13話:過去の気持ちと公開
「恋の悩み、先生に聞かせて?」
あれ。
あれれ。
あれれれ。
わたしは思わず、先生の顔を驚いて見つめてしまう。その表情は、だが変わらずに深刻な様子である。わたしはますます、訳が分からなくなった。
確かに昨日、先生に恋バナをした時、楽しそうにしていたはずだ。それなのに、なんで今はこんな思いつめた様な表情を浮かべているんだろう。もし、本当にわたしが恋に悩んでいると知っているなら、もっとうきうきとした様子で聞いてくるものとばかり思っていたが。わたしは首を傾げて、見つめ返す。先生は悲しそうな顔を浮かべたまま、話を続ける。
「そ、その……先生さ、あんまり役に立てるような恋愛経験はないかもだけど……でも、まず言わせて欲しいことがあってね」
肩から手を放し、そのまま先生は深々と頭を下げた。そのあまりに見事なお辞儀の姿勢に、わたしは少しの間、見とれてしまっていたが、すぐに先生を止める。
「ちょ、先生?! 止めてください、頭上げてくださいって! なんですか急に!」
「だって、昨日、もっちーが恋で悩んでるのに、わたし、一人で盛り上がっちゃって、もしかして、そういう態度ばっかり取るから、もっちーがわたしに恋愛の相談を、してくれないのかなって……」
ごめんなさい。先生は酷く落ち込んだ顔で、視線を下に落とす。だが、わたしはそんなこと、微塵も思っていなかった。むしろ、そんな先生をかわいいとすら思っていたほどなのだ。怒っていることに気付いてくれない人と、怒っていないことを謝ってくる人。本当に困るのは一体どっちだろう。わたしは苦笑いを浮かべて、先生に弁解する。
「い、いや、その……ちょっと言いにくいだけで、別に先生に言えないわけじゃないです」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。ほんとです。ただちょっと……恥ずかしいじゃないですか。人を好きな話とかって」
わたしは徐々に話を反らしながら、先生を慰め続ける。すると先生は、やや納得は言っていないものの、ひとまずは顔を上げてくれた。先生に頭を下げさせるなんて、ばちが当たってしまう。わたしはそんな恐れ多いこと、したくない。
それから少し経って。先生は、またビーカーでコーヒーを作りながら、話し始めた。
「いや、でもほんとよかった。わたし、昨日電話切った後滅茶苦茶後悔してさ。もっちー、きっとその人のことで悩んでるだろうに、わたし、なんか茶化すようなこと言って……カウンセラーとしてどうだったのかなって」
先生は、悩みの種が正に自分自身であることは全く気付かない様子で、引き出しからマグカップを取り出す。もしかしてこの人、わたしに負けず劣らず、後で自分の発言とかを気にして落ち込んでしまうタイプなのだろうか。病んでいる。とまではいわないにしても、気にしてしまう性格ではあるらしい。
「……それで、なんだけど。ずばり、何に悩んでるの?」
「それ、は……」
どうしよう。何処まで言うべきだろうか。わたしは手元に置かれたカップを両手で包みながら、必死で脳みそを回転させる。当然、今のわたしでは、先生が好きなんです。なんて言えるわけもない。しかし、中途半端に当たり障りのないことを言うのも、先生は見透かして、やっぱり信頼されていない。そう思われかねない。そうなると、落としどころとしては、わたしがぎりぎり言いたくない、そして、先生が核心に迫らない程度の悩み。
当然、わたしはそれを言いたくないので、とても心苦しさを憶えながら、口を開く。
「その……驚かないで、聴いてくださいね」
先生は黙って続きを待ちながら、コーヒーを口に含む。
「わたし、好きになった相手……そもそも男の人じゃないんです」
それから先生の噴き出したコーヒーが白衣に掛かり、二人で必死に拭いたのは言うまでもない。結局、先生はその白衣を脱ぎ、改めて丸椅子に座って、そして煙草へ火をつけて、一服して、それから。
「え?」
「いや反応かなりラグいですね」
「ん、まってまって、いったんまってね。せんせい、そとのくうきすうから」
「言葉が平仮名になってます、先生」
部屋の窓。それに手をかけて、先生は本当に外の空気を吸うために、顔を出して大きく深呼吸をする。外の暑い空気が部屋の中にしばらく流れ込み、それから先生は窓を再び閉めた。そして、無表情で丸椅子に戻ってくる。
「んー」
明らかに悩んだ風に、先生は頭に手を当てる。だが、それは想定していた反応だった。いくら先生が、優れたカウンセラーで、わたしの悩みを軽くする一助を担ってくれているとして、それはあくまで悩みに関してだ。少なくとも、性的嗜好に関しては、専門外なのだろうか。
とはいえ。
話してしまった以上、わたしは先生の反応や、一挙手一投足が気になってしまう。勿論、今こうしてみている限りにおいて、先生は別にドン引きしているとか、そういう感じは出していない。ただ、それでも驚いてはいるみたいで、何度もせわしなくコーヒーと煙草を交互に口へ運ぶ。その様子を見ながら、わたしは依然として、先生の可愛さを感じていた。
困っている姿も可愛い。
「まあ」
先生は煙草を灰皿で揉み消すと、なにか考えが纏まったらしく、こちらを見つめる。その目は、決してふざけてなどいない。まあ、先生がわたしのこのカミングアウトに対して、冗談めかした回答をするような人ではないと分かっていたし、そんな人には口が裂けても言いたくない様な悩みだった。なにせ、わたしだって初めてなのだから。
人を好きになるのも、同じ女の人を好きになるのも。
「まずは順を追って、説明してほしいかな」
「説明」
先生は頷く。
「うん。具体的には、その人との関係性とか」
「関係性」
そう言われても、当惑する。どう説明したものだろう。まさか馬鹿正直に、学校の先生で、わたしは生徒で。なんて言えない。だが、他にどういったものか。しばらく考えて、口を開く。
「わたしの、恩人のような人、ですかね」
「なるほど」
先生はメモも、パソコンへの入力もしない。ただ、隣で真剣に話を聞いてくれる。きっと、頭の中で考えようということなのだろう。口元に手をやったり、何気なくコップを指で触ったりしながら、続きを待つ。
「わたし、その人に助けてもらってばっかりで、その人、すごくかっこよくて、いつも感謝してるんです」
でも、それだけじゃない。好きなところは上げ始めれば、本当にきりがない
話を聞いてくれるところ。決して個人的な感情で否定をしないところ。ほかの先生に告げ口しないところ。わからない勉強を教えてくれるところ。わたしのことを心配してくれるところ。わたしの聞いてほしくないことは聞かないでおいてくれるところ。話しやすい雰囲気を作ってくれるところ。優しいところ。格好いいところ。かわいいところ。綺麗なところ。プライベートでも接してくれるところ。ご飯が上手なところ。手先が器用なところ。わたしの制服のボタンを代わりに縫ってくれるところ。
全部、大好きなんです。
「でも、その人、わたしの気持ちには全然気づいてないみたいで」
自分で言って悲しくなる。わたしは思わず、視線がどんどん下へ落ちて行ってしまうが、首を持ち上げる元気は湧いてこない。なにせ、どれだけこちらが先生を好きだと思っていても、それが全くとして伝わっている気がしないのだ。いつもわたしは家で悩んでるのに、その人は、きっといつか彼氏が出来て、幸せな家庭を築いて。
でも、それでいい気がする。
「わたし、その人のこと、すごく好きだからこそ、わたしみたいなのが変に付き合いたいとか思うよりも……。きっと、普通に好きな人と付き合うのを眺めてる方が、その人のためになるんじゃないかなって」
そう思うんです。そう最後まで言い切れず、わたしは最後、声が震えてしまう。きっと、普段はあまり声を出さないわたしが、いきなり喋り続けたから、慣れていなくて声が震えたのだろう。
だから、別に涙が出ているのも、顔が恥ずかしさやら悔しさやらで赤くなってしまうのも、くしゃくしゃの表情になってしまうのも、きっと。慣れていないからに違いない。
慣れていない。
わたしは、こんな気持ちになるのに慣れていないのだ。本当に、恋愛とはこんなにもしんどいものなのか。
そんなわたしの頭を、気が付くと先生はゆっくりと撫でてくれていた。細く、綺麗な指でゆっくりとやさしく。それに気づいてしまって、わたしは更に涙腺が緩んだらしい。声を上げないよう、必死で抑えながら、涙が次から次へと零れていくのを、ただ見つめていた。
「その人のこと、そんなに好きなんだね」
慈しむ様な声で、先生は話しかけてくれる。わたしは黙って首を縦に振る。
「でも、好きなんだったら余計に、その気持ちを自分で否定するのは、良くないかなと先生は思うよ」
これは経験者としてのアドバイス。そういって、先生は昨日言っていた、呉羽先輩との話を伝えてくれた。思いを伝えられないまま、失恋してしまったこと。それが今も、先生の心の中に、棘として刺さって、抜けないこと。
「勿論、誰かに自分の気持ちを伝えるって、相手を自分の都合に巻き込むことだからね。迷惑は少なからず掛かるかもしれないし、無責任なのかもしれない。その自分の伝えた気持ちが歓迎されるとも限らないし、手酷く断られるかもしれない。先生もその時は、色々、自分への言い訳を考えたよ。だって、先生も女の人を好きになったのは、その時が初めてだったからね」
けど、先生は結局、その気持ちを伝えなかった。その判断が、何から何まで間違っていたわけではない。大人の対応といえばその通りだし、猫も杓子も気持ちを伝えるのが正しいというわけではない。
でもね。
先生はまるで、自分自身に言う様に、わたしの頭を撫でながら呟いた。
「なんであの時、間違わなかったんだろうなーって、未だに後悔してる」
正しくあろうとするのではなく、間違っていると分かっていても、その気持ちをなんで伝えなかったのか。相手の都合なんかをいちいち考えたりせず、自分の気が済むようにしなかったのか。
大人になった先生は、まるで昔の自分に伝えるように、こう締めくくった。
「あの時告白してたら、もしかしたら、付き合えてたかもしれないのにね」
時間が経って。
わたしはようやく落ち着いて、目元を拭いた最後のティッシュをゴミ箱へ放り込む。それから、冷えたコーヒーを流し込んで片づけを行う。
今日は特に長い間、学校に居てしまったらしい。先生と二人で慌てて部屋の片づけを簡単に行い、それから廊下に出て、カギを締めるころには最終下校時間ぎりぎりに差し掛かっていた。
「ほら、もっち……望月は先に帰っていいよ。んで、家に帰ったら、ひとりでじっくり考えてみて。相手の都合を考えるのもいいけど、自分がどうしたいのか。恋愛って、相手の都合だけでなりたつもんじゃないからさ」
わたしは背中に先生の声を聴きながら、返事もそこそこに、急いで階段を駆け下りる。それからどのようにして家まで帰ったのか、よく覚えていない。なにせずっと、これからのことを考えていたから。
勿論、一朝一夕で答えの出る話ではない。確かに先生のアドバイスを経て、少し考え方が変わったりはしたが、それでもこの気持ちは、高校一年生の頃。引っ越してきて、転入して、先生と初めて学校で話せることが発覚した時から抱いている気持ちだから、恐らくまだまだ結論は出ないのだろう。
学校の先生と生徒だし、女性同士だし。それになにより、わたしは初恋だから。
難しいな。そう思いながら、いつものようにベッドへうつ伏せで寝転がり、わたしは体の力を抜く。スカートに皺がよってしまうが、頭をずっと思考させていたため、それどころではない。疲れた。
とりあえず、目を閉じても開けても先生の顔がちらついてしまうほどには、考えていた。
わたしはどうすればいいんだろう。
例えば、先生に気持ちを伝えるのは、先生自身も悩んでいた通り、とても無責任だ。気持ちを伝えた方は楽になれるかもしれないけれど、伝えられた方はそうもいかない。考えていなかったことを考えざるを得ないというのは、相手を無理矢理に巻き込むことに繋がる。
しかし、時には我を押し通すようなことも、恋愛にはどうやら必要らしい。確かに、告白をするということ自体、気持ちを伝えることに他ならない。その身勝手を、気持ちを押し通す行為をして、リスクを被って。どうなるかわからない賭けに出て、初めて人と付き合えるのだ。
賭けに勝てれば、付き合える。わたしは再び、先生の顔を思い浮かべる。だが、それは付き合えることに目が眩んだわけではない。むしろ逆。もしも先生に気持ちを伝えて、断られでもしたら。きっとこれまでのような関係性では、もういられないだろう。多少は気まずくなる。先生は先生だから、逃げるわけにもいかないだろうし、それは迷惑をかける、なんて生易しいものではない。
ともすれば告白とは、傲慢な行為になる。少なくともこの時のわたしは、好意の押し付けを、そんな風に理性的に考えていた。
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