ヒラニヤカシプは死んだ

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ヒラニヤカシプは死んだ

 夕焼けが嫌いだ。

 青から赤に焼けていく空が怖い。その境界のグラデーションの果てしなさが怖い。目に刺さる夕日で涙が出る。見ないと背を向ければ長い影の上に闇がひたひた近づいてくる。世界が変わるのに音もない不気味さ。どうしてみんな正気でいられるのかが分からない。

 臭いも不快だ。空の臭いなどは知らないが、気温が下がれば空気が変わる。肉体と義肢の継ぎ目のような、境界の臭い。生命が鈍る臭い。

 冬の日没は早過ぎるし、夏は夏で遅すぎる。春と秋はマシだ。でも短い。刹那だ。ちょっと良いと思ったらすぐに引っ込んでしまう。出し惜しみに腹が立つ。そもそもタイミングの問題でも無い。

 太陽は好きだ。150,000,000キロメートル隔てた向こうから、分け隔てなく届く熱と光だ。愛を見出し信仰する気持ちも分かる。

 夜も好きだ。闇夜の中では息を吐くことすら特別に思えて、ワクワクする。未来を思って寝ても良いが、夜にしか現れない喜びもある。寝不足なんて構わないじゃないか。時間の使い方を他人に指図される筋合いはない。

 でも夕焼けは嫌だ。夕焼けだけは耐えられない。


 去年、ずっと好きだったラジオ番組が終わった。夕方の……知らないか。聴いた音楽や読んだ本の感想を言葉にするのがとても上手いパーソナリティがいて、でも親しいゲストが来るとグダグダになるのがまた良くて。あれは一つの救いだった。

 改編で始まったのが固いニュース番組で、やれ蟻がどうしたゾンビがなんだと情報はまともだから罵ることも出来ない。仕方が無いから放送局から買ったアーカイブを初めから聞き直している。15年分で、46800分。昨日から3年目に入った。いや、健康的でないことは分かってるんだ。


 同居人が消えたのも夕方だった。5年前。私が外に追いかけられないことは知っていたから、仮に自分の足で出て行ったのだとしたら、狙い澄ました行動だと思う。

 中学で出会った唯一の友人だった。関係は色々変わったけれど、20年以上つるんでいたから、ほとんど脳ミソを分割しているような感覚だった。一緒に夜道を散歩して、お互いの推しの話を一方的にぶつけあったり、徘徊するゾンビをぶちのめしたり。まだ暢気な時代だった。それが突然、何の書き置きもなしに消えた。さすがにね。今もまだ全然つらい。私よりよほど生命力が強かったから、元気でいるとは思うのだけれど。


 両親も夕方に死んだ。私が小学六年生だった年。三〇年前の夕方だ。私たち家族が住んでいたのは端的に山間の田舎で、児童が絶対的に少なかった。一学年に一〇人もいないような、そういう時期があったんだ。

 家から学校までは距離があって、登下校には母親が車を出してくれた。そしていつも通りの帰り道、夕日が目に刺さった母親はハンドルを誤って、人をはねた。家までせいぜい200mのあたり。はねた相手はなんと夫=私の父親で──研究職で帰りが不安定だったんだ──、低く速く飛んで、アスファルトに頭を打って死んだ。その夜、母親は包丁で喉を切った。二人は夕焼けに殺されたと言っても良いと思うが、どうだろう。

 ああいや、これが切っ掛けではないんだ。トラウマと言えれば聞こえも良いんだが、違う。もっと前から夕焼けが嫌いだった。本当のところ、いつからなのかは思い出せない。少なくとも小学校に通い始めた頃には嫌いだった。だから帰りの車ではいつも眠っていて、家に着いても、日が沈むまで起こさないでほしいと母親に頼んでいた。夕焼けが始まる前に来て貰っていたこともちゃんと覚えている。すぐ眠れるように小学校では熱心に勉強して、暴れるように遊んでいた。まあこれは友達も同じだった。

 首から血を流して倒れる母親を見つけたのは次の日の朝で、蟻を初めて見たのもそのときだった。母親からは夕焼けと同じ、境界の匂いがした。


 百匹の蟻が母親の首の傷に群がっていた。初めは血を吸っているのかと思ったけれど、よく見れば違う。そもそも血は止まりかけていた。蟻が縫い合わせていたんだ。

 父親の専門は応用昆虫学で、家にも簡単な飼育キットを置いていた。私はその存在を思い出して、蟻を慎重に拾って虫かごに集めた。新種だと直観したんだ。大変な仕事だった。顎が引っかかったようで母親の傷も開いてしまった。途端に夕焼けの匂いも消えた。つまり、母は父の後を追ったつもりだったのだろうけれど、死んだのは翌日ということになる。死後の仕組みは知らないが、上手く合流できているだろうかと思うよ。仲の良い夫婦だったから。

 蟻の飼育は難しかった。餌がね。死骸にはどうしても興味を示さなかった。生きた鼠を傷つけて入れれば、ようやく喜んで傷を再生させてくれたけれど、いくら田舎でも無知な子どもが簡単に獲れるものじゃない。朝起きて、かごの中で数匹の蟻が死んでいるのを見るたび、自分の手を入れたくて仕方が無かった。でも出来なくて、何度となく泣いた。再生してしばらく経った鼠を先に見ていたから、怖かったんだ。

 掌程度の体のどこに収まるのかという暴食ぶり、そしてその目の、まさしく夕焼けのような、赤い光が。

 結局その色にぞっとして、蟻が再生させた鼠は都度殺していた。一度復活した鼠はもうどうやっても噛まれなかった。蟻の方は傷を治す瞬間に啜るほんの少しの体液で生きられて、徐々に繁殖したから、それで良かったんだ。


 初めて人間で試したのは随分経ってから、それこそ両親と同じ30代になって、一端の研究室を築いてからだった。その頃には蟻も50世帯くらいに増えていた。正直に打ち明ければ、当初の人体実験は完全にイリーガルだった。

 それでもすぐに人心が集まって、奇跡の医療蟻にはヒラニヤナという名前が付いた。蟻に体を食べられながら復活した、インド神話の魔王になぞらえた名前。命名したのは元同居人氏だ。ヒラニヤナ研究は巨万の富を生んだ。ここまでが、十年前。

 才能も知識も無かったから経営からは手を引いて、ここ南極と、北極にも家を建てた。実際に引っ越したのは元同居人氏が出て行ってすぐだから、二年前。だから、言い訳ではないけれど、パンデミックから逃げたつもりはないんだ。それどころじゃなかった。もちろん夕焼けからも逃げ切れるわけはないけれど、ここならいくらかの平穏がある。

 ようこそ我が家へ。初めての客人。歓迎したい。饗宴の備蓄はゾンビの暴食でも百年保つほどある。そして今は一番良い時期。一日中、日の沈まない白夜だ。

 だから君が現れる少し前、地平線が赤く焼けたときは驚いた。夕焼けが来たのかと思ったんだ。


「ここまで乗ってきた砕氷船が爆発した。ヒラニヤナの信奉者が乗員に紛れていたのだろう。私以外に生存者はいない」

 男は表情を変えない。整った顔は悲嘆にも興奮にも崩れない。構えた小銃を一瞬も下げない。良い兵士なのだろう。そして男のような兵士が、他にもいたのだろう。

 私は背後の居住区画を示した腕を下ろし、うなだれた。

「残念だ。蟻は死体を救わない」

 次の瞬間、氷原に叩き付けられていた。男に殴られた、らしい。視界の全てが輪郭を失って、ぐちゃぐちゃに溶けて混ざる。男はさらに私の腹を蹴った。何度も、何度も。何か叫んでいるようだが聞き取りづらい。言いたいことがあるのなら、蹴るのをやめて欲しい。

 どうにか耳を澄ますと、自分がここに来るまでに世界がどれだけの犠牲を払ったか、という話をしているようだった。それはそうだろう。ヒラニヤナ研究の利潤、まして私個人が得た資産とは比べものにならない。

 蟻が復活させた人々が暴走して、社会は壊れた。記録と幻想が共有されなければ通貨に価値はない。世界は落日の精算を払い続けている。この男も、誰も彼も、私も。

 私は男の足首を両脚で絡め取り、引き倒し、後ろ腰から抜いた拳銃でその顔を吹き飛ばした。赤黒い肉片は均整に飛び散った。顔の良い男は死にザマも良い。

 生活苦のせいか、男は兵士にしては痩せていた。対する私はそれなりの運動を日々欠かさず続けていて、結果、私たちの背格好はよく似ていた。衣服を取り替えて体を八つ裂きにして、あとは私が消えてしまえば、簡単には見分けもつかないだろう。

「死にたくないんだ。地獄の夕焼けが美しかったらと思うと、怖くてたまらない」

 世界を壊した魔王は死んだ。人類の英雄が殺した。広まる情報はそれで良い。久しぶりの明るい話題だ。全てを英雄に託した人々の気持ちも、きっと晴れる。そうあってほしいと心から思う。

 ああ、しかし、白夜。日の沈まない空だけは惜しい。 【終】

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