第2話 ”いのち”は、、、

ふと、わき道を見ると、数日前にひき殺されたイノシシの死骸がこちらを向いていた。目、鼻、口からはウジ虫があふれかえっていて、おぞましさから、彼は目をそらし、正面を向いた。


道の真ん中に、巨大な鹿の死骸が横たわっていた。

気が付いたときには、もう遅かった。


ふわっと、彼の体が浮く。

時速30kmだった自転車の速度が一気に0となり、身長170センチ56kgの体が一瞬、重力の束縛を離れた。しかし、その反作用は大きく、3倍弱、150kg近い体重となって、陽炎揺れる灼熱の舗装道路に叩きつけられた。


ここは、上り坂と下り坂の狭間。

突然、巨大な乗用車が姿を現した。

1000万円以上する高級車、ベンツのSUV「ゲレンデ」が、彼の上をゆっくりと横断した。ゆっくり、ゆっくりと、横”切った”。

<ガッタンゴットン>

そして、「ゲレンデ」は一気に加速し、一瞬で地平まで消えていく。


彼は道の真ん中で、足を延ばした状態で座っている。座ったまま、じぃっと、自分の太ももを見つめていた。


彼は、すぐに事態を把握した。「ゲレンデ」の前輪は彼の大腿四頭筋をねじ切り、後輪は大腿骨を粉々に粉砕していたのだ。わずかな間の後、分断された大動脈から血液が噴き出す。激しい痛みとショックで、呼吸が止まった。叫ぼうにも、一切の音が出ない。肺の中の酸素は、1mlも残っていない。全身の制御機能を失った彼は、自らの足から噴き出す血液を見ながら、口をパクパクと動かすだけであった。口からは乾いた泡が噴き出す。その目は真っ赤に充血し、虹彩は上下に激しく振動する。額から流れる大量の汗は地面に滴り落ち、一瞬で蒸発した。


五感はそのほとんどの機能を失ったが、ただ一つ、聴覚だけはかろうじて機能していた。遠くから、また、聞き覚えのある雑音(ノイズ)が聞こえた。

ブロロロ!!

それも複数。

ブロロロ。ブロロロ。ブロロロ。

少なくとも5台以上。


彼は、今、道の真ん中。それも、最も危険な上り坂と下り坂の狭間。このまま空腹の魚のように口をパクパクしているだけでは、速やかに珍走族たちにひき殺されることは容易に想像できた。


叫び声はまだでない。「ゲレンデ」に引かれて、まだ、一度も呼吸をしていない。彼は、腕に渾身の力をこめ、体の重心を後方(それは道の脇へ向かう方向)へとわずかにずらした。


重心は、確かに10センチほど後方へと移動したが、彼の足。太ももから先は、微動だにしなかった。体と両足は、完全に分離していたのだ。自分のものではなくなった両足。重心を移動させたことにより、グロテスクな太ももの切断面があらわになった。粉々になった大腿骨。ミンチになった大腿四頭筋。切り離されたトカゲのしっぽのように、所々、ピクピクと動いている。それは生理的な痙攣ではない。違った。もぞもぞと両足の内部で何かが動いているようだ。



タナトス。死の欲動。死の象徴。死神。

ついさっき、彼が読んでいた携帯小説では、魅力的な女性として物語の中に「現象」していた。


では、タナトスと「反対の存在」はどうだろう?どんな姿で「現象」するのだろう。どんな姿で、彼の前に現れるだろう?


賭けてもいい。

断言しよう。

エロスは、生の欲動は、生命の神は、いのちは、


【人の形をしていない】


ねじ切られ、路上に置き去りにされた両足の大動脈の断面から、ペニス大の巨大なヤスデが姿を現した。それを合図に、米粒大の小さなゴキブリたちが、両足皮膚の中から這い出し、軽やかに彼の肉体を駆け上がると同時に、耳の穴へと続々と侵入した。唯一機能していた聴覚は、ゴキブリたちの息遣いによってシャットダウンされた。

「ンッ!!」

彼の口から、わずかな音が漏れた。彼は、自分の両足から逃げるために、うつぶせになり、地面をつかむように這いつくばった。そして、前進するために、灼熱のアスファルトを無我夢中で引っ掻く。アスファルトは、まるで大根おろしのようになっていて、彼の指を削るのみで、彼の体は全く動かない。何度、地面を掻いても、体の重心は全く動かない。


そうこうしているうちに、あの巨大なヤスデが、無数の足を規則正しく連動させて彼に迫っていた。そして、破れたズボンの内部に侵入し、ついに彼の肛門を犯したのだ。

「アアア!!」

彼は絶叫した。

彼の引っ掻きは、数倍の速度となり、指は消しゴムのように、瞬く間に消え去っていった。



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