田中まりんについて

 田中まりんは文芸部の後輩で、とにかく不思議な奴だった。制服のポケットに小さいバナナを常備していたり、部室で突然アメージンググレイスを歌い出したり、バナナの皮で人を殺せるのかを検証してきたり(俺で)、財布の中が全部500円玉だったりと何を考えているかわかったものではなく、その上奴は「不思議な人が好き」とかなんとか言ってこの文芸部に籍を置いたのだった。部と言っても、文芸部には俺と幽霊部員の佐藤(スマブラが強い童貞)しか在籍しておらず、少なくとも相対的には「不思議な人」ではない俺に何を見出だしたのか全くわからないのだが、こうして悩むこちらを全く意に介さない奴との奇妙な放課後がいつしか始まったのだった。


 最初の内は、文芸部らしく小説でも書くだの、本を読むだのしてみたらどうだと至極真っ当な提案をしたのだがあっさり断られた。奴は俺に小説を書かせようとしてきた。俺の書いたものしか読もうとしなかった。そのくせ俺が何か書こうとするとニヤニヤしながらこっちを見てくるので大変鬱陶しく、ただでさえスランプだった執筆行為をさらに妨げてきやがる。当然まともに書けるわけもなく、俺は田中まりんの世話役かのごとくトランプをしてやったり奴の突飛な行動が問題を起こさないか見守ったりしていた。


 「なんで、いつもバナナ持ってるの」とね、ある日聞いたわけよ。

 「バナナが好きだからです」だそうです。いやそれはそうなんだろうけどそういう問題じゃないだろ。

 「なんで、いつも変なことばっかすんの」

 「変じゃないと思いますけど、したくなったからです」

 「なんで、いつも変なことばっかしたくなんの」

 「わかりません」

 「少しは自重するとかないんか」

 「"何かやりたい"と思った気持ちが、それをやらないことで無かったことになるのが嫌なんです」

第一線で活躍するクリエイターのインタビューみたいなセリフを吐いた後、奴は自身が持ってきたチーズフォンデュにウインナーをつけて美味しそうに頬張った。文芸部の活動内容には鍋も食事会もないことを伝えておくべきだっただろうか。きりがなくなってしまうだろ。


 俺には小説が書けない。

 いつだったか気付いてしまった。俺には特別な経験も、創作衝動を掻き立てるようなモチベーションも、天才的な発想力もない。捻り出したアイディアは翌日には腐っている。何か書かないととは思うのだが、書くほどの物語なんて俺にはなかった。どうせどんな良さそうなアイディアも具現化したらガッカリするほどつまらなくなるのだ。そうして時間と労力を無駄にするのがオチだ。別に、つまらない物語なんて世の中に溢れている。異世界に転生して神様にもらった力でウハウハしたり、病気の女の子が何故か冴えない"僕"と仲良くしてくれてその上死んで思い出をプレゼントしてくれたり、メンヘラの女の子が冴えないけど"心の傷"を理解してあげられる"僕"に救われてちゃっかり"僕"も救われちゃったり、平凡な人間がその平凡さをさらけ出すように作り出したゴミみたいな物語がこの世界には溢れていて、あろうことかよく売れたりする。

 俺は彼らをすごいと思う。ゴミだと知りながらそれを最後まで作り通す覚悟なんて俺にはない。けど彼らはゴミを完成させて、形にして、売った。売れた。その時点で、本当にゴミなのは誰なのかが明白になるわけだ。ゴミすら生み出せないゴミが、まだ一人前に息をしているとは、笑わせるよな。笑ってくれればいい。ほらどうした、早く笑えよ。

なんてね。


 「先輩、ペットボトルロケット作りましょう!」

 急に部室に現れて急な提案をされる放課後にはもう慣れていた。何故一人で作らず俺を誘うかね。俺も嫌なら部室に行かなきゃいいのに、何故わざわざこんな時に真面目な文芸部員をやるかね。だいたいペットボトルをロケットにして何になるのかね。沸き上がってくる当たり前の疑問を「暇だから」で掻き消して、俺は立ち上がる。

奴はダンボールいっぱいに入ったペットボトルのゴミと作り方のメモを持ってきていた。どうやら化学部の友達に教わったらしい。ビニールテープや厚紙など、必要なものを買い揃えにスーパーに行った。何故か全く関係ないホームパイまで買わされていたが、部費なのでOKです。部長権限だ。

 さすがにそこまでペットボトルの量はいらない気がしていたのだが、工作馴れしていない二人が実際作ってみると難しく、失敗作のゴミたちがかなりの数生まれてしまったので杞憂だった。田中まりんは失敗してもめげずに作り続けた。真剣な表情をしていた。何が奴をそんなに駆り立てるのだろう。なぜ、ペットボトルロケットなのだろう。

 なぜ、そんなに楽しそうなのだろう。


 「できた!」

 終業式の日の放課後だった。

 おそらく設計通りにペットボトルロケットは完成した。あとは実際に飛ばすだけだ。田中まりんはすっかりはりきって、ロケットのボディにマジックペンで"たこやき号🐙"と、名前をつけられる側としては結構屈辱的なセンスの名称を記してあげていた。

 もうじき死ぬセミが元気に鳴いていて、もうじき引退する野球部の三年生が元気に声を出している七月の夕暮れ時。俺達は少し遠くにある河川敷に、ロケットを飛ばしに行った。道中、奴は歩きながら珍しく黙りこんでいた。しばらく沈黙に包まれた後、彼女は言った。

 「結局、先輩の書いた小説まだ読んだことないまま、引退しちゃうです」

 なんだそんなことか、というかそんなに小説読みたかったのか、なんて少し意外に思いながら、

 「別に、お前が思ってるほど面白いものじゃないぞ。平凡で、使い古された発想しかないし、文章も上手くないし。……俺のレベルの小説なんてネットとか見れば、何百作と誰にも読まれないで転がってるわけよ」

 と吐き捨てた。まるで、河川敷に落ちているペットボトルのようにな。

 「そういうことじゃ、ないです!」

 立ち止まって、あの真剣な眼差しを向けられた。その眼と目を合わせたことがなかったことに、初めて気が付く。

 「べつに、上手い文章とかが読みたいなら、先輩のじゃなくて最初から夏目漱石とか読みますから!そういうことじゃないんですよ!そうじゃなくて、もっと、こう……」

 上手く言語化できないのか、体をもじもじさせた挙げ句、

 「先輩のばか!!」

 俺は、バナナで殴られた。


 河川敷に到着する頃には大分暗くなっていて、川の揺らぎが町の灯りに照らされ光っていた。ロケットを飛ばすには中々悪くないシチュエーションだ。田中まりんは早速自慢の"たこやき号🐙"を取り出し、準備に取り掛かった。子供のようにはしゃいでいて、子供のようにふざけていて、子供のように真面目だった。子供のように純粋だった。

 かつて三ツ矢サイダーのペットボトルだった"たこやき号🐙"に水を入れ、ポンプで圧縮した空気を追加する。

 「先輩、行きますよ!」

 密度の高い感情のこもった声が響いて、何故か鼓動が高まっていたことに気付き、意外性を覚えると同時に始まるカウントダウン。


さん、


にい、


いち、


プシューッ。


 "たこやき号🐙"は、滑稽さすら感じる情けない音を出しながら飛んだ。数メートル飛行した。そして墜落した。

 思ってたのと違う。これ思ってたのと違う。ロケットというか、トビウオが水面からピョーンと顔を出しまた帰っていくのに近い。ペットボトルトビウオ。ロマンの欠片もない。夢もへったくれもない。

 "たこやき号🐙"はゴミだった。すでに使われて用済みになったペットボトルのゴミを再利用して作られたゴミだった。本来の理想からは程遠く(いや本来の理想を実現させたとして何になる、ペットボトルが勢い良く飛んで何になる)、何も与えず何も生み出せない、世の人々には決して必要とされない存在、つまりゴミだった。飛ばしたことでそれが明らかになった。なんだかわかりきっていたような結論が、現実が、明らかになった。

 それなのに。

 どうしてだろうか。

 こいつを、このゴミを、もっとちゃんと飛ばしてやりたいと思ってしまったのは。

 「海へ行こう」

 と俺は言った。合宿だ。夏休みに合宿だ。文芸部の合宿だ。文芸部に合宿なんかあるのか知らんがそんなことは関係ねえ。受験勉強とか何だとかそんなことは関係ねえ。合宿で海に行って、何とか"たこやき号🐙"を改良して修正して、夏の日差しが降り注ぐ中、どこまでも青い海を背景にして、潮風を追い風にして今度は思いっきり飛ばしてやろう。飛んでる写真をサムネイルにして部誌を作ろう。熱々のたこ焼きのグルメレポートで文体模写しよう。ゴミみたいな小説を世界一真面目に書いて読ませてやろう。たとえこのゴミが誰かの意味を生み出さなくたって、たとえこのゴミが誰かにとっての価値を生み出さなくたって、俺達にとっては決して無駄じゃなかったんだってことを証明してやろう。


 俺達が生きてるんだって、わからせてやろう。


 そう約束をして、帰りにラーメンを食いに行った後俺達は別れた。奴は何だか嬉しそうだった、笑っていた気がした、俺も何だかバカみたいに嬉しかった気がした。


 高校二年の夏休み、田中まりんは交通事故に遭ってあっけなく死んだ。

 ある日連絡が来なくなって、LINEの既読がつかなくなって、電話をかけてもつながらなくて、なんとかして彼女の実家に連絡を取るともうとっくに葬式は終わっていた。知らない間に何もかもが終わっていた。当然のように隣に居るものだと、たかをくくっている間に居なくなっていた。

 俺はひとりで、田中まりんと行くはずだった海に行き"たこやき号🐙"を飛ばした。ひとりで波の音を聞いて、ひとりであの日の河川敷に行って、ひとりであの日のラーメンを食べた。今まで味わったことのない虚無が押し寄せた。圧倒的な虚無が押し寄せた。ラーメンは砂の味がした。

 正直、田中まりんがいなくなることでこんなに「何かを失った」という感情が押し寄せてくるなんて全く思っていなかった。いつの間にかやってきて、いつの間にか心の中をぐしゃぐしゃに荒らし回って、いつの間にか去っていきやがった。そのことに、ひとりで悪態をつく。どうしようもない悪態をつく。

 そして今、ひとり部室でこの文を書いている。今の俺の陥っている境遇や心の中に穴が空いたようなこの感情も、きっとこの世界にはありふれていて、本屋やTSUTAYAに行けば似たような話がすぐに見つかって、客観的に見ればすごく平凡で何の意外性もなくて、おそらく誰の目にも止まらず話題にもならず忘れ去られてゴミになるのだろう。

 それでもいいや、と思えた。思うところから、始めていこうか。

 ポケットからバナナを取り出して、一口食べる。

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