第10話 猫人、頭を下げる

 洞穴からほど近くにあるシモンチーニ村に移動して、帝国冒険者ギルド 西シャンドリ郡支部のシモンチーニ村出張所でクエスト達成の報告をして、俺たちは村にある酒場兼宿屋「寝転がる馬亭」で祝杯を上げていた。

 まだクエスト達成報酬も素材の売却額も受け取っていないが、どうせこの後に金は数千ソルディくらい各パーティーに入ってくる。何も問題はない。


「じゃー、イーターライオン討伐成功を祝して、かんぱーい!」

「「かんぱーい!」」


 オルフェオが一杯40ソルディのエールの入った木製のジョッキを掲げれば、他の冒険者も一斉にジョッキを掲げた。もちろん、俺もだ。

 そして俺の隣では、人化転身して狼の耳と尻尾を生やした狼人ウルフマンの姿になったアンベルが、大きくジョッキを傾けてエールを飲んでいた。その横ではエルセとヒューホも人化転身して、人間の子供の姿になった状態でお茶を飲んでいる。


「本当に、人化して町に入ってるんだな、皆……」

「フードを被っているところも同じだっただろう? さすがに酒場の中ではそれを外すけれどね」


 「眠る蓮華ロートドルミーレ」の三人が人化している姿を初めて見た俺は、何とも言えない気分で酒場で楽しむ三人を見ていた。ヒューホがこめかみから生えた短い角をなでながら笑っている。

 酒場の中ではフードを取っているが、村に入る前から三人は人化転身して、フード付きのローブを身にまとって、深くフードを被って入っていたのだ。俺が普段からやっていることと、同じことを三人もしていた。

 なるほど、これなら俺は余計に目立たないで済む。万一人化が解けたとしても、十分隠れられる状況だ。

 と、一杯目のエールをさっさと飲み干して二杯目のエールを注文するアンベルに、フランチェスコがおずおずと問いかけた。


「それにしても、いいのかい、アンベル? 君は魔物だろうに、エールなんて」

「なんだフランチェスコ、私が心配か?」


 不安そうな目をするフランチェスコを見返しながら、アンベルはすっと目を細めた。腰から伸びる尻尾が、ゆらゆらと揺れている。

 お茶を飲み進めていたエルセがアンベルの傍に寄りながら、自分の頬を軽く触って言った。


「神獣以外の魔物も、人間のお酒を全然飲めないわけじゃないのよ、すぐに酔っ払っちゃうだけ」

「まあ、僕とエルセは転身しても見た目がこうだからね、飲みたくても提供してもらえない。ここで飲めるのはアンベルだけだ」


 ヒューホもそれに同調しながらエルセの肩に手を置く。

 彼の言う通り、エルセとヒューホは人化転身しても子供にしか見えない。曰く、体格の小さい魔物だからどうしてもこうなってしまうんだそうだ。

 この世界のどの国でも、酒を飲めるようになるのは16歳から。俺は17歳だから問題なくエールを注文できるが、去年はステータス画面の提示を求められたものだ。

 ため息をつきながら、俺もエールのジョッキに口をつける。


「確かに、エルセとヒューホは、子供にしか見えないもんな……」

小人族ホビットのように、成人しても人間の子供のようにしか見えない種族も、亜人の中にはいるからね。でも、そういう彼らも人間の酒場で酒は飲めないだろう?」


 もう一度ヒューホが言いながら、片目をつぶってウインクしてみせた。

 確かに獣人ファーヒューマンを含む亜人という魔物の分類には、見た目は人間とそう違わない種族もたくさんいる。エルフ、ドワーフ、ホビットなどなど。

 彼らは人間と同じような姿をしているが、人間社会には関わらないで独自の文化を築いている。魔物同様、たまに森や山から自然に生まれてもくる。そんな彼らもたまに人間の町に来て、交易をしたり酒場で酒を飲んだりしている。

 それでも人間同様、15歳以下は酒を飲めないし、その年齢に見える者には店も飲ませない。ホビットだから、ドラゴンだから、神獣だからといっても、何かあったら責任が取れない以上、仕方ないのだ。

 と、バジーリアが俺のそばに寄ってきて肩に腕を回してきた。既にエールは4杯目、だいぶ頬が赤い。


「ねービト、飲んでるー?」

「の、飲んでるよ、おいやめろ」


 突然身体に手を回されて、驚いた俺の腰から尻尾が伸びる。同時に頭からは三角耳。既にアンベルが耳と尻尾を出しているから今更何を言われることもないが、やはり俺に視線が集まった。

 そんなことなど気にすること無く、バジーリアが俺の尻尾を触ってくる。くすぐったい。


「えへへ。ビトの尻尾、かーわいいー」

「ああもう、やめろって、バジーリア、触るな」


 さすがに俺も、生えたばかりの尻尾をいじくり回されるのはいい気分がしない。とっさに空いた手でバジーリアの手をつかみ、引きはがそうとする。と、いつの間にか爪が尖っていて、彼女の肌に食い込んでいた。痛みにバジーリアが顔をしかめる。


「っ、ビト、爪、痛い」

「あっ……」


 言われてすぐに、俺は手を離した。猫人キャットマンの爪はどうしても、尖っているから皮膚に当たると痛い。こういうことを、俺はしょっちゅう起こしていた。すぐにバジーリアに頭を下げる。


「ごめん」

「あ……ううん、あたしこそごめん、嫌がってるのに」


 バジーリアも今の痛みで少し酔いが醒めたようで、俺に申し訳ない顔で頭を下げてきた。その様子を見ていたアンベルが、頬を少し赤くしながら口元を結んでいる。


「ふむ。やはり精神の安定がないと、すぐに転身が解けてしまうのだな」

「だめだな、俺……すぐに尻尾も爪も出ちまうし、やっぱりこんなんで冒険者なんて」


 ジョッキをテーブルの上に置きながら、俺は尻尾を垂らしつつうなだれた。

 やはり、こんなに心を乱されてすぐに転身が解けるようでは、人間社会に混じって冒険者をやっていくなんて無理なのではないか。やはり、魔物の集落で魔物として細々と暮らしていくほうがいいのではないか。

 そう考える俺の猫耳が生えた頭を、俺の前に屈んだアンベルがくしゃくしゃと撫で回した。その手の先が、獣人のそれに戻っている。


「出来ないなんてことはないさ。君には根源魔法に結界魔法まで使える魔法の素質と知識がある。それは、他の誰にも決して真似のできるものではない」


 顔を上げると、狼の頭が俺を間近で見ていた。こっそりと転身を解いてみせたらしい。その姿に俺が目を見開いていると、俺の両脇からエルセとヒューホが顔を出した。二人とも、魔物の姿に戻っている。


「そうそう。それに、酒場の中でだけでも人化転身をそれなりに維持できていれば、誰に文句を言われることもないでしょ?」

「そうさ。それに僕たち三人もついている。君の外見のことなんて、容易に覆い隠せるさ」


 人間の村の、酒場の中だ。普通だったら大騒ぎになりそうなものを、三人は平気な顔をして魔物の姿に戻ってみせた。

 意図は分かる。俺を励ますためにやったのだ。そうでなければ、他の人間の目もあるこんなところで、転身を解くはずがない。

 さっと再び転身をして人間姿に戻る三人。その輪の中に入ってきながら、オットリーノが俺に声をかけてきた。


「そうだぞ、ビト・ベルリンギエーリ。確かに君は半人間メッゾだが、正式な冒険者である事実は揺るがない。爪がなんだ、尻尾がなんだ。なんなら『青き旋風ヴォルティチェブルー』の勇者イヴァーノを見てみろ、耳と尻尾を隠しもしないだろう」


 彼の言葉に、何とも言えない表情をしながら視線を逸らす俺だ。

 アンブロシーニ帝国の勇者ヴァラー、イヴァーノ・ディ・ビアージョは半人間メッゾだ。それも半人間メッゾの特徴を全く隠さないで冒険している。そうありながら、勇者として皆にありがたがられている。

 彼は俺だけでない、すべての半人間メッゾの憧れだが、同時に俺にとっては、ねたましく思う相手でもあった。

 視線を落としながら俺は言葉を返す。


「それは、確かにそうだけどさ……」


 あんなふうになれたら良いと思いつつ、あんなふうになれる訳がないと思わされる。この複雑な心境を言い表す言葉を、俺は持っていない。

 と、アンベルがため息を付きつつ、腕を組みながら俺に声をかけてきた。


「確かにこの世の中、半人間メッゾ・ウマーノにいい顔をしない人間はいるさ。その人間に認めろ、と言ったってそう簡単には行かない……だがな、ビト」


 そこまで言って言葉を区切ると、アンベルが片膝をついた。そして俺と視線を合わせるようにしながら、かみ含めるように話す。


「君は、君だ。真人間ベロ・ウマーノでも真魔物ベロ・デモーネでもない、半人間メッゾ・ウマーノの君こそが君なんだ。君が君であるということを、卑下する必要はない」

「あ……」


 その優しく、力強い言葉に、はっと息を呑む俺だ。


「……」


 俺は、俺。半人間メッゾである俺こそが、俺。これは変えられない事実であるが、同時に俺を現すこれ以上ない要素でもあるのだ。

 確かに全くの人間ウマーノではない。だがしかし、全くの魔物デモーネでもあるはずはない。そこは、この上なく確かだ。

 しばらく視線を落として頭の中を整理する。言葉を思い出しながら考える。そして俺の前で膝をついたままのアンベルと、俺の両脇に立って様子を見ていたエルセとヒューホに視線を向けた。


「……アンベル。エルセ。ヒューホも」

「どうした」


 俺の言葉に、アンベルが優しく声をかけてくる。

 俺の次の言葉を待ってくれている彼女に、俺はゆっくりと話しかけていった。


「俺、転身上手く出来ないし、レベルも低いし、ランクも低いし、魔物じゃないし、たぶん三人に、たくさん迷惑かけると思う」


 俺に出来ることはきっと多くない。冒険者としての経験も浅い。心の強さも自信がない。だが、それでも。俺は俺の素直な気持ちを、三人にぶつけていく。


「でも、色々考えたけど、俺……皆についていきたい。一緒に旅がしたい。だから……その……」


 自分を「眠る蓮華ロートドルミーレ」に入れてくれないか。

 その言葉が、詰まって出てこない。だが俺が全てを言い切るより先に、エルセが俺に抱きついてきた。


「よかったー! これで断られたらどうしようかと思っていたのよ」

「よく言い出してくれた。歓迎するよ、ビト君」


 ヒューホがこちらに手を差し出してくる。少し身をかがめて彼の手を握ると、アンベルが俺の頭にもう一度、手を置いて笑った。


「ああ、こちらこそよろしく。ついては明日にでもプラチドの町に行かねばなるまいな。君を我々、『眠る蓮華ロートドルミーレ』の一員として正式に迎えなければならん」


 その言葉に、俺はようやく笑みを返すことが出来た。

 俺の新たな仲間と共に往く新たな旅路は、今日この日から始まるのだ。

 と、そこでオルフェオが輪に加わってきた。手には新しいエールのジョッキを持っている。


「よーしそれじゃあ、ビトの新たな門出を祝して、もう一度乾杯しよう! ほらビト、新しいエール」

「えっ、あっ」


 注ぎたてのエールがジョッキの中でたぷんと揺れる。慌ててそれを受け取ろうとして、置きっぱなしにしていた飲みかけのエールを探すが、それはさっさとオットリーノが取り上げて飲み干していた。これじゃ、新しいのを飲むより他にない。

 冒険者に囲まれて、頭をなでられたり肩に手を置かれたりする俺を見て、ヒューホがくすくすと笑う。


「ふふっ、楽しくなりそうじゃないか」

「ねー」

「そうだな」


 エルセもアンベルも、嬉しそうな笑みを見せながら俺を見ていた。

 自然がぶつかる。互いにうなずき合う。今日はいい日だ。俺の新しい人生の始まりだ。

 そして、オルフェオがジョッキを掲げながらもう一度声高く発する。


「じゃー、かんぱーい!」

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