第3話 猫人、別れる

 縄を解かれてから一時間あまりが経過しても、俺の身体から獣毛はなかなか引いていかなかった。マズルは幾らか短くなり、人間らしい顔立ちに近づいたとは言え、頭のてっぺんに生えた三角耳と腰から生えた細長い尻尾は、まだそこにしっかり居座っている。

 これはもう、駄目だ。しばらくはフードとローブで隠さないとならないだろう。

 マヤはまだ俺の隣りに座っている。俺と違って、この一時間で人間の姿に戻ることが出来た彼女が、俺の背中をさすりながら、優しく言った。


「落ち着いたら、次の村を目指しましょう。大丈夫よ、その頃にはきっと――」

「マヤ」


 だが、その絶え間なく動かされるマヤの肩に、俺はそっと触れる。そしてまっすぐに彼女の目を……すっかり人間のそれにもどった顔を見返しながら、はっきりと告げる。


「いいんだ、マヤ。本当のことを言ってくれ」

「……ビト?」


 俺の様子に、普通とは違うものを感じたのだろう。途端にマヤの表情がいぶかしむようなものになる。

 そんなマヤへと、俺は叩きつけるように言葉を吐き出した。


「シルビオたちと……って言い出すことは無いだろうと思うけれど。お前も、俺が足手まとい・・・・・だ、って思ってるんだろ?」

「なに……何を言うのビト、突然?」


 俺の言葉を聞いたマヤが、肩にかけられた手を振り払った。そのまま、俺の両肩をしっかと掴む。

 それはそうだろう。今まで一緒に行動してきた幼馴染で親友が、自分は足手まといだろう、と言い出したりしたら、こういう反応にもなる。

 マヤに肩を揺さぶられるようにしながら、俺は自分の両手を見つめた。短い獣毛がいまだ生え揃うその手には、黒い肉球と丸っこい指先が見て取れる。


「俺だって分かってるんだ。魔法は第一位階しか使えない、人間に長時間化けていられない、ちょっとしたことで転身が解ける……なんとかC級まで上がってこれたけど、この先上がれるかは分からない」


 人間の指と比べて短い指を握り込みながら、俺はぽつぽつとこぼした。

 実際、第一位階の魔法しかまともに使えない状況でC級まで上がってこれたことが奇跡なのだ。冒険者がランクを上げるためには、レベルが一定以上であることの他にスキルレベルも一定数必要になる。スキルレベルをある程度まで高めた状態でないと、冒険者のランクを上げることは出来ないのだ。

 C級の受験資格である「スキルレベル合計18以上」は何とかクリアできたが、B級を受験するためにはスキルレベルが合計で25要る。今の俺には、どうやってもクリアできるレベルではないし、クリアできる見込みもない。

 こんな状態の俺を、マヤにいつまでも面倒を見てもらっては申し訳ないのだ。


「それに、マヤは俺が小さい頃から……孤児院で一緒だった頃からずっと、俺をかばってくれた。引っ張っていってくれた。守ってくれた……」


 育った孤児院のことを思い出しながら、俺は自分の手をマヤに重ねる。肉球に触れたマヤの手は、うっすら冷えて柔らかかった。

 ベルリンギエーリ孤児院は、半人間メッゾを多く受け入れている帝国直営の孤児院だ。俺とマヤは同時期に孤児院に預けられ、昼も夜も一緒に育ってきた。人間としての生き方も、生活魔法の使い方も、人化転身のやり方も一緒に身に着けてきた。

 孤児院を一緒に卒業して、冒険者ギルドに登録して、パーティーを組んで活動してからも、いつも俺の前にはマヤがいた。それは俺が魔法使いソーサラーで、マヤが斥候スカウトだからというだけではない。

 ずっと、俺はマヤの後ろを追いかける形だった。それが俺にとっては、ひどく劣等感を抱く理由だったのだ。


「もういい。嫌なんだ、そういうの。俺はもう、『身の丈に合わない高望み』はしたくない」


 俺は、俺の正直な思いをぶつけていった。もう、重荷になりたくない。マヤが大事だからこそ、俺はマヤと一緒にいるべきではない。


「マヤ、お前と一緒にいることも、俺には高望みだ」

「ビト……」


 俺の言葉を聞いていたマヤの目の端から涙がこぼれ落ちる。悲しいのだろう、それはそうだ。親友だし、仲間だし、弟のような俺なのだから。

 マヤの涙を右手でぬぐいながら、俺はうっすらと口角を持ち上げる。


「俺は一人になる。お前も一人になる。いいだろ、それで。お前ならきっと、『銀の鷲アクィラダルジェント』なんて目じゃないくらい、もっといい仲間に出会えるはずだ……そこに、俺は要らない」

「ビト……! うっうっ……」


 俺の言葉に感極まったのか悲しみがあふれ出したのか。マヤが声を殺して泣き始めた。大声で泣きたいかもしれないが、今は夜だしここは平原。魔物を呼び寄せないとも限らない。

 今度は俺がマヤの背中をなでる番だ。しばらく俺の肩に身体を預けて泣いていたマヤだが、落ち着いたようで真っ赤にした目元をぬぐいながら俺の顔をまっすぐに見てくる。


「……分かったわ、ビトがそこまで言うなら、あたしは止めない。でも、ビト……死んじゃ駄目だよ、母さんが悲しむわ」

「分かってる。どこか魔物の集落でも探して、魔物のふりをして細々と暮らすさ」


 彼女にうなずきながら、俺は鼻を鳴らした。正直、俺も涙をこらえるのでいっぱいいっぱいだ。

 都合よく人間に友好的な魔物の集落が見つかるとも限らない。それに魔物として暮らし始めたら、人間の社会に戻ることはもう叶わないのだ。冒険者としての資格も意味を為さなくなる。

 だが、それでも。このまま人間社会にも溶け込めず、冒険者として大成することも出来ず、くすぶり続けているよりはマシだ。

 俺はゆっくりと立ち上がる。もう月はだいぶ高い位置に上っていた。魔物に嗅ぎつけられる前に移動したほうがいい。


「今までありがとうな、マヤ。楽しかった」

「あたしもよ、ビト……ねえ、最後に」


 俺に釣られるようにしてマヤも立ち上がった。そのままこちらに顔を近づけてくる。

 口吸いキスだ。幼少期から一緒に育ってきた俺たちは、抵抗なくしょっちゅう口吸いをし合う。これから先は互いにそうすることも出来ないのだ。思い出に、ということなのだろう。

 それなら。俺は近づいてくるマヤの顔を両手で挟んで、自分から口を寄せた。マヤの人間の唇と、俺の猫の唇が重なり合う。


「んっ――」


 そのまま呼吸が重なり合う。互いの息を互いに取り込んで、しばし。俺はマヤの顔から手を離して、静かに告げた。


「これで、最後のキスだな」


 そう言うや、俺は背中を向けて走り出す。方角なんて気にすることもなく、とにかくマヤから離れるように、サバーニ村からも離れるように。


「ビト!!」


 後方からマヤの声が聞こえてくるや、それがすぐに遠ざかった。猫人キャットマンの耳はとてもいい。この距離でもマヤの声は聞こえるが、俺が遠ざかるほうが早い。

 だが、それでも。マヤの俺を呼ぶ声が、耳について離れなかった。

 徐々に足取りが重くなる。やがて、うつむいて歩くだけになった俺は、自嘲するように言葉を吐き出した。


「……ははっ、何カッコつけてんだ、俺」


 もう、俺のそばにマヤはいない。町や村の灯りもない。あるのは空の月、星々、そして草原の草木と、俺だけだ。

 ふと、俺の膝が折れる。膝によって潰された下草についた夜露が俺の膝を、ローブを濡らした。そのまま崩れ落ちるように俺は草地にうずくまった。こらえていた涙が目元からあふれ出す。


「ちくしょう。ちくしょう……マヤ……」


 そのまま、俺は身体を震わせながら泣いた。幸いか、そうではないか。魔物の気配が周囲にない中、俺は一人ぼっちで。俺の泣く声が夜の大平原に溶けていった。

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