第8話 猫人、戦う
「……いた」
「あいつか。ぐっすり寝てやがる」
次いでオルフェオが、バジーリアの後ろから顔をのぞかせながら小声でつぶやいた。そっと覗き込めば、確かに
今はまだ日が高い。イーターライオンは基本的に夜行性だから、この時間は休む時間なのだろう。都合が良い。
と、オルフェオが俺の顔の前に手を出して、押しとどめながら言った。
「ビト、分かっているとは思うが、突っ込み過ぎるなよ。お前の仕事はあくまでも、あいつの目を覚まさせて洞穴の外に引きずり出すことだ」
「向こうは最低でもAランク、君はC級だしね。殺されないことをまず考えて」
バジーリアも俺の方に視線を向けて、こそこそと声をかけてきた。
心配されて当然だ。イーターライオンは基本がAランク、強いものになるとSランクに届く。こうして
ここで俺が先走ったら、確実に殺されて終わりだ。俺も、そのことはよく分かっている。こくりと二人にうなずきながら相手が見える位置に身体を移動させた。
「……分かってる」
「よし……じゃあまずは、俺が気を引く」
そう言いながら、オルフェオがそっと手を出した。バジーリアが彼の後方にまわる。そして俺とバジーリアが、魔法をすぐに詠唱できるように構えたのを確認して、オルフェオが声を上げた。
「万物を引き裂け、空虚なる
風魔法第六位階、
今も、イーターライオンに向かって一直線に飛んだ真空波が、相手の首をぱっくりと割った。首元をたてがみで守っていようと、この魔法は関係ない。それでも一撃で殺せない辺り、やはり強力な魔物だ。
「ガッ……!」
「よし、お前らも撃て!」
苦しげな声を上げるイーターライオンに指を向けて、オルフェオが声を張り上げる。ここからは俺とバジーリアの仕事だ。二人揃って手を前方に伸ばす。
「鋭き
バジーリアが大地魔法第一位階、
魔法の詠唱文句の一部を二度繰り返して発動させるこのテクニックは、魔力の消費こそ大きくなるが、威力を上げたり連射したり出来るようになる。詠唱の一部を省略して即時的に発動させる詠唱省略と並んで、
こうした、連続して魔法を発動させて相手をおびき寄せるような時には、第一位階を重複詠唱して連射状態にし、移動するのが定番だ。こういう形でなら、以前までの俺も仕事が出来た。
だから迷いも悩みもない。突き出した手に魔力を集めて声を発する。
「冷たき刃よ、冷たき刃よ!
水魔法第一位階の
こんなに遠距離からちくちくと攻撃されたら、いかにイーターライオンが気が長くともいらつくのは当然だ。すっかり起き上がり、口から血をまき散らしながら大きく吠えた。
「ゴアァァッ!!」
「起きた!」
「急いで下がるぞ、撃ちながら退け!」
オルフェオの素早い指示に従い、俺たち三人は来た道を戻る。しかし今度はイーターライオンに追われながらだ。魔法の連射を続けていて
後方に手を伸ばしながら、俺は全力で走る。走りながら魔法を相手に当てるのは難しい。いくつもの氷が洞穴の壁や地面にぶつかって消えていった。
「くっ……!」
俺が必死に走っても、イーターライオンとの距離は開かない。あちらも随分ご立腹、全力疾走で駆けてくる。ここまで来たら魔法を使う必要はないが、追いつかれやしないかと不安になる。
と、すっかり魔法による牽制を止めたバジーリアの隣で、オルフェオが走りながらこちらを振り返った。
「ビト、加減せずに走れ!
「うるさい! こんな洞穴の中で無茶言うな!」
その言葉に俺はフードの中で牙をむき出しながら言い返した。確かに
しびれを切らしたのか、オルフェオが俺に手を差し出してきた。
「ああもう、仕方ないな! 手を出せ!」
そう言いながら彼は魔力を練っていた。オルフェオの手を俺の手が掴むや、彼は魔法を発動させる。
「人よ、風のように駆けよ!
「く――!」
付与魔法第二位階、
とっさに俺はフードを後方にやった。今は人化転身を解いている。ほとんど獣人な俺の頭があらわになった。
「分かってるじゃないか、フードを被ったままじゃ、速度が落ちちまう!」
「さすがにこんな時まで被っちゃいられないだろ、こんなもの!」
こちらをちらと振り返ったオルフェオが目を見開いた。そうだろう、これまでずっと人化転身を維持し続けて、解けたとしてすぐにかけ直していた俺が、人化転身を解いたままで走っているのだ。
「まあな! それで、どうした、転身解いて! 吹っ切れたか!」
何やら嬉しそうな、楽しそうな声をしながら声をかけてくるオルフェオに、俺は思わず眉間にしわを寄せながら言い返した。吹っ切れたと言えるならどれだけいいことか。
「そういうんじゃない!」
そうこうする間にも俺たちはどんどん洞穴の中を走っていく。出口が近づくにつれ道が曲がりくねらなくなり、走りやすくなる。どんどんイーターライオンとの距離が開いていく中、俺たち三人は洞穴の外に飛び出した。ちょうど外で構えていたオットリーノが声を上げる。
「来たか! 全員生きてるな!?」
「問題ない、すぐ来るぞ!」
短く返事を返しながらオルフェオが洞窟の外、構えていた冒険者たちの後ろに駆けていく。続いてバジーリアも、俺も彼に続いて駆けていった。イーターライオンがこちらに迫ってくる足音もどんどん大きくなってくる。
「よし、
オットリーノの声に合わせ、前衛のアンベルら
アンベルやエルセがイーターライオンと激戦を繰り広げる中、俺は彼女らの作る壁の後ろで呼吸を整えていた。
「はぁっ、はぁっ……」
走り続けたことで体力を使ったのもある。しかし今はそれ以上に、知り合いとは言え「
「ビト君」
「……ヒューホ」
と、同じく後衛のヒューホがこちらにぱたぱたと飛んできて声をかけてきた。心配そうな表情をしながら俺の顔のそばに寄ってくる。
「大丈夫かい、人前にその顔をさらすのは、嫌いだと聞いていたけれど」
俺を気遣ってくれるその言葉に、わずかに視線を逸らす俺だ。
確かに嫌いだ。人前に獣人姿はなるべくならさらしたくない。俺の劣等感の原点だし、さらしたら確実に嫌われたり怖がられたりする。まさかそれが俺の力になるとは、思ってもいなかったが。
「……今までに何度もあったことだ。俺が
とはいえ、ヒューホに返事を返していく。ぽつぽつと言葉をこぼすように話しながら、俺はもう一度視線を手元に落とした。
「でも、顔なじみの冒険者には知られていても、町の人には知られていない……初めて会う冒険者にも印象は良くない。だから、出来る限り隠していた」
一緒にクエストを受けた冒険者には、時たま俺の獣人姿を見せてしまうことはあった。冒険者ギルドにも俺は
しかしそうでない人には怖がられる要素でしか無いわけで。力なく話す俺に、ヒューホが腕を組みながら言った。
「なるほどね」
そう言うと、彼は俺の肩に手を置きながら言った。小さな手をぐっと握りしめる。
「なら、なおのこと僕たちと一緒にいれば問題ない。僕たちと一緒なら、君が獣人の姿をさらしていても誰も疑問には思わない。町の中にいる時は僕たちもビト君同様、人化転身してフードをかぶって動いている。君が気にする要素は一つもない」
「そうか……」
その勇気づけてくれる言葉に、俺は顔を上げた。戦闘中だと言うのに、他の冒険者がイーターライオンに武器を、魔法を向けているのに、俺とヒューホは一切戦いに加わっていなくて申し訳ない。
と、度重なる猛攻に耐えかねたのか、イーターライオンがくるりと身を反転させて洞穴に飛び込んだ。
「グガ……!」
「あっ!」
エルセがはっと声を上げる。続けて声を上げたアンベルがオルフェオに視線を投げた。
「洞穴に戻ったぞ、追うか!?」
「いや、チャンスだ! あの洞穴は一本道だ、このまま炎魔法で焼き尽くす! バジーリア、お前も手伝え!」
しかしオルフェオは、このまま洞穴の外から魔法を使ってイーターライオンを攻撃することを選んだらしい。バジーリアと一緒に前に出て、魔力を練り上げ始める。
「……」
その様子を、じっと見ている俺だ。
逃げ場のない敵、安全な場所からの魔法攻撃、力を発揮するにはこれ以上ない状況だ。加えて俺には「獣化度を変えれば高い位階の魔法も使える」という強みがある。
意を決して、人化転身を解いたままで前に飛び出した。
「オルフェオ、俺も手伝う!」
「ビト!?」
「ビト、お前はいい! 下がって――」
俺の姿に、バジーリアもオルフェオも驚きの声と制止の声を上げた。
気持ちは分かる。彼らの知っている俺は第一位階しか使えない俺だ。しかし今の俺は限られた弱い魔法しか使えない状態ではない。力強く両手を突き出し魔力を練り上げた。
「爆炎よ大地を焼け! 地に
「え――」
俺の発した詠唱に、オルフェオが小さな声を上げた。その声をかき消すようにして、俺は魔法を唱える。
「
炎魔法第六位階、
俺にそこまでの力はないが、イーターライオンは洞穴という閉鎖空間にいる。そこに炎を放たれたらたまらないだろう。
「ギャァァァッ!!」
洞窟の中から耳をつんざくほどの大きな悲鳴が聞こえてきた。魔法を発動させて息を整える俺を見て、オルフェオとバジーリアが信じられないものを見る目をしている。
「だ……第六位階、だって……?」
「ビトが……第一位階以外の魔法を……」
魔法を放つことも忘れてぽかんと立ち尽くす二人。彼らに、俺はすぐさま声を飛ばした。
「ぼーっとしてんな、二人とも! 追い打ちを!」
「あっ、ああ!」
「ごめん!」
これはまたとないチャンスなのだ。ここで二人が
二人が同時に
「ギァァァァ……!!」
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