第2話

 光の輝きが終わるとそこは見慣れた部屋であった。窓からは2つの太陽が燦々と降り注いでいて明らかに地球とは違う世界であることが理解できる。

 彼の目の前にはスチール製の大きな机があった。これは前線戦闘指揮所でよく使っていた物で所々にある傷を見ていると懐かしさが蘇り、そして同時に死地へ追いやった部下たちの顔が思い出された。

この机の上で文字通り生かす殺すをしたのだ。だからこそ、私はこの机を戦後に執務室へ置いた。忘れて怠惰にならないために。

 その卓上にところどころ煤けて汚れているファイルがあり、題名に「戦死者名簿」と表記されていた。綴られた一枚一枚は戦地検案書となっており、その者がどの様にして亡くなったか、どのように苦しんだか、が一目瞭然で分かるようになっている。


「戦死者は指揮官の採点である。少なければ概ね良い作戦と言えるだろう。」


  臨時士官学校のロッペンゲルア教官は過去の戦訓を語りながらそう言っていた。

 私もそうだと思う。

 馬鹿でクソな作戦が来たとしてもそれは命令なのだ。それをいかに被害少なくするため詳細な作戦を練り、実行することが現場指揮官に求められる資質なのだ。

「クソ野郎にクソ野郎と返すことは簡単だが、馬鹿のクソ野郎にはそれが通じない」

従卒のクリスチーナがウイスキーを飲みながらそんなことをぼやいていた。

まさにその通りだ、そして戦場は常にそんなところであった。

隣の本棚には、この世界の歴史書から哲学書に至る本が分類されて並べられており、棚の一番上には少し誇らしげに勲章がケースで飾られていた。

 私は飾る必要はないと言ったのに執事のリーゲンクロイツはそこへ飾ったのだ。

「これは死者の勲章です」

つまり指揮の如何に関係なく、頑張ったのは兵士だよ。ということだ。

他の家具類は全て白い布がかけられて埃を被らないようにしっかりと包まれている。

 すべてが帰ったあの日のままで、懐かしさが込み上げてきて思わず目元が潤んだ。

 大戦終結後、この城館を私は皇帝から下賜された。首都から少し離れた郊外にある元帝室後宮の一部だった、このだだっ広い城館をだ。何十年も前から廃墟同然で至る所が朽ち果て、庭園や果樹園は荒れ放題であった。

 我が大隊は戦後処理から外されていたために暇でやることもなかったので、庭園や果樹園をキャタピラで踏み潰し、壊れた石像や水を出さない噴水を砲撃やバズーカで吹き飛ばして演習場と兵舎に仕上げた。

 建物は工兵の中に建築専門の者がいたので、綺麗に修繕し修復してくれた。廃墟が短時間で蘇る様は驚くほどで、この部屋も枯葉と蔦が室内まで侵入し、大理石はボロボロであったのに、今は見違えるほどに綺麗である。

結局、大隊は解隊されたが、城館は私に下賜されていたので、私の執事であったリーゲンクロイツへ全ての財産とともに引き渡していた。

 

 不意に背中側の扉が開くと、室内の照明が灯されて、さらに明るくなった室内に鋭い声が響いた。


 「両手を上げなさい!さもなければ射殺します!」


 この声はリーゲンクロイツだ。


 私はゆっくりと背を向けたまま、ゆっくりと両手を上げた。


 「そのまま動くな」


 ゆっくり近寄ってくる足音が途中で止まり、不気味な沈黙が暫く続いた。


 「リーゲンクロイツ…久しぶりだね。私だよ。ホウライだよ。」


 「こ、こちらに振り向きなさい!」


 動揺した返事が返ってくる。

 私はゆっくりと彼女へと体を向けてゆく、視界に銀色ショートの髪に青白く死人のような肌色、少し上がり気味の右目と顔の左側を大きな眼帯で隠して執事服を着た女性が見えた。

 あの頃と変わらず懐かしい姿がそこにあった。


 「本当にホウライなのですか?」


 「疑り深いね?」


 「戻ることはないと仰っていましたから」


 口元を歪めて彼女は薄笑いを浮かべた。引き金には指が掛かったままである。


 「撃たれそうだ」


 「私を置いていきましたから」


 視線はしっかりと私を捉え、銃口もしっかりと私の頭を捉えている。全く帰還して早々に殺されては堪らない。私は帰り際に彼女に伝えた2人だけの合言葉を投げかけた。


 「眼帯を取れ、その綺麗な顔が見たい」

 

 「はい」


 銃口をそのままに片手で器用に眼帯を外した。エルフ特有の美しい顔の左半分は火傷の跡があり、左目は空洞となってぽっかりと黒い孔が空いている。

 

 「銃口を下ろしてくれる?」


 「嫌です」


 「嫌って…」


 「この拳銃は彼が使っていた物です。気が付かないはずがありません」


 向けられている拳銃に見覚えがあった。あれは私の始めての拳銃であり、そして発射機構に致命的なトラブルを起こして撃つことのできなかった。

そこから2つ目の合言葉が思い浮かんだ。


 「引き金を引け、リーゲンクロイツ」


 「はい」


 カチンと音がしたものの弾丸は発射されず、彼もまた頭の中身をぶち撒けることなくその場に立っていた。


 「ただいま」


 「おかえりなさい…。合言葉を途中で切るのはやめてください」


 そう言いながら、ゆっくりと彼女は近づいて彼を優しく抱きしめた。引き金を引けが2つ目の合言葉であった。


 「本当におかえりなさい。ずっとお待ちしておりました」


 「お迎えありがとう。リーゲンクロイツ」


 互いに抱きしめ合うとしっかりと見つめ合う。

 10年ぶりに見た彼女の顔は少し皺が増えていて、離れている間の年月を感じさせた。


 「変わらないね」


 「いえ。皺が増えました」


 和かな…いや、病的とも言えるような笑みを浮かべてリーゲンクロイツがホウライを見ていた。


 ランドロッドで優秀な軍人を数多く輩出していることで有名な 戦家 という貴族の家がある。文字通り、戦に優れた、騎士として国を守る武家だ。

 リーゲンクロイツは、その戦家の生まれで次期当主と見込まれていたほどの優秀な軍人だった。数多くの戦歴を持ち、数多くの勲章を持っていた。だが、華々しく散るか、無事に生きるか、のみでなければ許されぬ厳しい掟の戦家において、戦場から戦傷を負って帰ってきた彼女に対して、一族は恥知らずとして見捨てたのだった。次期当主としての期待が大きかった分、反動も大きかったのだ。

 一族の者の手によって軍籍も抹消されると軍人恩給も受けることもできず生活は困窮を極めた。しかたなく、生きるために身体を売ったが、傷のため安く買われてしまい、最初で最後のことながら、酷い扱いを受けてボロボロにされると、雪の積もる路上に無惨に打ち捨てられた。

 そこを偶然に通りかかったホウライに拾われたのだった。彼は体液にまみれ、裂傷や殴られた痕の残るリーゲンクロイツの身体を自身のトレンチコートに包むと優しく抱えて連れ帰り、軍務の傍ら世話を焼いた。その献身的な世話焼きに、今までに感じたことのない幸せを与えてくれたホウライに対して、リーゲンクロイツが愛情以上の感情を抱くのも無理からぬ話であった。

 それからと言うもの、彼の為ならと、身体を大切にし、城館の維持も、彼が関わったありとあらゆることで頼まれ、頼まれなくとも一途に遂行した。

 彼の為なら命すら厭わない。血の一滴に至るまで彼のものでありたいと願うほどである。

 帰還の際、どれほどか悔しかったか、どれほどかついて行きたかったが、承諾を得ることはできなかったため、戻るその時まで、この城館を維持しようと心に決めたのだった。

 そしてそれは果たされた。

 帰還したことに我も忘れ、彼の胸元に顔を埋めて10年の寂しさを埋めるようにひたすら腕に力を込めて抱きしめた。


 「お客様は来てないかな?」


 数分が過ぎた頃合いを見計らうように、彼がゆっくりと彼女を胸元から引き離して問うと、それに少し不満気に頬を膨らませた彼女が思い出したように口を開いた。


 「あ…。お客様が応接室でお待ちになられています」


 「やっぱり」


 「はい。クックルス様とニーホア様です。少し前にお越しになられました。閣下が再召喚されるから迎えに行くように言われ、私はドアの前でずっとお待ちしていたのです」


 クックルスは副大隊長で優秀な男だ。そして先任中隊長のニーホアは大変優秀な参謀の1人であった。

この2人が来ているということは、もはや実戦があることを示唆しているようなものであった。


 「よし、会いに行こう」


 リーゲンクロイツの手を掴み、ホウライは足早に部屋を後にした。

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