第2話 猫人、逃げる
地面に投げ出された俺の身体に、拳が、足が叩き込まれる。今もまた、縄で縛られて抵抗できない俺の脇腹に、容赦なくファビオの足が一撃を食らわせた。
俺は今、マリオとファビオの二人にサバーニ村の入口あたりで、縛られたままボコボコにされていた。がんじがらめに縛られているから抵抗のしようがない。魔法を唱えている余裕もない。
「ぐっ……!」
口から血の混じったつばを吐き出しながら、俺がぜいぜいと息を吐く。いくら
力なく地面に横たわる俺に、マリオとファビオの声がかけられる。
「ここまでやれば、こいつに手出しは出来ねぇだろう」
「残念だったな、ビト。恨むんなら、てめぇのスキルレベルを恨めよ」
あざけるように、二人が俺を見下ろしながら言った。何とか意識を保っていた俺は二人の顔を、下から精一杯の力でにらみ返す。
「お前ら……恥ずかしいと思わないのかよ! シルビオが俺からマヤを
土を噛みながら言い返した俺に、マリオとファビオはそっと互いの顔を見合わせた。そうしてから、下卑た笑みを俺へと向けてくる。
「そりゃあ、黙って見ているさ。ちょうどうちも、マヤみたいな才能のある
「お前と同じC級だが、お前と違って成長できる余地がある。うちで鍛えりゃ、すぐB級以上になれるさ」
言いながら、ファビオが笑った。確かに俺はスキルレベルが全然上がらない。成長の余地は無いだろうし、C級以上に上がれる見込みも無いだろう。そう言われると、俺も何も言えない。
そのまま二人は、俺にぐっと顔を近づけてきた。酒臭い息が俺の顔にかかる。
「それに……さっきシルビオの旦那が言っていただろう?」
「ああ」
俺の目の前まで近づいてきてから、わざとらしく顔を見合わせるマリオとファビオ。双子らしく、同じような胸くその悪い笑みを見せながら、マリオの手が俺へと伸びた。
「マヤ・ベルリンギエーリは女だ。それもとびきり
「てっめぇ……!」
そのままマリオが俺のローブの
抵抗を許されない俺に、マリオが口角を持ち上げながら言い放つ。
「自覚するんだなビト。そもそもお前みたいな半端者が、マヤを囲っている時点でおかしいんだ。お門違いなんだよ」
「お前にゃせいぜい、森の
ファビオも俺のあごに手をやりながら声をかけてくる。感情が高ぶったせいで、若干長さを増した俺のマズルにファビオの節くれだった指が触れ、短い獣毛に指の腹が埋もれる。毛をかき分けられている感じがして、なんだか気分が悪い。
悔しい。俺がもっと魔法を使えれば、こんなことにならなかったのに。
「ちくしょう……」
「はは、畜生に畜生と言われるとは、お笑い草だ」
俺が漏らした言葉に、ファビオがからからと笑った。そのまま俺の横っ面を、拳でもう一度ぶん殴る。
言い返せない。確かに今の俺は畜生も同然だ。こんな全身を毛皮で覆って、手足の爪が鋭く、長く伸びたマズルの内側には牙。こんなの、
殴り飛ばされた俺が地面に転がる。それを見やったマリオがもう一度下卑た笑みを見せると、頭を村の方へと向けた。
「さあ、戻るぞ。そろそろ――」
それに釣られるようにしてファビオも視線を村の方に向ける。と、その視線の先、「
「なっ!?」
「はっ!?」
当然、それを見ることの出来ない二人ではない。突然の事態に驚いた二人は反応が遅れた。光の中から一瞬で飛び出してきた、着衣の乱れた女性の犬の
「ビト!!」
「マヤ!?」
それはマヤだった。全身を毛で覆い、長いマズルを備え、
と、マヤが俺、マリオ、ファビオの傍まで駆け寄ってきたあたりで、「安寧の麦わら亭」の中からまた人影が出てくる。シルビオだ。頬をはらして顔を真っ赤に染めている。頭からは血が流れていた。
「くそっ、おい二人とも、そのメス犬を捕まえろ! すぐに!!」
「えっ、えぇっ!?」
「旦那、一体なにが――」
あまりの事態にマリオとファビオはますますまごついた。シルビオ・デ・モルは当人の言っていたようにS級冒険者だ。それが、C級冒険者のマヤ・ベルリンギエーリに傷つけられ、あんな無様を晒すなど。
S級とC級の間には、冒険者ランクやレベルというだけではない、大きなへだたりがあるのだ。スキルレベル、経験値、依頼経験。
そんな思考を巡らせるより先に、マヤがファビオの懐に潜り込んだ。そのままみぞおちに左の拳を打ち込む。腰をひねってそこからマリオの脇腹に蹴りを一発。
「はっ!」
「ぐおっ」
「げふっ」
全く身構えが出来ていなかったこともあり、二人はもろにマヤの一撃を食らった。そのままその場にへたり込む二人の間を抜けて、マヤが俺の身体につながる縄をつかむ。同時にマヤがナイフを一閃、脚を縛る縄を切った。
「逃げるわよ、走って!」
「あ、ああ!」
言われるがまま、俺は走った。走って走って、全力で走った。もっと速く、そう思うたびに俺の身体も、マヤの身体もますます
ぐんぐんスピードを上げる俺たちの後方で、サバーニ村の灯りがみるみる小さくなっていった。そして程なくして、村の灯りがすっかり見えなくなる。
距離の基本単位の1ラインが2秒で往復する振り子のひもの長さだと習ったから、70ラインは離れただろうか。俺とマヤはシャンドリ大平原に立つ一本の大木の下で、ようやく腰を下ろした。
「マヤ……一体何が。それに、その姿……」
息も荒くへたり込むマヤに、俺は人化転身を行うことも忘れてマヤに声をかけた。
マヤは俺と違って、転身を長時間維持することが出来る。フードやローブで身を隠さなくても町中を平気で歩けるくらいには転身に熟達している。だからこんな、
俺の言葉に、マヤは垂れた耳をぺろりとめくりながら舌を出す。
「えへ。シルビオのやつ、『
その言葉に目を見開く俺だ。
シルビオはマヤを女として手ごめにするどころか、その場で慰み者にしようとしたのだ。それをされたくなければパーティー移籍をしろと迫ったわけである。
とんだ外道だ。あの酒場に冒険者ギルドの管理する監視生物、
だがそれは、シルビオに一撃をくれてやったマヤにも同じことが言える。自分の身を守るためでもあるとは言え、俺とのパーティーを維持するために彼女は自分の立場を危険にさらしたのだ。
「……馬鹿」
思わず、うつむいて言葉をこぼす俺だ。その拍子に身体に巻き付いた縄が肌に食い込み、毛を引っ張って痛みを生む。顔をしかめる俺の肩に、マヤがそっと手を置いた。
「動かないでビト、今、縄を切ってあげるから……」
そう言いながらマヤが改めてナイフを取り出した。俺の身体を傷つけないように、慎重にナイフを入れて縄を切っていく。1分もしない内に、縄は切られて俺の身体はようやく自由を取り戻した。
「はい、これでいいわ……大丈夫?」
「……大丈夫なもんか。しばらく、上手く転身ができそうな気がしない」
マヤの言葉に、俺は小さく身体と尻尾を震わせた。
人化転身は、熟練者ならどんな状況でも転身を成功させられるが、それが苦手な俺は精神を落ち着かせていないとなかなか上手くいかない。今しがたのような精神を揺さぶられるようなことがあっては、明日になるくらいまではまともに転身が出来ないだろう。
小さく身をちぢこませる俺を、マヤが優しく抱きしめる。
「怖くないわ、ビト……大丈夫、あたしがついてる」
「……」
その言葉に、俺はますます自分の身を小さくした。
何と言うか、恥ずかしい、申し訳ない。そんな思いが頭の中に渦巻いていた。
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