孤独のテルマエ

 大男が湯の中でえいと腕を振る。大きな波が立ち、数人を飲みこむ。洗い場から新たに一人、サルのような身のこなしの男がボディプレスの要領で大浴場に飛び込む。そこそこ高く上がった湯柱に男達はげらげらと笑いながら、部外者などいない大浴場の中で、心底楽しそうに遊ぶ……。


 俺はいつもの光景にげんなりしながら、バカどもに巻き込まれないように風呂場を出た。


 大学寮の風呂は共用だ。20を超えるたくさんの洗い場と、馬鹿みたいに大きな風呂が一つ。湯が張られるのは16時から24時、それ以外の時間はシャワーのみだ。寮生達は講義から帰って来て、仲の良い者達で集まって一斉に風呂へ向かう。

 風呂場にはルールなど無い。しん、と静かに入るグループもあれば、何が楽しいのか、風呂で暴れて湯をかけあって遊ぶグループもある。サルでも静かに湯につかるというのに、獣以下の蛮族どもめ。


 俺は風呂好きだ。熱い風呂に、静かに一人で入るのが好きだ。

 だから一度、早朝に勝手に湯を張って一人で入っていたことがあるが、寮長にバレて大目玉をくらった。1週間、風呂場を出禁になり、仕方なく近所の銭湯を使う事になった。

 そこで俺はとっておきの風呂を見つけたのだ。一人だけの大浴場。それも露天風呂だ――。


 朝4時。セットしたタイマーが鳴る。眠い目を擦りながら急いでジャージに着替えて、長靴と厚手のゴム手袋を持ってバイト先へ向かう。

 着いた先はいわゆるスーパー銭湯だ。食堂と一体になっていて、風呂のついでにモーニングが楽しめると評判だ。

 4時20分に始業。今日は露天風呂の清掃日。

 湯の抜かれた風呂にアルカリ性の洗剤をまいて床はデッキブラシ、内壁はたわしで擦る。常に中腰の過酷な労働だ。風呂場が終われば、銭湯の地下へ行き、ボイラーのスイッチを入れる。

 湯を張っている間に内浴場の洗い場と床の清掃を済ませる。床の清掃にはポリッシャーをつかう。これは円形のデッキブラシが高速で回転して床を磨く機械で、水平を保たないとあっという間に右へ左へ暴れて制御不能になる。

 重労働は約3時間続く。へとへとになりながら清掃を終え、客を入れる10分前にバイトチーフの点呼とともに終業。


 解放された俺は着替えを持って急いで浴場へ向かう。

 そう、これは清掃バイトの特権だ。賄い代わりに風呂に入れるのだ!


 待ちに待った時間。俺は手早く体を流すとすぐに露天風呂へ向かう。客が入ってくるまで、あと10分。スーパー銭湯の1番風呂を独占する。金では買えない娯楽だ。給料ではない。この時間のために働いている。


 俺だけの露天風呂テルマエに手も足も大きく伸ばして悦に浸る。極楽かな。極楽かな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る