思い浮かんでこなかった。
「(うーん、何か、難しいな。一発でわかりやすいものがあればいいんだけど)」
佐藤は、服の上からでもそこそこの膨らみがある彼女の胸部を盗み見た。
「(まあ、無いことは無いんだけど……、ここまで羞恥心が無い人にそんなこと言ったら、見せてとか言ってきそうだしなあ……)」
最も、彼は女の子の前で下ネタの類の話題を話すことが出来ない男であったため、この理由付けは半分良い訳のような物であったが、どうしたものかと、佐藤は考える。
「顔つきとか、髪が長いかどうかとか……あとは」
と、ありがちな男女の特徴を並べ、続けてこう言った。
「力が強いかどうか……とかですかね」
その言葉に、シルワがピクリと反応する。
「ふーん、じゃあ力があるほうが女なんだ」
「ん?いやいや、逆ですよ。あるほうが男です。力というか、筋肉ですかね」
「いやー、サトウ君は強そうには見えないけど」
「なぬ。それは聞き捨てなりませんな」
わざとらしく佐藤が言った。
「これでも運動には自信ありますよ、俺」
「ふーん、じゃあ勝負しよ。何で勝負しようか?」
そんな訳で、佐藤とシルワの二人はテーブルを挟んで向かい合う形で、肘をついていた。所謂腕相撲である。
「一回勝負で行きましょう。後悔しても知りませんよ?」
「いいよ、後悔させてあげる」
佐藤は正直なところ、何でこんな事をしているのかいまいちよく分からなかったが、謎のノリが二人とこの場を支配していた。
「レディー、ゴー!」
シルワのその合図と共に、佐藤の手は凄まじい勢いで木製のテーブルに叩きつけられた。木が破壊される気持ちが良い音と共に、テーブルが佐藤の手が衝突した所から真っ二つに割れた。
「いっでぇえええええええええ!?」
佐藤の情けない悲鳴が、辺りに響いた。
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