第12話


 


 私はあの日以降名前を変えた。眞琴マコトという女はあの日死んだのだ。そしてこれからは聖母マリアの名を借りて、救済という復讐を遂行する。けれどまずは人脈を作らなければなるまい。小さな湖のような所でボロ雑巾のような服を脱ぎ去り、下着もそのままに湖に入る。まずは体を清めてからあの国に向かおう。などと考えているとガサガサと叢が揺れる。私はそちらへ目を配る。程なくして現れたのは、冒険者風情の青年だった。敵対するのであれば喉を掻っ切るだけだが……?


 「……こ、これは失礼した!見るつもりは……」

 「尾いてきていたのは分かっています。まぁ確かに女が一人で居れば狙うも同然ですものね」


 薄く笑い、ゆっくりと湖から出て、青年と対峙する。局部はまぁ髪で一応見えないだろうし良いだろう。


 「えっ……と……ですね……」


 青年は女性の裸を見慣れてはいないのだろう。顔を赤らめてしどろもどろになるではないか。面白い男だ。


 「……クロード家、と言ったらわかるだろうか?」


 あぁ……あの貴族か。丁度いい。


 「えぇ、存じていますよ。何せ、一度尋ねられていますから」


 見せかけの微笑みを浮かべ、青年には敵意がないと理解し、ボロ服を拾い上げ、体が些か濡れてはいるが着用する。


 「それで?何故ついてきていたのですか?」


 濡れた髪を絞り水気を切りながら問いかける。


 「あなたをお迎えに、と言ったら信じてくれますか?」

 「………」


 嘘ではなさそうだ。ここは乗ろう。


 「ひとまずは信じましょう。あぁ、貴方は魔法は使えます?」

 「え?あ、はい……使えますが……?」

 「でしたら、髪を乾かしてくださいませんか?今は魔力があまりないので……」


 これは嘘だ。もし、ほんの少しでも彼に敵意があれば即座に殺せるように。


 「えぇ、構いませんよ」


 二つ返事で彼は近づき、私の頭部に手を翳し、乾かし始めた。ほんとに私に敵意がないとは。


 「……これでよろしいでしょうか」

 「えぇ、いいですよ。ありがとう冒険者様」


 微笑みは絶やさずそっと手を添える。ただそれだけで青年は頬を染める。青い人。あの人ならこんなことでは恥ずかしがらないでしょうに……ともう喪った人を思いつつも彼を見据える。


 「それで?連れて行ってくださるのですよね?」

 「え、えぇ。行きましょうか」


 そのまま前を先導し始めた。私はその後をついていく。


 「馬車はあるんです?」

 「はい、ここの近くに隠してありますよ」


 用意がよろしいようで。程なくして青年は立ち止まり、不意に手を翳した。すると馬車が現れたではないか。


 「なるほど。迷彩ですか」

 「ご存知のようですね」

 「えぇ、存在だけは」


 どうぞと手を差し伸べられ、そのまま厚意を受け取り手を軽く添えて馬車の中に入る。紳士的な人のようだ。


 「暫く揺れますがよろしいですか?」

 「構いませんよ。クロード家の方へ行けるなら多少揺れても構いません」


 荷台から御者の方を見、頷く。青年は頷き、手綱を揺らした。ゆったりと進み始めた。どうやら私のことを考えて走ってくれるようだ。何から何まで紳士的だこと。


 「あの」

 「はい?なんでしょう」

 「どうしてそこまで優しくしてくれるのです?」


 故に聞く。青年は多少考えつつも応えてくれる。


 「女性の方には優しくせよと小さい頃から教わってるんです。だからだと思いますよ」


 なるほど。教育がしっかりしていたのか。この人には是非幸せになってほしい。


 「私がどのようなことをされたとしても……そのような態度を取るのですね」

 「え、それは当たり前じゃないですか?寧ろ、あなたにどんなことが起きたのかはわからないですけど、でもそんな顔をしている分、俺がなんとかしたいですから」


 あぁ、この人は生粋のお人好しだ。私は何故か懐かしい気持ちになってしまう。


 「これから言うのは単なる独り言と思って下って結構です」


 そう言い止め、軽く息を吸って口を開く。


 「私はウェンドリアの賢者でした。でしたと言うのは先程私の友達が拷問の末処刑されたからです。仲良くしていた姫様が言うには私欲に塗れた貴族達の権力闘争によって起こったことだと言いました。私は運よく……いいえ。あの人たちによって生きながらえされました。

 私は生き残るなら一緒に死にたかった。だって……私の好きだった人も大切な親友も全部あいつらに壊されたから………それなら死にたかった……でもできなかった。私は思ってしまったのです。あいつらに復讐してから死んで仕舞えばいいのだと。裏切られた私はきっと裏切った人たちを全員殺すまで死ねないでしょう。いいえ。死ぬつもりは毛頭ありません。死ぬくらいならあの国を……あの貴族たちを救済してから地獄に落ちる。ねぇ?罪深いでしょう?」


 実の所泣きたかった。一人の友として、一人の女として悲しみたかった。けれどできなかった。悲しむよりも先に黒い感情が湧き出たのだ。


 「そうですね……確かに罪深いかもしれないですね。でも、そう思うのも仕方ないと思います。だから、俺は何も言えないです。慰めはいらないですもんね」

 「……えぇ、そうですね……こう見えても私はまだ純潔ですし」


 そう言いつつも少し試してみようかと思い、御者に近寄る。


 「……けれど……そうですね……貴方なら私の心を満たしてくれますか?」

 「え?」


 後ろから抱きしめる。正直もう自分の体だとか心だとかどうでもいいのだ。唯一愛した人も喪った。故に、大切にしている意義があろうか。馬鹿らしいと果たして言えるだろうか。全てを喪った私には何が残っているというのか。


 「……だ、だめですよ……いくらそんなことがあったとしても自暴自棄になるのだけはだめです」


 本当に優しい人だこの人は。壊れる前の私なら……ちゃんと愛してあげれただろうか。


 「……もうどうでもいいんです。全てが……ねぇ。私を……抱いて?」


 吐息も混ぜて耳許で囁けば流石に堕ちるだろう。


 「………やっぱりだめですよ……えっと……確かマコト、さんでしたね」

 「……私の名前………知っていたんですね。でも、今はマリアですよ冒険者様」


 私の右腕に被さるように彼は手を添える。右斜め後ろから彼の目を見つめれば動揺しているのがわかる。あともう一押しだ。


 「もう一度私の名前を呼んでくださいますか?」

 「………ま、マリア……さん?」


 彼の声もまた揺れている。


 「はい、冒険者様」


 道は未だ森の中。誰もいない。人気も何もない。堕ちるならとことん堕ちよう。馬車は静かに止まりゆく。彼はそっと私を荷台に押し退け、覆い被さる。


 「い…いいんですね?」

 「えぇ、早くお抱きになって?」


 青年もまた初めてなのだろう。どこか辿々しい。けれどそれが彼なのだろう。私の初めてを全部捧げよう。見ず知らずの紳士的な男性にーーーーーーー。


 後悔はない。もうすでに生き延びてからしないと決めた。私は彼に抱かれながらもさらに決意を固めていくのだった。


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