第3話

「ん…。」

ぱちりと目開いた。こんな穏やかな朝を迎えられたのは、何時ぶりか。

ふっと、隣を見やると、可愛い息子は、まだ寝ていた。

起き上がると、直ぐ側に、水差しが置かれていた。

透き通ったガラスのコップに水を注ぎ、喉を潤す。

我が子が起きたようだ。抱き上げ、あやす。

しばらくすると、襖の向こう側から、声を掛けられた。

あの子の声だ。

「入っていい?」

「あ。はい。どうぞ。」

襖が開いた。膳を持ってきている。

湯気が立っていて、香りがしてくる。

「残して構わないから、食べなよ。卵のおじや。」

「ありがとうございます…。」

「火傷に気をつけて。ほら、お前、お腹空いたろ?ミルクだぞ。」

慣れたように赤子を抱き上げる少年。

失礼して、頂く。

お出汁の利いた優しい味。卵のふわふわとした食感と柔らかめのご飯が、お腹に優しい。



「昨日はバタバタしてたから、聞きそびれたけど、あんた、名前は?」

「あ!えっと…滝森美織たきもりみおりと言います。その子は、いつきです。昨晩はありがとうございました。」

「俺は、喜春。この旅館の息子。ちなみにここの旅館は、籠屋縁って言うんだ。急拵えで、昔の物置部屋に押し込んだ。」

「とんでもない…!!本当に助かって…。」

ポロっとまた涙が落ちる。

「…これ、着替え。着物着れる?うち。あんまり、洋服無いから。」

「…。」

「無理なら、手伝ってもらおう。まれ、この人の着付けやってあげて。」

襖の向こう側に待機していたらしい女性が入ってきた。

手には、涼やかな青色の着物と檸檬色の帯を持っている。

「着替えたら、また話さなきゃいけないことは、あるから。」

すっと少年…喜春は、出ていった。


稀さんに着付けして貰ったが、帯が苦しくない。なのに、ずれ落ちない。地味に感動する。

着替えると、そそくさと、稀さんは、出ていった。代わりに、また喜春が、入ってきた。

「長くなるから、茶を持ってきた。あんた甘いの?大丈夫?ここらで、土産名物になってる温泉饅頭があるから、食べよ。」

机にお茶と温泉饅頭が置かれる。

「本来なら、俺じゃなくて、母さん辺りがやるんだけど、今は不在だから。で、単刀直入に言うと、あんた、ここが、何処かわかる?」

「?」

旅館の籠屋縁と言ってなかったか?

首を傾げる私に、喜春は、言い方が悪かったと言う。

「何処から来た?」

「え?…○○○町。」

「今は、何年?」

「へ?2021年ですよね?」

「ここまで来る間、何かおかしいなって思わなかった?」

「…。」

聞かれた質問に、確かに、あの家から、ずっと走ってきた。無我夢中だったとはいえ、そんな遠くまで、逃げれない。

そんな距離感で、このような町を見たことはなかった。

静かな住宅街で、同じような家が建ってるような周辺で、古民家のような家は一軒もない。

「…ここはどこですか?」

「ここはね。隠れ里、桐ヶ谷きりがやだよ。あと、あんたがいた世界とは異なる。たまにいるんだ。あんたみたいに、紛れてやってくる人ってさ。多少の誤差はあるけど。」

「異なる世界…?」

「専門家じゃないからよく、わかんないけど、まあ要は、あんた、願わなかった?例えば、何かから逃げたいとか、絶ち切らせてくれとか。」

「…!!」

目を見張ると、喜春は、黙って、熱いお茶を啜る。

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