国苦の大隊

鈴ノ木 鈴ノ子

第1話

何の変化もない日常に嫌気がさすことがよくある。

 毎日、毎日、電車に揺られ、仕事をこなし、嫌な上司の愚痴を聞き、いや、愚痴を言われ、帰りに同僚と飲んで帰宅する。

 都心のワンルームマンション。帰っても暗い部屋が待っている。

 この後は風呂に入って、万年布団に潜り込んで眠るだけ。

「疲れた・・・」

 そう言って鍵を開けて扉を開く。

「ん?」

 違和感があった。

 カーテンを閉めているはずの窓から光が落ちていた。

それがフローリングの床を照らしている。しかし、そのあたりにはガラステーブルが置かれていたはずだがそれがない。

 いや、見渡せば部屋の中の家具などがきれいさっぱり無くなっていた。

 「ん・・・・」

 同じことを二度吐きながら、電気のスイッチを入れる。

カチンとスイッチは音を立てるが、まったく明るくならない。 見上げると電球自体がなかった。

 自分の部屋なのに途端に自分の部屋でないように思え、背筋がぞくぞくっとする。

「お、おじゃまします・・・」

 気が動転して何を言っているのだろう。

靴を脱いて短い廊下を歩いていく。

通り過ぎる短い通路にあるキッチンには調理器具が一つもない、鍋や皿、朝、食べっぱなしで出てきたシンクのお皿すらだ。 室内もこれまた何もなく、本当に呆れるほど、きれいさっぱりというありさまだった。

 窃盗犯だってここまで極端なことはしない。

床に視線を落として部屋の真ん中あたりに見慣れない文字が大きく書かれている。

それはこちらの世界ではどの辞書にも載っていない文字で、私しかそれを読むことはできない文章だ。

「戻ってくるべき時が来ましたよ。」

小国ランドロッドの共通語であるガドガル語で短く書かれている、その下に追伸もあった。

「とっとと帰ってこい。でないと私達は許さない」


  10年前、私は異世界と俗に呼ばれる別世界に落ちた。

あ、頭を疑わないでほしい。現実にあったことなのだから。

でも、漫画や小説の様には現実にはいかない。何故ならそれは当然のことだ、国交のなく右も左も分からない外国にほっぽり出された日本人、しかも、現地語は喋れないときている。

というわけで、平凡な高校生であった私は、異世界で言葉では言い表すことができないほど、それはもう差別され、馬鹿にされ、苦渋を舐め尽くすほど苦労した。

それはもう今勤めている会社が可愛く覚えてしまうほどの、ひどい有様だ。孤児同然の私は最後には軍隊に入るよりほかなかった。衣食住が保証され、なおかつ身分も安定する。

あちらで8年ほど軍隊生活を送り、そして、向こうでの大戦にも巻き込まれ、結果、戦時昇進ながら准将で大隊長まで上り詰めた。そして、戦争終結後にその大隊は世間を驚かせるほどの悪評を引き受けて解隊を命じられた。

そして大隊長は元の世界へ差し戻しとなった。戻った時間が召喚1分後の現実であった事には助かったが・・・。

右の壁に目をやると、ポスターの剥がされた壁に乱暴に犬釘が打たれ、制服が一式吊り下げられていた。180センチの身長に妙に出ている肩幅に合わせて採寸された濃紺詰襟の制服と同色トレンチコート、左胸には現地名のホウライ・リシュバト、肩に私の部隊のみ使われた彼岸花が4つ、これは准将を表している。

 軍服の横に塹壕によくあるペンキ書きの文があった。

「調子が良いと見捨て、調子が悪いと呼び戻す、我ら部隊は辛い日々」

 リッペルフ上陸作戦時に我が部隊の塹壕に書かれた言葉だ。あの苛烈な上陸作戦はまさに地獄だった。

「会社もあるのだけどなぁ」

全ての筆跡に覚えがある。

そして、あの「私達は許さない。」

あれは解散式典で参謀の1人ルービデュフェ少佐が言った一言だ。

スーツをその場に脱ぎ捨て、軍服を着用すると最後に制帽の同色ケピ帽を被る。

それが合図であったかのように部屋中が光り輝いて、彼の姿がその場から消えた。 

 

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