無才な私が書く理由

夏が終わりますね。この夏一番の教訓は、部活の日の登校中にイヤホン伝いに聞く夏の曲が最高ということでした。朝の涼しい空気と音楽って、眠気もだるさも吹き飛ばす魔法です。雰囲気だけで目が覚めるなんてちょろいですけれど。でも私は眠い時に眠くないと嘘をつける器用な人間ではないので、きっとこの魔法は本物なんでしょう。


今日は、書くことを諦めないための日記です。才能のない私が書くことを続けたい理由です。自分へ。書くことを嫌いになりそうになった時見てください。

私が小説を書こうと思ったのは中学三年の一月下旬。コロナで修学旅行が中止となり、大号泣した後。中学二年から不登校気味だったけど、修学旅行を楽しみに毎日頑張ってたんだよね。少しづつ授業にも出られるようになった矢先の中止だった。修学旅行自体も楽しみだったけれど、何よりも今まで縋っていたものがなくなった恐怖が大きかった。病んでた私にとっては、世界に裏切られたような感覚で、死ねと言われたようなき気がしていた。だから、自殺しようと思った。今考えたら修学旅行が中止になったから死ぬなんておかしな話だけど、当時の私からしたら一つのストッパーだったんだよね。ここまではとりあえず生きる、って。玄関から出たらばれるから自室から庭にでてマンションのロビーを通って非常階段へ。三階まで上がって、下を見てみたら、怖くなった。本当に死ぬ勇気なんてなかった。五分くらい下を眺めて、私、死ねないんだなって感じてそのまま部屋に帰った。死ねないことが悲しくて泣きながら寝た。結局自分も生にすがる人間なんだって実感した。そのあと二日くらい、何も考えられないまま学校へ行った。どうしたらいいのかわからなかった。三日後、ふと小説を書こうと思い立った。別にきっかけも何もなかった。ふと、これなら私もできるんじゃないかと思った。(以前読んだ住野よるさんの「また、同じ夢を見ていた」の言葉の美しさに恋におちていたのかもしれないと今では思っているが)それが、はじまりだった。いきなり書き始めたものの、途中で矛盾に気づいたりキャラがブレブレでまったく面白くなかった。作品自体は自分で読んでも面白くないのに、自分の手で言葉を生み出している時間がたまらなく楽しかった。

半年ほどたった今、私が書き続けたい理由は、やっぱり楽しいから。自分の一部を預けたキャラクターたちはかわいい。そして、一番は「また、同じ夢を見ていた」のように美しい物語を書きたいと思うから。表現にはいろいろな形がある。絵、アニメ、映画、写真、演劇、それぞれのいいところがある。その中でも私は小説という文字で伝える表現がやっぱり大好きなんだ。文字一つ一つが生きていて、私たちを温かく包み込んでくれるから。そして私自身そういった文字を言葉にし、言葉に生を与える人になりたいと思った。美ってずるいと思う。簡単に人を虜にさせて、人生を狂わせてしまう。だから、自分自身を満足させられるような美しい物語を、この人生で書きたい。


書いていて思いました。やっぱり私、才能どころか文章を書くのが下手です。だから、もっともっとたくさんの本を読んで、もっともっと勉強します。最後の最後にでも、自分を納得させられる言葉を、物語を生み出せるように。頑張ろう、私。

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せつなにっき。 ねも @nemone_001

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