昼に這う
ささき
第1話 エロスとタナトス
これは、“彼”のほんのひと夏の思い出。
梅雨があけ、本格的な夏が始まった。気が滅入るほどの温湿度。
家を出た瞬間、周囲の空気が粘性を持ち、“彼”の体をねっとりと覆う。
彼は高校生。
平日。
時刻は真昼間の正午。無論、学校はもう始まっている。
高校生の彼は、スマホに目をやり、最近流行りの歌の原作となった短い小説を読んていた。美しい死神に魅せられる青年の独白が綴られた作品で、そこにはこんな一節がある。
<世の中には2種類の人間がいるという。
生に対する欲動──「エロス」に支配される人間と、
死に対する欲動──「タナトス」に支配される人間。>
(星野舞夜「タナトスの誘惑」より引用)
「俺は間違いなく後者だな」
彼はそう呟き、スマホを胸ポケットの中に落とした。そして、汗ばんだ手の平で自転車のハンドルを握り、大腿四頭筋がもりあがるほどに、強くサドルを漕ぎ始める。彼の左手首にはリストカットの跡が見えた。
――――
彼は“死”に対するニュースが好きだ。
最近、人気俳優が自殺し、クラスの話題は、“死”一色に染まっていた。
「何で死んだんだろうな」
「ねぇ、なんでだろうね?」
「全部持ってるよな、顔、金、仕事、実力。、、、誹謗中傷されてたっけ?」
「いやーどうだっけ?」
こんな会話が、延々と繰り返される。その様子を、彼は教室の隅から眺める。
(くだらん、、、理由?そんなものはない。彼は、邂逅し、引き寄せられただけ、死神、、、タナトスに誘惑されただけ、、、)
また、身体障害者の嘱託殺人という、一風変わった自殺も世間を賑わせている。
世論の論調は、基本的に自殺に否定的であった。
「残念でならない、、、生きる希望を持てる社会に、、、加害者の医師の倫理観を疑う、、、命は尊い、、、」
そんなコメントをするテレビの司会者を彼は、頬付けをつきながら、心の中でつぶやく。
(黙れ、、、命が尊い?、それならば死もまた、尊い。苦しんで生き続けろというのか?、、、それこそ拷問。非人道的行為に相違ない)
―――――
「俺も同じように死を選ぶ」
彼の大腿四頭筋は、スムーズに動く彼の膝を規則正しく回転させた。
ブロロロロ!!
背後から、耳障りな爆音が迫ってきた。
「どけ!!」
彼は、衝撃を受け、バランスを崩した。
「イテッ!危ないだろ!」
「ああ?なんだこら!」
時代遅れのバイクが、彼の進行方向で止まった。
降りてきたのは、そりこみの入った青年。老けて見えるが、年齢は同い年くらい。この近くのヤンキー高校の生徒で、改造バイクで通学している。ただ、通学と言っても、同じ悪友たちと待ち合わせているだけで、集合次第、すぐに爆音を響かせて街に繰り出すのだ。
(田舎の珍走族め!)
彼の思念は、言葉には昇華しなかった。
「すいません」
決して目を合わせず、無様に彼は謝罪した。無実の謝罪ほど、屈辱的なものはない。
(ああ、死にたい)
「ふん、キモイんだよ。次会ったら、金とるから覚えてろ」
いつもなら、カツアゲされるところだろうが、どうやら彼は急いでいるようだ。また、イラつく音を響かせて、バイクは去っていった。
(助かった、、、あっ)
次の瞬間、彼は自暴自棄の輪廻の中に落とされた。
(バカやろうバカやろうバカやろうバカやろうバカやろうバカやろうバカやろうバカやろうバカやろうバカやろう、、、死にたい死にたい死にたい死にたい、、、死んでしまえばよかったんだ。あんな馬鹿に侮辱されるくらいなら、、、死の意味も知らないあんな馬鹿に謝るくらいなら、、、生きてて、ホッとするくらいなら、、、)
怒りと悔しさで、彼の大腿四頭筋はパンプし、自転車の速度をさらに早める。
彼の住む町は“田舎”だ。通学中、車や人と出くわすことは少なく。さっきのヤンキーを見かけるのも、毎日のことではない、むしろめずらしいことだった。
入り組んだ道路はほとんどなく、田んぼと林に囲まれた巨大な舗装道路の一本道を、ただひたすら真っすぐに進めば高校に着く。極めて単純な道で、基本的に見通しもいいのだが、一か所、事故多発箇所がある。
そこは、丁度、家と学校の真ん中あたりになのだが、車に引かれた野性のシカやイノシシの死骸が、頻繁に道の真ん中に転がっている。一本道で障害物はないのに。なぜか。理由は道の傾斜である。この道は、彼の家から事故多発箇所まで、緩やかな上り坂、そこから急に下り坂になっている。つまり、一見、見通しの良い道と錯覚してしまうのだが、実は下り坂の先は、一定区間、死角となっている。田舎の解放感に満ちた運転手が、集中力を欠いたまま猛スピードで車を走らせた挙句、歩いている動物たちをひき殺してしまうのだ。
「アアア!!クソッ!」
彼は叫んだ。そして、ガン!と、彼は自転車に乗ったまま前方のかごを蹴った。しかし、それでも、まだ怒りが収まらない。
(あいつを殺しに行こうか。あいつとあいつの連れも全員殺してやる。ナイフで、頸動脈を掻っ切ってやる!)
坂道とは言え、“ゆるやか”故に、出そうと思えばスピードはいくらでも出せる。さっきのヤンキーの首を切り、首から水鉄砲のように血液が噴き出す妄想をしながら、彼の自転車は最大スピードに突入した。
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