ちへいせん

ペグ、Kamakura

短編

 静かに、シャーペンや鉛筆を動かす音が教室を支配していた。僕も、ただひたすらにシャーペンを動かしていた。


 出席番号は27……名前の書き間違いはないな。


 僕は動かしていたシャーペンを机に置いた。中間テストの時間も残り五分、見直しをする気が起きないのでボーっと過ごすことにした。学年が一つ上がって高校二年生になった。しかし、特に楽しいことが起きない退屈な日々を過ごすこと考えると……


 酷く憂鬱な気分になった。




「あい、鉛筆動かすのやめー」


 教卓の前で僕らのことを見張っていた先生は、学校のチャイムと共にテストの終わりを告げた。


「後ろからテスト用紙を回してくれー」


 後ろから回されてきたテスト用紙を受け取り、自分の用紙を上に重ねた。


「テスト、どうだったよ」


 後ろの席に座っている、友人の友樹から小声で話しかけられた。


「んー、赤点はないかなぁ」


 僕はテスト用紙を前にぱっぱと回し、後ろに振り返った。テストが終わったからなのか、周りからもぽつぽつと喋り声が聞こえてきた。


「今日暇だったらどこか遊びに行かない?」


 テスト期間なので午前中に授業が終わる。家に帰ってもゲームは親に隠されてしまったので、気分転換のしようがないのだ。


「あー、すまん。今日も彼女と勉強が……」


 友樹は小声で謝っているが、口元は緩み切っている。


「まだテストは続いているからなー。静かにな―」


 少しざわつき始めた教室が、先生の一声で静かになった。僕も静かに前を向くことにした。テストがあるので寄り道なんかせず帰った方がいいのだろうが……


 こんな退屈な日常がいつまでも続くのだろうか。特に何かを知ることも、成すこともなく……死んでいくんだろうか。




「んじゃまたなー」


「またねぇ」


 僕は友人の友樹と別れ、一人で帰ることにした。


 他の友人から遊びに誘われたのだが、なんだか気乗りがしなかったので全部断ってしまった。


「まぁ、ゆっくり帰ろうかな」


 学校から家まで徒歩十五分ぐらいでたどり着く。ダラダラと歩いても三十分もかからないだろう。




 学校を後にして五分くらいたった。いつもと同じ帰り道をダラダラとあるいているのだが……


「こんなところに商店街なんてあったかなぁ」


 みた感じ、ほとんどシャッターが閉じている廃れた小さな商店街があった。普段なら興味を持たないし、中を歩いてみるなんてないのだが。


「暇だしなぁ」


 僕は廃れた商店街の中に足を踏み入れた。




「歩いている人が誰もいない……」


 屋根がついている商店街のため、陽の光があまり入ってこない。それに加え、普段見慣れないシャッター街。まるで別の、知らない街に来てしまったようだ。


 知らないところに来た高揚感もあるが、不良などとばったり会ったら嫌だし。気分転換にはなったし、もう帰ろう。


「おや、もう帰るのかい?」


「……っ!」


 突然、右隣から萎れた声のおばあさんに声をかけられた。




 おばあさんがいる方を見てみると。占いをやっているようで、机の上には「手相占い」と書いてある小さな看板が置いてあった。


「その年でここに来るとは……世も末だねぇ」


 おばあさんは訳の分からないこと言いながら笑っていた。


 僕は背を向けて、話しかけられる前にここを立ち去ろうとした。が、


「まぁ待ちなよ。今に退屈してるのだろう」


 僕はその言葉に、つい足を止めてしまった。


「ここに来るってことはそう言うことだろう……」


 おばあさんが近づいてくる。なんだかまずい気がしたので、逃げようとしたのだが。足が動かない。


「そうだね……今日の下校時間中だけ猫にしてしまおうか。そうすれば、ちょっとは退屈しないですむだろう」








『……あれ? ここは』


 いつの間にか商店街の入り口に戻っていた。それに、あの占い師のおばあさんと出会ってからの記憶があいまいだ。


『というか、なんだろう』


 自分の目線がおかしい。まるで地を這っているかのようだ。それに声も変だし、何より。


『自分の手が……毛深いし、肉球が』


 地を這っている。というよりかは四足歩行をしているようだった。


『とりあえず……あのおばあさんを探さないとなぁ』


 落ち着いているわけではない。むしろとても混乱している。ただ、頭の中がごちゃごちゃしているおかげで今後のことを考えるとかはなく。


 ただ、純粋に今のありえない状況に興奮していた。




 廃れた商店街を端から端まで行ってみたが、おばあさんの姿はどこにもなかった。


 それに、落ちていた鏡の破片で自分の姿を確認したが、黒猫になっていた。


『こんな野良猫がいたら、少しは騒ぎになりそうだなぁ』


 服は着ていないのだが、背中に小さなカバンを背負っている。カバンを取ろうにも、手や足が引っかかって取ることができなかった。


『学生服とか、どこに行ったんだろう……』


 背負っているカバンも、学生カバンではない。財布とか心配ごとは多いのだが。


『元に戻れるのかぁ』


 商店街を歩いていくうちに頭も整理されてきたが、今後のことを考えるとどんどん不安な気持ちになる。


『とりあえず……家に帰るかぁ』


 午前中に授業が終わったのでお腹が減っている。この姿だとキャットフードを食べることになるのだろうか。


『ここから離れてないし、早く帰ろう』


 僕はいつもと同じで違う帰り道を歩き始めた。




『猫って思ったより俊敏なんだなぁ』


 猫の姿になってからそれほど時間は経っていないはずなのだが、まるで昔から猫だったかのように動くことができる。


『今では塀の上にのぼっているしなぁ』


 大きな植木を見つけたときに、足掛かりにしてそのまま塀の上に登ることができた。


 家の中をジロジロ覗いても不審な目で見られることはない。


 それどころか……


「あの猫可愛くない?」


「ほんとだ!」


 野良猫がカバンを背負っている珍しい姿をカメラに収めようとしてくる。


 少し有名人になった気持ちになるのだが、時折たかれるフラッシュのせいで目がおかしくなってきた。


『ちょっと鬱陶しいなぁ』


 僕は素早く塀の上を走って、路地裏の入り口に立った。


「あ、行っちゃったぁ」


 路地から名残惜しそうな声が聞こえるが、気にせずに奥に進むことにした。




 『思ったより暗いなぁ。まるで夜みたいだ』


 人間じゃ入ることができない場所なので、キョロキョロと周りを見渡す。


 家のすぐ近くだというのに……狭く、陽の光が入らないだけで別世界に来たようだった。


 普段からよく見ている室外機も、水道管も。家の壁すらも別物に見えた。


『んにゃ!』


 暗闇の中で心躍っていたのだが、想像を超えて虫がいた。


 少しよそ見をしていると、虫を踏んでしまいそうになる。


『今は裸足だし、踏みたくないなぁ』


 普段とは少し違う帰り道を、今はただゆっくりと楽しんでいた。




『もうすぐかなぁ』


 裏路地も少し開けてきた。おそらく二人ぐらいなら歩けるぐらいはあるだろう。


 そしてこの路地裏は見覚えがある。


『道あってるか心配だったけど、よかったぁ』


 近くの換気扇から食欲をそそられる。肉を炒めている匂いがする。


『路地裏から見るのは初めてだなぁ』


 自営業の小さな飲食店。家族の帰りが遅いときにはだいたい、このお店でご飯を食べる。


 それぐらいよく行く店なのだが、裏側を見るのは初めてだった。


『……お腹減ったなぁ』


「カバンを背負ってる猫がいる……」


 店の前でボーっとしていると、店員さんから声をかけられた。


『同い年ぐらいかな? 美人さんだなぁ』


 この店にはよく行くが、この人をみたことはない。きっと最近入ったアルバイトの人だろう。


「お腹がすいてるのかな? それにそのカバンの中には何が入っているんだい?」


 店員さんはそう言いながらしゃがみ込み、僕の顔を撫で始めた。


『女子にこんな近づくのなんて、初めてかも』


 きっと黒猫だから顔が赤くなってはないと思うけど……


「この子が食べれそうなものとか、何かあるかな?」


 店員さんはお店の中に入っていった。


『キャットフードとか食べたくないし……早く帰ろう』


 僕はそう思い、路地裏を出た。








「これなら食べるかな……ってもういない」


「あれ? この学生証って近くの学校のやつかな?」








 写真を撮られることにうんざりしていたので、道中はなるべく目立たないように歩いて行った。


 途中、猫らしい悪戯をしてやろうかと思った。が、罪悪感のほうが勝ったのでやめた。


『なんか長い道のりだった気がするなぁ』


 空を見上げると、太陽はまだ真上に登っている。きっと時間的にそんな経っていないのだろう。


『なんとかついたぁ』


 疲労感がとてもすごい。しかし、達成感も同時に感じていた。


『とりあえず、家に入るかぁ』


 もちろん猫の体で玄関を開けることはできない。だが、窓の隙間からなら入れるだろう。


『僕のことだからきっと……』


 予想どおり、自室の小さな窓が開いていた。もちろん人間が通れる隙間ではないが。


『今なら楽に入れるなぁ』


 近くにある室外機を利用して、窓に手をかけ。うまく部屋の中に入ることができた。


『これって土足になるのかなぁ』


 窓から入り、近くにある勉強机に着地する。そして自室の床に足をつけた。


「とりあえず帰宅はできたけど、何食べようかなぁ」


 とりあえずキッチンに向かおうとした時、異変に気付いた。


「あれ? 目線が高いなぁ」


 さっきまでの地を這うような目線ではなく、しっかりといつも通りに戻っていた。


 声も元通り、手も肉球はついてない。いつも通りに戻っていた。


「……服もきてるなぁ」


 なんだか、突然のことで。今まで出来事は想像の産物なのではないかと思うほどだった。


「夢。 ではないよなぁ」


 釈然としないが、元に戻ってよかったと思うべきなのだろう。


「せっかくだし、いつもの店で腹ごしらえしてから。 さっきの商店街に行ってみようかなぁ」


 さっきと同じ下校道を、いつもと同じ姿で。


 それでもさっきとは違う道を、僕は歩き始めた。

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