20話:熱と悦
「んもう、まだ未成年なのに駄目でしょ、お酒飲んだら!」
唇を尖らせ、わたしから受け取ったグラスを手に、先生は怒っているようだった。確かに、未成年の飲酒は法律で禁止されている。怒られて当然だ。いくら無意識、とはいえ。
わたしは先生に向き直ると、頭を下げた。
「すみませんでした……」
飲み下した後も、しばらく喉が強いアルコールで灼けたように、熱を持っている。息を吐くと、香ばしいような、これまで感じたことのないような味わいが、強烈に鼻と口を満たすが、決して不快などではない。むしろ、身体がぽかぽかしているし、なんだか心地いい。
なるほど。
通りで先生が、恋をするような目でアルコールを嗜むわけだ。これなら納得も出来る。
「まあ、良いけど……それよりも大丈夫? 結構一杯飲んじゃったけど」
氷の音を立てながらグラスを傾け、先生は中身がもうほとんどないことを確かめる。
私は首を縦に振った。
「はい、美味しかったです」
「ちがっ、味の心配じゃなくてっ!」
先生はグラスを机に置くと、新しくウィスキーを継ぎ足す。再び琥珀色で満たされたグラスに浮かぶ氷を、指でゆっくりと掻き回しながら、改めて先生は本当に心配そうな目でわたしを見つめる。
「酔ってない? しんどかったりとか、しない?」
「え、ああ……」
わたしは自分の身体に目を落とす。特に異常は無しというか、なにか変わったこともない。むしろ、もっと飲みたいくらいだった。
「はい、大丈夫です」
頭の上で指先同士を付け、丸を作る。
だが、この時は突然の出来事であったため、わたしも、そして先生も、忘れていた。
酔いというのは、すぐに身体に現れるものではない。
胃を通じて、肝臓で分解され、血中に流れ、脳に行き渡り、そこでようやく酔いが回る。少しのタイムラグがあるのだ。
そして、わたしが飲んだのは、度数40パーセントのアルコールを、ほとんど原液で、先生曰く、シングル。つまり、30ml。一般的なお酒、ビールなら、普通のサイズの缶、6、7割に相当する量だ。加えて、わたしはお酒を飲むのはほとんど初めて。それに、どうやらあまり強くはないらしい。
それから15分もしないうちに、わたしの顔は真っ赤に染まっていた。
少し前が嘘のように、顔が熱い。息も浅く、早くなり、心臓がどくどくと、本当に聞こえるほど脈打っている。50m走を全力疾走した後のような感覚だ。だというのに、やはりアルコールのせいだろうか。気分はとても陽気で、開放的だった。
わたしは身体に篭る熱気を抑えきれず、胸元を指でつまんで、ぱたぱたと扇ぐ。少し深呼吸をすると、鼻から抜ける吐息に、アルコールの匂いが混じっているのが分かる。だが、それは先生も同じであったことだろう。顔をやや赤くして、とろんとした目で、グラスを眺めていた。
「いやあ……なんか、ごめんね」
この人も負けず劣らず、酒が弱いんだな。わたしは自分のことを棚に上げて、先生に顔を向ける。先生はすっかり酔いが回った様子で、机に身体を預け、両腕を猫が伸びでもするように、伸ばしていた。そしてその腕を曲げ、肘をつく。わたしより少し大きいであろう胸が机に預けられ、服の胸元がやや浮かんで、危うく下着が覗きかけていた。
「生徒を家に、呼んでさ、こんな酔ってたら駄目なんだけど」
そう前置きをすると、グラスに少し残ったウィスキーを傾けると、空にした。
「ここだけの話ね?」
「え、はい」
顔が熱く、開放的。そうはいっても、わたしは存外、理性を保てているらしい。少なくとも、先生よりは。変に冷静な頭で、背筋を伸ばす。そんなわたしに、先生はすっかりふやけた笑みを浮かべる。
「誰にも、言っちゃだめだよぉ」
「はいっ」
「担任の先生にも、他の強化の先生にも、言っちゃ、駄目だからねえ」
担任は貴女ですね。
「は、はい」
「友達にも、駄目、だよぉ?」
「……は、はい」
「本当に、駄目っ」
先生は、手で罰を作る。
「…………はい」
「ジョーズ」
「それはサメ」
「竜宮城の使い」
「それは亀」
「キャンディー」
「それは飴」
「イカの干物」
「……それはあたりめ」
なにこれ。
というか、早く言って欲しい。
そんなわたしの思いが通じたのか、先生はそんなやり取りに一通りけらけらと笑った後で、笑い泣きの涙を拭いながら、口を開く。
「わたしさ、これでも結構、もっちーのこと、気に入ってるっていうか……ううん、違うね」
少し焦ったように否定して、首を振る。
「単に、好きなんだと思うんだ」
きっと。
先生は今、気に入っているという言葉を使うと、どうにも上から目線になってしまうと危惧して、言い直したのだろう。そういう酔っぱらっていても、なんだかんだでちゃんとしているところを、わたしも好きだった。
さっきのラップみたいなのはともかくとして。
変に律儀というか、なんというか。
先生は、そのまま机に頬杖を付くと、柔らかく笑う。そのリラックスした笑顔に、わたしは思わず、ギャップを感じてしまっていた。
「なんか、もっちーって、すごい話しやすいっていうか、楽なんだよね」
なんでだろうね。そういって、先生は一人で少し笑った。わたしは、そんな先生に少し、椅子を寄せた。
先生がこうして開放的になっている一方、わたしもまた、酔いによって、開放的に、積極的になっているらしい。普段なら抑えられているこの、先生に近づきたい、もっと近くに行きたい。という気持ちが、今はどうにも抑えられない。そうして、二人の椅子がくっついたところで、先生はわたしの頭に、ふと手を乗せた。
その行動に、一瞬だけ身体が硬直してしまう。だがすぐに、警戒を解いた。
そうだ。心配することは何もない。
もうお父さんは、わたしに何もしてこないし、先生は、優しいから。
頭を優しく撫でる手に身を委ねながら、わたしは自分にそう言い聞かせた。
一瞬で酔いが覚め、背中に垂れる冷や汗に気付かないように。
「いつも頑張ってるね」
そういって、先生はわたしの頭を撫でる手を、首筋に回す。それから肩へ回り、抱き寄せられて。
どちらから。というわけでもないけれど、気が付けばわたしは、先生と唇を交わしていた。
先生の唇はとても柔らかくて、そして暖かくて。
煙草の苦い風味を感じながら、触れ合う唇と唇。その体温が互いに移る瞬間を、わたしは永遠のように感じていて。そしていつのまにか、先生は唇を離して、わたしのことを熱の籠った視線で見つめていた。
唇に視線が吸い寄せられる。
グロスのせいだろうか。潤った唇は、それとも、お酒で湿っているだけだろうか。そんなことを確かめるために、今度はわたしが、先生に顔を近づける。
互いの吐息が、鼻息すらかかる距離まで顔が近づき。唇が再び触れて。
ぬるり。
先生の舌が、わたしの口の中へと這入ってくる。
そのキスに夢中になっている間に、先生の言葉が、途切れ途切れにわたしの耳へ流れ込む。
わたし、女の子が好きなんだよね。
かわいいなって思ってたんだ。
好きだよ。
それに同意を、そして共感を示すように、わたしも激しく先生との口付けを楽しんで、服に手をかけた。今日の服装はワンピース。化粧が服に移らない様にだけ気を付けながら、わたしは先生の手伝いを受けて、服を脱ぐ。露わになる、ピンク色の下着。だが肌寒さは感じない。酔いも手伝って、熱いくらいだった。それでなくとも、身体は熱を帯びている。
好きな先生に、早く触って欲しくて。
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