第7話 うちのトカゲは弱音を吐かない

 1週間が過ぎた今日、どの門のところにも、竜凪さんの姿がない。

 これは、やっと諦めたのかと、心の底からホッとした。

 これで、同窓生の女子達が、猛禽類になった幻覚から解放される。

 ところが、ヒナ動物病院で、アルバイトを終えて、あと少しで家が見えてくるところで、暗闇にヌッと立っている影に見つけられてしまった。


「こんばんは。遅くまで、ご苦労様」

 その声を聞いて、ぎくりと固まった私は、ギギギギと音がしそうなほど、ぎこちなく顔を声が聞こえた方に向ける。

 いつものように、完璧に三揃いのスーツを着こなしたこの人は、生まれる時も母親のお腹の中から、スーツを着て、革靴を履き、美しい黒髪を後ろに撫でつけて、「やぁ!お待たせ」とか言いながら出てきたに違いない。

 暗がりなのに、大人の色気を振りまいている竜凪さんを半目で見ながら、妄想を繰り広げている私に、ふっと空気が漏れたように緩く広角を上げて笑う。

「今日こそは、逃げられないように、頑張った」

 ニンマリと笑った口元は、悪人みたいに弧を描いていて、えらく恐ろしく見えた。


「あ、あ、あ、……あの、竜凪さん。こんなところで会うなんて、奇遇ですね」

「何言ってんの?そんなわけないだろ」

 どうにか、偶然を装おうとへらっと笑った私を、竜凪さんはサクッと否定した。

「お前さ、俺のこと避けまくってただろ?」

 口元は、笑ったままこちらをじっと見つめる彼の目は、完全に捕食者のそれだ。


 怖い。

 このまま頸動脈噛まれて、ヤラレそう……。


「え?……いや、なんのことだか」

「俺が待ってる門と、ことごとく別の門から帰ってただろ?」

 やっぱり、バレてるのか……。

 これは、謝ったほうがいいんだろうか?

 いや、でも、別に約束をすっぽかしたわけじゃないし……。


 罪悪感で、悶々としていると、ほんの少し口元を尖らせて、足元に目線を落とした彼は、ブツブツと独り言のように呟いた。

「そりゃぁ、女共が群がってる所を避ければ良かったんだろうから、簡単だっただろうけど。

 気づかない、俺も俺だけど……」


 あ……、やっぱり気付いてなかったんだ。

 スンとなった私は、遠い目をして、このままスルーして家に帰ろうと、足を数歩踏み出した。


「今日は、逃がさない。一先ず、車に乗って」

 竜凪さんは、私をヒョイと抱えると、ポイと立派な車の助手席に乗せた。

 あれれ?と思っている間に、運転席に乗り込んだ竜凪さんは、素早くシートベルトを締めると、車を出してしまった。

「ちょ……ちょ、ちょっと!何するんですか!これって、拉致ですよ。犯罪ですよ!

 犯罪は、貴方の人生だけでなく、貴方の周りの大切な人の人生まで狂わせることになるんですよ!

 さあ、早く私を降ろしてください。

 降ろせ!降ろせ!おーろーせーーーーー!!!」


 助手席で喚く私を、眉間に皺を寄せた嫌そうな顔でチラリと見ると、ため息をこぼす。

「あのさ、うるさいから静かにしろ。

 シュウが、調子悪いんだよ。あいつ、弱音吐かないから分かりにくいけど、体が辛いの我慢してる。

 あんたに、助けて欲しいんだ」


 なんだ、その態度の変わりよう……。

 ってか、シュウちゃんが、弱音吐かない?

 トカゲって弱音吐けるのか?

 私の知らない、トカゲの生態があるのかもしれないな……。

 大変興味深い。血がたぎってくるのを感じる。


 いやいや、落ち着け。冷静になった私は、竜凪さんに反論する。

 そもそも私は、うちに帰りたいんだ。

 昨日は、教授の研究実験の手伝いで夜中まで拘束されてたし、明日からの連休は、家で勉強しようと思っているのに。

「………この間も言いましたよね?

 シュウちゃんが調子が悪いなら、どうして、病院に連れてきてくれないんですか?

 私をシュウちゃんのところに連れて行っても、何も出来ませんよ!」

 うるさいと言われたけど、勝手なことばかりを言う竜凪さんに腹が立って、ワーワー喚いてやる。

「イヤ、病院にはかかりたくないんだ。あんた、獣医学科の学生何だろ?兎に角来てよ。

 頼むよ」


 切羽詰まった苦しげな声に、私はそれ以上言えなくなってしまって、小さな声で答えた。

「分かりました。見るだけですよ?」

「ありがとう。助かるよ」

 彼は、ハンドルを握ったままチラリとこちらを見ると、安心したように笑った。

 その笑顔に、ドキッとした。

 まるで、トカゲちゃんにチラリと舌を見せられた時のような胸のときめきを覚えたからだ。

 この、人間のオスには一切興奮など覚えたことのない私をドキドキさせるなんて、やっぱり、彼はトカゲなのだろうか?



 そのまま竜凪さんは、夜の街を車を走らせた。シュウちゃんが、具合が悪いってどう悪いんだろう?

 気になったのに、何だか言葉が出てこなくて、私は黙ったまま、助手席のひっそりと体に沿うような上質なシートに、もたれ掛かりながら座って、窓の外の景色を眺めていた。

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