第16話 猫人、喚く

 暗くジメジメした旧1番坑道を進みながら、俺はしきりに周囲を、特に足元を見ながら皆と一緒に進んでいた。


「うぅっ……」

「ビト、大丈夫?」


 落ち着かない様子の俺に、エルセが心配そうに俺を見上げながら言った。

 返事は返せないが、そりゃあ心配だ。何しろこの暗い、小さな鉄食い鼠アイアンイーターの気配がそこかしこからする中を、進んでいかないとならないのだ。ネズミ系に苦手意識のある俺としては、恐怖心で足がすくんでしまうのもしょうがない、と言いたい。

 おっかなびっくり、しかし後続がいるから止まるに止まれず進んでいく俺を振り返りながら、アルチデがため息交じりに言った。


「そこまで心配することはないだろう、この旧1番坑道にはほとんどアイアンイーターは漏れていなかった。旧8番坑道にまだ群れている可能性が高い」


 彼の言葉に、下から批判じみた視線を返す俺だ。

 確かに今進んでいる旧1番坑道で、アイアンイーターを見かけることはほぼなかった。何匹か見かけることもあったが、他のモンスターと同程度。坑道の中であれば自然発生の範囲内だ。

 しかし、だからといって気を張らないわけにはいかない。何しろここは鉱山の坑道の中。そして魔物は、土地の魔力が高い場所ならどこからでも生まれてくるのだ。


「そうかもしれないけどさ……あいつらどこからでも湧いてくるし……」

「そうだな、油断は禁物だぞ」


 俺の悲痛な言葉に、アンベルがうなずきながら視線を巡らせた。

 旧1番坑道は旧8番坑道と接している。それでこれだけ数が少ないなら、旧8番坑道とここを隔てる扉は破られていないのだろう。そこは安心していいはずだ。

 しかし、現にこの坑道内でもアイアンイーターと出くわしているのだ。油断はできない。


「確かにね。アイアンイーターはネズミの魔物だ。体躯も大きくない。そこら辺の坑道の隙間にいるということも――」


 俺の隣を飛ぶヒューホが、口を曲げながら言ったその時だ。


「チィ」

「えっ」


 俺の足元から鳴き声が聞こえる。間違いない、アイアンイーターの鳴き声だ。というかその声が、いやに近い。おまけに何か足にくっついている感覚がある。

 嫌な予感を感じて俺はローブをめくり上げた。果たしてそこには、俺の右足のブーツにしがみついているアイアンイーターの姿があって。

 全身の獣毛が一気に逆立った。尻尾がぶわりと膨らみ、思わず悲鳴を上げる。


「う、うわーーーっ!?」

「ビト!?」

「ビト君!?」


 俺の悲鳴に、アルチデとヒューホが一緒に俺の方を向いた。それだけではない、俺の後方を歩いていたパルミロとカールラも、驚いて足を止める。

 そんな合間にも、俺はブーツにくっついたアイアンイーターを振り払おうと必死だ。右足をやたらめったらに振って、何とかブーツのアイアンイーターを離そうともがく。


「は、離れろ、離れろよ!!」

「ビト、落ち着け!」

「今どけるから、動かないで!」


 しかしこれでは他の仲間も対処ができない。アンベルがとっさに俺の肩を掴んだ。動きが止まったその瞬間にエルセがアイアンイーターをくわえ上げ、そのまま首を振って坑道の壁に叩きつける。

 思い切り岩壁に叩きつけられたアイアンイーターは、そのまま動かなくなった。念のためにエルセが角でつつくが、ピクリともしない。

 その様子を見ていた俺の呼吸は、未だ荒かった。目の端には涙がにじんでいるのも自分で分かる。それもそうだ、未だに足にはアイアンイーターの感触が残っている。気持ち悪い。


「はーっ、はーっ……」

「なるほど……そこまで、苦手なのだな」


 俺の肩を抱いたまま、アンベルが申し訳無さそうに言った。そのまま、俺を抱くようにして長いマズルを俺の頬に寄せる。


「すまなかった、こんな場所に連れてきてしまって」

「そこまで苦手なのだと分かっていたら、無理に連れてくることもしなかったのにな」


 パルミロも静かな口調で俺に言ってくる。確かにこのクエストは、魔法使いソーサラー一人体制でも別段困るわけではない。何しろパルミロは第八位階まで炎魔法を使える腕利きだ。彼一人でも、この坑道内のアイアンイーターは一掃出来たかもしれない。

 しかし、俺はついて来ると決めた。アンベルやヒューホに押し切られなかったかと言えば嘘になるが、無理矢理に引っ張ってこられたわけではない。


「いいよ……ついて来るって決めたのは、俺だ。そばに寄られなければ、そんなでもない」


 ようやく落ち着いてきた呼吸を整えながら、俺が答える。別にこんなところで強がったところで、誰が得をするわけでもない。

 要は今のように近づかれなければいいのだ。距離が離れた状態を維持できるなら問題はない。

 とはいえ先程の錯乱は皆に見せてしまっている。エルセもヒューホも心配そうに俺のそばに寄ってきて言った。


「ねービト、無理しなくても良いんだよ?」

「そうだぞ。苦手なものを無理して克服しようとしなくてもいい」


 二人に、俺は小さくうなずいて返す。そしてアンベルも、俺から顔を離し、腕を離しながら口を開いた。


「まあ、以前までのビトだったらな。だが今は、自力でどうにか出来る。そうだろう?」


 彼女の言葉に俺は、こくりとはっきりうなずいた。

 そう、大丈夫だ。今までの俺は、過去の俺は第一位階の魔法でどうにかしなければならなかった。しかし今は、そうではない。

 俺がうなずいたのを見ていたカールラが、心配そうな目をしながらアンベルへと問いかけた。


「自力で……って、今の当惑ぶりを見てもそれが言えるんですか、アンベル?」

「アイアンイーター一匹であそこまで取り乱すのに、大丈夫なのか?」


 パルミロも心配そうな目を彼女に向けている。二人の言わんとすることも当然分かる。たった一匹のアイアンイーターにくっつかれただけであの取り乱し様なのだ。仲間としては、心配にもなるだろう。

 しかし、アンベルは気にする風でもなしに、立ち上がって笑う。


「今に分かるさ」


 彼女の含みのある言い方に、釈然としない表情の「跳ねる猫ガットリンバルザ」の面々だ。どうにもこの狼の獣人ファーヒューマンは、含みのある物言いを良くする。それはそれで、腹に一物ある気がして心配だ。

 そのまま、俺たち一行は再び坑道の中を進んでいく。二パーティー分の魔法ランタンの明かりがあるから俺たちの周囲は明るいが、まだまだ坑道は奥へと続いている。

 俺は先を行く、魔法ランタンを手にしたアンベルに声を向けた。


「アンベル……」

「ビト、遠慮することはない。先程同様、旧8番坑道に飛び込みざまに大規模な魔法を叩き込めばいい」


 アンベルは俺の言葉に、小さく振り返りながら答えた。

 その言葉に何も言えなくなる俺だ。確かに先ほどと同じようにやれば問題ない、そうなれば俺が何を不安がる必要もない、と彼女は言うのだ。

 一理ある。確かにさっきと同じだと考えれば、俺も多少はやりやすい。とは言え次に向かうのはアイアンイーターが大量に湧き出す、旧8番坑道だ。

 そうこうする内に先頭のエルセが足を止める。青銅製の扉が固く閉ざされたそこには、「8番坑道」の看板が掲げられていた。アルチデがランタンを掲げながら言う。


「ここが、旧8番坑道の出入り口だ」

「一応……扉はちゃんと、しまってるんだね」


 エルセが一緒に、扉の上の看板を見上げながら言う。鉄と比べて安価な青銅だが、今回はそれが功を奏した。ヒューホが重厚な扉に手を触れながら言った。


「青銅製の扉だったのが幸いだな。鉄製だったら破られていただろう」

「つまり……この中には、アイアンイーターが、うじゃうじゃってことか」


 彼の言葉にうなずきつつ、パルミロが呟くように言った。

 他の坑道に出ているかもしれないが、封鎖されていない坑道からアイアンイーターが漏れ出ている様子はなかった。旧8番坑道の中では、無数のアイアンイーターがうごめいて居るはずだ。

 アンベルが俺の肩に、優しく手を置きながら告げる。


「ビト」

「分かってる……全部焼き尽くせばいいんだろう」


 名前を短く呼ぶアンベルに、俺は決意を込めて返事を返した。

 もうここまで来たら迷いはない。迷う必要もない。全力で魔法をぶちかますだけだ。

 アンベルとアルチデが青銅製の扉のかんぬきを外し、取っ手に手をかける中、俺は扉の前に立って両手を前に突き出した。そして声を発する。


「闇をはら白炎はくえんよ、我が手の内に宿りてここに顕現けんげんせよ! 全ての生命は灰燼かいじんし、これよりこの地は紅蓮の地獄と化す! 万象一切ばんしょういっさいがすその名をたたえてひれ伏せ!」

「なっ」


 俺の発した三節の詠唱に、アルチデが目を剥いた。後方からカールラとパルミロの驚く声も聞こえる。


「だ……」

第十位階・・・・、だって……!?」


 そう、炎魔法第十位階の炎帝の憤怒ホワイトプロミネンスの詠唱だ。

 第十位階の魔法は総じて、三節目の詠唱の文句が定型文になっている。この文言が出るということは、間違いなくそれは最上級の魔法だ。

 だから三人は驚いたのだ。俺が第十位階を唱えることが出来るなど。


「そうだビト、遠慮するな。坑道内の一切を焼き尽くせ!」


 アンベルが満面の笑みを見せながら、扉の取っ手を引いた。慌ててアルチデも取っ手を引く。

 そして扉の向こう、旧8番坑道の中からいくつもの輝く瞳が、アイアンイーターの瞳が見えた瞬間だ。俺は叫ぶ。


炎帝の憤怒ホワイトプロミネンス!!」


 俺の両手から、白い炎が一気に噴き出した。炎は開きかけた青銅の扉を貫き、中の坑道に一気に広がった。


「ギ――!!」

「キャ――!!」


 白い炎は通常の炎よりも温度が高い。アイアンイーターは悲鳴を上げる間もなく一瞬で消し炭になった。

 いや、それだけではない。坑道を支える支柱も、フレームも、全て焼き尽くす。

 そして坑道を焼き尽くした後の炎が消え去ったことを確認するよりも先に、旧1番坑道にまで伝わるほどの大きな揺れが起こり始めた。


「う、わ……!?」

「なんだ、この揺れ!?」


 その場の全員が困惑の声を上げながら坑道の壁に手を付き始めてその場から遠ざかり始める。

 揺れる中踏ん張る俺は見た。旧8番坑道の天井の岩が次々に落ちてきている。アルチデが叫んだ。


「坑道が崩れるぞ、退避!!」

「ビト、離れろ!!」

「あ……!」


 同時にアンベルが俺の手を引く。俺の身体が引っ張られ、旧8番坑道の前から離れた次の瞬間。青銅製の扉がこちらに向かって倒れ込んできた。その向こうからたくさんの熱された空気と塵、そして石が、旧1番坑道に吹き込んできた。

 坑道にへたり込む俺たちから、安堵の息が漏れ始めた。


「ふー……」

「やってくれるな、なかなか」


 パルミロとヒューホが息を吐きながら声を漏らすと、先程までの戦闘が嘘だったかのように、仲間たちが次々に俺を称え始めた。


「まいったな、第十位階まで使えるC級魔法使いソーサラーなんて、聞いた覚えがないぞ」

「本当ですよ。どうなってるんですか、ビトの魔法のランク?」


 アルチデとカールラが、不思議そうな顔をしながら俺の肩を抱いてくる。俺がどう説明しようかまごついていると、アンベルが苦笑しながら肩をすくめた。


「まあ、いろいろあってな。特殊スキルの兼ね合いもあって、使用できるようになっている」

「ああ……」

「なるほど……」


 その言葉に、何かを納得したような声を漏らす二人だ。

 特殊スキルを持ち出されたら、どう言われようと納得するより他にない。というより納得するしか無いのだ。それだけ、一般の冒険者が持たない特殊スキルは、いろんな事態を巻き起こす。俺がそうであるようにだ。

 とはいえ、「跳ねる猫ガットリンバルザ」の三人は人化転身を解いた俺しか見ていない。説明されたとしても、なかなか納得もしにくいだろう。


「おい、アンベル」

「いいではないか、このくらいは」


 俺がちくりとアンベルを視線で刺すと、からからと笑いながら彼女は返してきた。

 そう言われては俺もこれ以上強いことは言えない。口をつぐんだ俺から視線を外して、アンベルがさっと手を広げた。


「さあ、坑道の中をあらためるぞ。素材を回収しなくては」


 そう言いながら旧8番坑道のあった場所に向かって歩き出すアンベル。とはいえ坑道はすっかり崩れ落ちて跡形もない。あんな中から素材を回収できるのか、疑問に思いながらもアンベルの後についていく俺だった。

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