第3章 ゆかちの場合

 わたしは魔法使いが主催する占いの塾に入塾する。その為に、長距離バスに乗って北に向かう。いままでオンラインで自分事だけを先生に占ってもらってたけど、ちゃんと他人事を占えるように、基礎から学びたいと思った。ほんとは、競争率も高く、そんなに簡単に入れる塾じゃないんだけど、すでに先生からはオンラインで学んでたので、先生推薦ということもあり入塾できた。この大切な時にチャンスに恵まれたのだから、しっかり学んでこようと思う。


 旅立ちのバス停は泊まったコリビングから徒歩で5分ぐらいの階段を登ったハイウエイの所にあった。この辺、バックパッカーが多いことで有名だから、いろんなところに行くバスが、途中で止まってくれるのだと思う。

 ちょとだけ重たいガラガラ音のするキャリーケースを引きずりながら、バス停に着いた。電子書籍を読みながら、少し待ってると、静かにバスがついた。今どきの車は、大型車でも音がしない。昔みたいに内燃機関じゃなくってモーターだから。って内燃機関の車みたことないけどね。授業でならって知っただけ。


 キャリーケースはバスの座席の下にある、トランクにいれてもらって、貴重品のはいったサコッシュとバスの中で読むタブレットにはいった電子書籍だけをもってバスにのった。バスはネットにつながってるから、読みかけの本や、ライブラリーに積読になってる本もダウンロードして読める。


 バスに乗る人はわたしだけ、指定席に座ると、バスはドアを閉めてするすると動き出した。速度制限のないハイウェイだから、早い車が走る車線に移動して、順調に速度を上げていく。昔はバスの旅は、酔うし、エコノミー症候群になって大変だったらしいけど、今どきの長距離バスは、シートも独立だし、カーテン閉めれば個室みたいだし、シートはフルラットになってベットみたいだから、むかしのエンジンっていうやつ?の振動もないので、超快適。だから、若者だけじゃなく、結構普通のひとも利用してるみたい。深夜便だと、一泊宿泊代が浮くしね。


 わたしが乗ったのも、ほぼ深夜便。到着は明日の10時ぐらい。でもかなりの長距離だから、深夜に乗るじゃなくって、早めの夕方にバスステーションを出発する。わたしが乗ったのはバスステーションの次ぎの乗り場のなるので、30分遅れで乗った事になる。


 本を読むと、眠くなるのは鉄板。夕ご飯は、早めに食べてきたので、いつもより早く眠くなった。さすがに紙の本と違って、寝落ちしてタブレットを落として壊すのは嫌なので、素直に諦めていったんタブレットを前の席の背中についてる網にいれて、配られたブランケットを胸までかけて、室内灯の電気を消すことにした。おやすみなさい。


☆ 


 遮光カーテンを合わせたすき間から、朝の日差しがしっかりと私のおでこにあたってた。もう少しで到着かも。

 バスの旅なのに、意外とぐっすり寝れた。でも、空調がすこし効きすぎなのか、うっすら寝汗をかいたみたい。暮らす場所についたら、部屋に荷物を置いて、まずはシャワーを浴びたい。

 わたしが暮らす場所は、コレクティブハウスってところ、シェアハウスより、もう少しプライベートがある。共用のリビングやキッチンがあって、たまに棲んでるひとと一緒にご飯を食べる会とかあるけど、部屋には鍵をかけられて、トイレやお風呂、ミニキッチンそれぞれにある感じ。イメージとしては独身寮とか、シルバーハウスに近いかも。でもシェハウスには若い子しかないないし、シルバーは、シルバー世代向けだから、当然世代が片寄る。コレクティブハウスはその辺の世代バランスを気にするので、子連れが大きな部屋にいたり、若い学生も暮らしてる。そういう世代を横断する感じがとても暮らしを豊にするんだって、空室を問い合わせた時にオンラインミーティングで、そこの暮らしを支援してるコーディネータの人が言ってた。


 私はそのコレクティブハウス「ノースフォレスト(北の杜)」で暮していく。当然、ホテルやホステルじゃないから、賃貸借契約だし、住民票も移動できる。正直何年暮らせば自分の体や心の置き所がわかって、それでやっとやりたい事が見つかり、見つかったものを突き詰めて修行して一人前になれるんだから、それなりな時間をここで暮らすんだろなって思ってる。


 軽くシャワーを浴びて、もってきた服に着替える。大きな荷物はあした宅配便で届くはず。一応、同じ国ではあるけど、自主権が認められた地域だから、バスの旅ではパスポートを預けるので、そのままノーチェックでいけるんだけど、荷物はそうはいかない。

 

 前に別な旅で安いバスで国境を越えたとき、機関銃をもった兵士がバスにのりこんできて、「パスポート・コントロール!」って叫んだときは、正直怖かった。実際に、独り外人ぽい人が捕まって、バスから降ろされて、首の後ろを握られたままどっかに連れて行かれたのを見てたから、ちょっとトラウマ。


 でも荷物は大丈夫だと思う。特に怪しい物は入れてないから。さっぱりしたところで、薄めメイクをさささっとしてから、毎日、通うことになる、塾にいくことにした。


 住まいと、塾は徒歩5分ぐらいのところにある。 バス停はノースフォレストのエントランスを抜けて、アプローチを過ぎたところにある。塾の前にもバス停があるし、いくつもの路線のバスがこの間を通るので、そんなに待たなくでもすぐ乗れて、あっというまについちゃう。大昔のマンガでいうことろのどこでもドアにみたい。


 塾の名前は、「ラズベリーラブ」まったく占いや魔法を学べる感じがしない。創立した人が、大のラズベリー好きだったからみたい。


 来たバスを路線の確認もせずと飛び乗る。乗ってかこの系統が、ラズベリーラブ前にとまるか確認する。ほぼ9割が塾前を通るのだけど、1系統だけは違うみたい。程なくして通りは大きく右に曲がって、しばらくするとラズベリーラブの前に着いた。誰から降りますボタンをおしえてくれたので、何にもせずに、ただ電子マネーで運賃を支払って、バスを降りる。多分この辺は駅から、ノースフォレストのちょっと先までの循環バスが多いので、大体どこでおりても同じ金額のような気がする。


 ラズベリーラブという言葉の通り、塾のファザードは、ちょっとくすんでるけど透明感のある赤むらさきの建物だった。派手かなと思ってたけど、そうでもない。妙にしっくりくるし、ここに通うんだっておもたら。すごくワクワクしてきた。


 玄関からはいると、

「見学の方ですか」

 と事務所の人から声をかけられる。

「秋入学のものなのですけど、通学路を調べるついでに、塾にも来てみました」

 と私。

「それでは、ここにお名前といまの時間を書いてもらって、お帰りになるときには、終了時間を書いてもらえますか?

いまの時期は、専門教室は空いてないけど、教室は見れますよ」

 と事務員さん。

「ありがとうございます!」

 といって、名前を書いて、まずは教室を目指すことにした。


 教室は、物心つく前から通ってた地元の学校とそんなに変わらない感じがした。廊下には個人別の鍵のかかるロッカー、15人ぐらいが、丸く輪になって座れる教室の広さ、ミニテーブル付きの折りたたみ椅子。移動できる電子黒板(黒板っていうけど実際は映像が表示できるホワイトボード)その辺は全く同じ。 唯一ちがうのは、理科室でもないのに、部屋の片隅に等身大の人体模型があったことだけ。多分見た教室は、魔法使いになるためのクラスなのだと思う。わたしが通う、占い師向けのクラスにはないんだろうなって思った。  


 ☆


 一週間なんて、すぐに過ぎ去っていく。積読なってた本を消化しようと思ってたけど、結局、読み切れたのはバスの中で読み始めた1冊だけ。大昔と違って、いまは紙は貴重品だから、基本は電子書籍。だから積んどくっていうけど、詰めないのでプレッシャがない。ただ、メインライブラリーの中の本が多くなってしまい、読みたい本を探すのが大変になるだけ。ちゃんとカテゴリ別に分類したり、タグ付けしたりして保存すればいいのだけど。結局、検索して探す感じ。


 授業が始まる。


 最初は自己紹介とかしながら、ゆっくりと進むのかと思いきや、いきなり初日から宿題がでた。ネットの転がってるホロスコープ作成サイトをつかって、自分のホロスコープを作成して、なぜ、数あるホロスコープ作成サイトの中で、なぜ、そのサイトを選んだのか、二百字以内で答えると言う課題だった。


 たしかに、「ホロスコープ 無料」で検索すると、沢山のサイトが結果として表示される。生年月日だけで結果表示するサイトもある一方、出生時間と生まれた場所の緯度経度まで必要で(緯度経度は病院の場所とかがわかれば、地図サイトで調べる事は出来る)結果は、各天体がどの星座かを表示するだけでなく、アスペクトといわれる、星同士の角度についても、しっかり表示される本格的なものもある。


 そもそもなんで星占いかというと、古い東の国で占いはは5つに分類されてた。生年月日でみる人生のシナリオ「命術」、偶然の中の必然から占う方「卜術」、外見や見た目から占う「相術」、病気を治すこと、方法「医術」心と体を鍛える方法「山術」の5つだ。星占いは、生年月日でうらなうから「命術」。

手相は「相術」、ヨガは「山術」になる。拡大解釈すれば、けいとがやってるサーフィンも「山術」かもしれない。けいと、メンタルバランスとかすごく気にしてたモノなぁ

 

 わたしは、少し知識があったら、本格的なサイトで調べてみた。自分の産まれた生年月日だけでなく時間も場所もしってたから。なぜかって、旅にでるときに、私の母子手帳を両親が記念にってくれたから。

 でも、星それぞれの役割を覚えるだけでも大変なのに、アスペクト(星同士の角度)なんてチンプンカンプン。三十度や六十度、一二〇度は吉角で、九〇度や一八〇度が凶角だってことだけは覚えてる。でもプラマイ三度以上ずれてれば、アスペクトとしてみない(角度や星によってはもっと厳しく考える人もいる)のが流行なので、ちゃんとアクスペクトになるのは、そんなに数はないかもしれない。

 

 まぁそんなことで、占いっていうのは、いろんな見方からみれるというのが、本当の占いなので、星占いをメインにしてる人が、実は風水もやるっていうのは別に不思議じゃない。


 そんな知識を初日に教えてもらった後、さっそく「命術」の代表でもある星占いで自分を占ってみるようにという宿題がでた。「命術」それも占星術からはいるのは、占いの入口としては良いともう。言い方が偉そうだけど。

 星占いは、スピリチャルなものというより、天文学であり、統計学でもあり、心理学や精神医学とも通じると思う。まだ暦がなかったところ、唯一天体の動きをみて、暦の代わりにしていた時代があった。その頃は、天文学と星占いは多分同じだったともう。天文学者か星占い師か分かんない人が、この星の動きからすると、、いまが、種まきに最適でございます」とか、王様に答申して、「よし庶民のみんな、種まきをせよ」なんとお告げをしてたのだと思う。

 そんな大昔から、天体と人の運勢を蓄積していって、こういう傾向があるというのをあぶりだしてのが、今の占星術じゃないかな。 ようするにバイオリズムのもっと膨大な情報の蓄積したものと思えば、スピリリャルな物が嫌いな人でもはいりこみやすんじゃなかな。だから、どんな人でも自分の星座(この場合、大きい太陽の星座)を知ってるいうのはそういう訳なんだ。


 と言うわけで、自分のホロスコープを描いてみた(そういうサイトで生成させた)別に何度も見てるホロスコープ。それじゃつまんないから、現在進行中のホロスコープ(トランジット・進行図)との関係とか作ろうか思ったけど、ちゃんとそれを読めるかっていわれると、出生図を読むのがいっぱい、いっぱいで、それで、わざわざこの学校に来たのに、最初から、知識さらけだして、あいつには、もう教えることないから、こっちの落ちこぼれに、教えなきゃとか思われると、授業料がもったいないので、ちょっと初心者ぶりっこすることにする。でもこのサイトを選んでる時点でバレると思う。

 結局、ホロスコープなんて、いまは無料で自動的に作ってくれる。昔は天文暦とか分厚い本を調べながら(まさに天文学の本だ)手書きで描いてたらしいので、それを作る事自体に意味があったけど、いまはそうではない。結局、ホロスコープの最初の星読みを相手に伝えたあと、どういう反応(合ってる、その通りとか、ちょっと、違和感あるかもとか)」を経て、詳細な星読みをする。それって、精神臨床学の箱庭療法とか、ロールシャッハテストに近いしれない。だから、学校のシラバスには、心理学や臨床心理士の受験内容に近い授業もあるのだ。実際、臨床心理士希望者向けの補講もあるぐいらい。


 わたしは、臨床心理士をとるほど真剣ではないけど、私が占ったことによって、クライアントはなにがしかの影響をうけるわけだら、安易に占いたくない。さらに占ったことで、自分も少なからず影響をうける。臨床心理士は定期的に、おなじ臨床心理士どうしから、定期的にカウンセリングを受けて、自身のメンタルが大丈夫か常に調べるらしい。私はそういうのが占い師にもあってもいいような気がする。

 

 最初の宿題は、やってくることに意義があるだけのようで、提出しただけで終わった。下手にあのサイトを選んだ事が、友だちにばれて、自慢げにしたい気持ちが、バレなくってよかった。ほんと、スクールカーストでどの位置にいるのかとか、気にしちゃうのは、とっても嫌だ。頂点にいるのも、底辺にいるものしんどい。できればそのカースト制度の外側にいて、無責任な傍観者でいたい。バンドやってて、クラスのイベントにはほとんど参加せず、楽器屋にいりびたってた、うちのパパのような感じに似てるかもしれない。


 とはいえ、塾は専門学校だから、人間関係は結構自由な感じな感じだし、そもそも一クラスの人数が、子どものころにいてった学校より全然少ない。だから、いじめとか起こらないんじゃないかな。嫌な子なら、付き合わなきゃ良いだけ。

 授業では、まずは占星術をきちんと占えるように学び、さらに、5つの分類から、タロットカードやインナーチャイルドカードと、風水を学ぶ。その後は生徒がそれぞれ、占いたい方法を専科として先生について学ぶ。占星術を極めたい人、また違う占いのほうがしっくり来る人、はたまた、結果を伝えるコトに興味がわきて、臨床心理士を目指す人などなど、本人の興味にあわせてじっくりまなべる。基礎科2年、専科1年の3年コースだ。


 最初に学ぶ占星術は、実は占いの中でも異端だ。なぜなら、とても科学的で理系的な頭を使うから。スピリチャル大好きっ子が、この学校の門を叩いて、いきなりこの授業を受けたら、驚いてついて行けないかもしれない。


 今暮らしてる足の下にある星を中心にホロスコープを描くスタンダードな方法のほかに、頭の上で光ってる太陽を中心に占う方法もある。でも私たちが暮らす世界は、太陽は、大きな太陽と、小さな太陽がある二重恒星だから、どっちで占うかによって、またホロスコープが違う。どれかを選ぶのではなく、どれも見てみて、その差分や重なる結果を重視して、星読みをする。そう、肝心なのは「星読み」の部分だ。


 授業は、各星のもつ意味、各星が入室してるハウス(12分割した小部屋)、星と星の角度(アスペクト)、360度それぞれの各度が持つ意味(サビアン)などを総合して占う。ホロスコープ生成サービスサイトや、アプリなどで、出生データをいれれば表示されるってことは、前にも言ったと思うけど、ほんと一瞬で表示される、しかしアスペクトなどが細かに絡み合ったホロスコープを読み解くには相当な実力がいる。それが、今現在や将来のこと、はたまた相性なんてことを占い場合、ホロスコープが2重円、3重円になるわけだから、それは、もう素人には混乱しまくるわけだ。

 でも、授業を聞いてると、全部の星を読み解く必要は、そもそもないみたい。ポイントなる星とアスペクトを読めば、大まかには分かる。遠くの星は1周まわるのに、何年も何十年もかかる。個人の意味というより、世代の意味だったりする。だから、比較的近くの星をよく読めばいいみたいって事がわかってちょっとホットした。

 ホロスコープには当然、ネガティブなことも、ポジティブな事も現れる。たとえば、ある年の、6月16日午後に産まれた私の星々は、上(天頂)に多くの星が集中していて、下に試練を意味する星が1つだけある。先生曰く、かなり珍しいらしい。

 先生はやんわりってたけど、恋愛にせよ、仕事探しにせよ、必ずなにかの障害が起きる。中でも癒やしを意味する星がMC(天頂)にいることで、人間関係でトラブルが多い。でもそれを乗り越えることで、自分にも自信が付き、人にも優しくなれて、まさに癒やしを与えられる人になれる。そういう先生の星読みに、感銘をうけたし、壁を1つ乗り越えていけそうな気がした。


 授業は大型ディスプレーが埋め込まれた壁に、名前を伏せたら形で、生徒のホロスコープを、大きく表示して、そのかなで、1,2点、特徴のある星やアスペクトを取り出して、星読みの例を提示しながら、生徒からの質疑応答に答えるという形式だった。これを体験してみたあと、記号の意味からはじまり、さっき言ったハウスやアスペクトをいったん、整理して、体系的に学ぶみたいだった。でも私は今の授業が実践的で好き。だって用語の意味は教科書を読めばわかるもの。



 基礎科の2年がすぎ、専科を選ぶ頃、応用的な占いのため、2重円や3重円をつかって、相性や未来を占う事とが多くなってきたい。その時に、わたしの出生図、けいとの出生図、現在のトランジットを使う事が多くなった。けいとの誕生日は普通、一緒に暮らしたのだから知っててあたりまえだし、出生時間は、前、学校で占いがはやった時に聞いてた。産まれた場所はみんなおなじ病院。なので、つかいやすかったの。


 けいととわたしの相性はとてもいい。気持ちいいぐらい、私の出生図の問題点を、あの子がフォローしてくれてる。もしかしたら、ソウルメイトなのかもしれない。要するに前世とかで繋がってたのかもってこと。とくにわたしの制限を司るする星と、けいとの幸運を司る星の相性がよく、私の制限を取りのぞいてくれる。一方、わたしの、恋愛や奉仕をする星が、けいとの内面を司る星と相性がいい。こんなに出来てる関係ないか思ってた。昔から、カナ、けいと、わたしは、ほんと1歳児のころから、なにかかけてつるんでて、まるでどっかのコメディアンのユニットみたいだった。3人の間には、笑いが絶えなかったし、どんな人に言えない悩みでも共有して、みんなで解決してた。もちろん、カナのホロスコープとも相性はいいけど、けいとほどシンクロ率は高くない。やっぱ、わたしたちの間にはなにかあるんだ。


 専科の授業は、基礎科とはちがい、まず自分でテーマを考え、それを指導教官に承認してもらったら、調査、分析、考察、執筆と言う流れで、まずは論文の形で報告書をまとめ、それを指導教官に意見をもらって、なんどかブラシュアップしたり、調査が足りないところをさらに詰めたりすることが中心だった。

 わたしは占星術を極める。とくに星読みの部分の客観的な方法として、どのような方法があるのかというテーマにしてみたいと指導教官に伝えた。教官は、まだまだ抽象的で幅が広すぎるから、そのままでは論文化するのは難しいと思うよという意見だったのだけど、それは分かってたので、調査分析のところで、もう少しテーマを絞って、まとまったところで、もう一度、指導をお願いしますといったら、それならOKってことになった。

 

 調べるまでもなく、まず星々の持つ意味を理解することが重要。そもそもその星はなぜそういう意味を持つようになったのかについての考察が大切だとおもった。

 例えば幸運を司る星は、十二年で一周するのだけど、星がなにも幸運ビームとかを照射してるわけじゃなく、幸運って誰にでも十二年周期で訪れるとか、幸運の星が、出生図においてこの星座にある場合、こういう傾向の良いことが起こる事が多いちということを、統計学的に整理したってこと、実は星はあくまでもその正確な周期を知るための、いわば物差しのようなものでしかない。

 それは、内面、知性、恋愛、やる気などを司る星にもいえてて、それぞれがどの星座にいるのか、そしてトランジットの星座と、どのような関係にいるのかと言うことを読み取ることが、まずは星読みの基本だと思う。占星術=天文学的統計学と言われる所以だ。。


 問題はここから、クライアントの出生情報を聞いて、ホロスコープを作る。各星の星座や、置かれているハウス、星同士の各度(アスペクト)を読む。ここまでは記憶力の問題でしかないから、誰でもできる。ここから、ポジティブなことは、強調してクライアントに勇気をもってもらい、ネガティブなことは、オブラートに包んで、できるだけポジティブな言葉で言い換えるように星を読み、クライアントに伝える。

 そしてそれに対する反応、たとえば、やっぱりそういうことなんだ。とか、いや、なんか違和感あるなぁとかっていう反応をみて、次ぎに伝える言葉を紡ぐ。この過程は、箱庭療法や、ロールシャッハテスト、さらには曼荼羅をつかった心理療法とほとんど同じ。だから、占星術=心理学・精神医学とも言われる所以だ。

 

 クライアントの深層心理にも関わることだけら、ご本人がトラウマとして抱えていて、蓋をしている現象とかが、いきなり現れてしまう可能性もある。もしかしたら、急に泣き出したり、怒ったりもするかもしれない。

 実際に、専科になると、外部のクライアントを迎えて、研修中なので、トラブルに対処出来ない場合もあるけど、その場合はサブでついてる教官がフォローしますので、お安く占えますよと言う形の実践授業もあって、もう十人ほど、占ったのだけど、お一人だけ中で泣き出した方がいた。さすがに怒られたことはまだない。


 星読みを練習するために、研修でお会いした方のホロスコープや、自分のホロスコープと、けいとのホロスコープを重ねてみたりしていくうちに、どれだけけいとと、わたしが星読み的に特別な関係であるかってことがよく分かる。でもそこには私の内面に、けいとのことが実はスキで、そういうバイアスが掛かってる可能性は否めないなと思った。だからその気持ちが本物なのか、確かめないと、前に進めない気持ちがしてきた。梅雨時期から、初秋までの長い夏休みに、けいとのところに行きたいって、メールを送った。実際には、夏休みにはいけなかったのだけど、塾を卒業した春に、けいとのすんでる島にいくことにした。

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