第46話 貴族令嬢VS牡蠣


「牡蠣……? 当たるとイヤなんだけど……」



「1人ですわ。あと瓶ビールの大」


 秋は深まり、夕暮れは随分と暗くなった。マリーは居酒屋の店内に入ると、出迎えより早く声をだす。


「え。あ、いらっしゃい」


 貴族令嬢の優雅かつ電光石火の動きに戸惑いつつも、中年の店員が返事をした。


「カウンターとテーブルどっちにしますか?」


「じゃカウンターで」


 呑むならばカウンター。マリーは基本そう決めていた。

 店内は日曜の午後にしてはまばらな客入りだった。荷物を──バットケースと黒いスポーツバッグを足元に下ろし、左側が壁際のカウンター席にマリーは腰を下ろす。


「ビール、それとつきだしです。あとおてふき」


「あ、どーもどーも」


 店員にビールを注がれ、ぺこりと頭を下げる。貴族たるものは謙虚さを忘れないのだ。

 純白の泡と黄金の3対7の比率。ぐいと一息に飲み干す。


「うああッ!! うまっ!」


 沁みる。沁みまくる。


「ふぅ、運動で一汗流した後に効きますわねぇ」


 今日のマリーは知り合いのチームの草野球の帰りであった。


「ピンチヒッターで呼ばれ1試合4000円、出塁するごとに報酬に1000円追加、ホームランなら3000円という楽しいお仕事でしたわ」


 マリーは左投げ右打ち、強肩とレフトライトが得意な守備力の高さに定評のある貴族令嬢であった。

 草野球選手として傭兵業でたまに食いつないでいるのである。スポーツバックにはシューズとグローブが入っていた。


「スポーツの秋バンザイですわ……お通しはおざなりな既製品の惣菜が使われるくせに高めだったりと昨今嫌われることもありますが、本来は店の季節感やセンスの実力をアピールする大切な役目があるのですわ。例えばこういうお通し……」


 お通しの小皿の上には、小さな貝殻付きのホタテが二個乗っている。箸でつまみ1口に頬張る。


「ん、美味しい。ホタテの稚貝、それにバター醤油を塗って焼いたもの。こういうことをしてくるのが小憎らしい……」


 注ぎ直し、グビりとビールを煽りながらホワイトボードに書かれた今日のおすすめを見る。しばしの熟考。


「んー、すいません、肉豆腐。あとポテサラ。あ、サンマある。サンマ刺身ください。それから……カキフライくださいませんこと?」


「へい、ただいま」


「ふぅー」


 注文を終えてホタテ稚貝をかじり、1口ビールを啜る。あとは心地よい疲労感に体を委ねながら待つだけ。


「報酬はその場でとっぱらい……素晴らしいことですわ。ヒット6本目超えたあたりから雇い主がちょっと泣きそうになっていましたけれど、そんなことはどうでもいい……」


 どうでもいい。今はこの勝利を楽しむのだ。


「はい、肉豆腐、ポテサラ、サンマ刺身」


「これこれ」


 まずは秋の深まりに冷えた体を暖めたい。肉豆腐からだ。たっぷりと七味を振る。


「んん、脂の多めなバラ肉を使って味濃いめな味付け、グッドですわ。絹豆腐の柔らかな舌触りが官能的……」


 火照った口内を、ビールで冷ます。


「そしてポテサラ……ここはニンジンときゅうりとハムのみのベターなオールドスタイル。こういうのでいいんですわこういうので。ここにウスターソースをボドボドと」


 しっかりとソースを馴染ませたポテサラを一口。やはりイモとソースは相性がいい。


「そしてビール……無限にやれますわこりゃあ! そしてサンマの刺身は……ん、新鮮は新鮮ですが、少し脂のノリが悪いやつですわね」


 今年もサンマは不漁らしい。


「なんかサンマの不漁が続いてますわね、マジでこのまま高級魚扱いになるのかしら。そういえばカワハギも釣り人からはハズレの扱いの魚、いわゆる外道扱いされていたのが、今や高めの白身魚として料理屋で人気ですものね。時代かしらねぇ」


 ぐびりと酒が進む。今日は強気に飲める。ツマミとビールの配分を考えなくてもいい。懐は豊かだから


「すいません、大瓶もう1つ。ホームラン2本取った私は今日は無敵ですわ!」


「あいよ、ビール大瓶。それとカキフライね」


「これですわぁ」


 揚げたての黄金があった。4個入り、背後になキャベツの千切り。そしてタルタルソースはどっぷりと多め。良い店である。

 そして、カキフライを箸で持ち上げタルタルソースにしっかりとつける。しっかりと。


「やはり寒くなると牡蠣ですわねぇ」


 そして齧る。固めの衣が弾けた。口の中に炸裂する磯の香りと、旨み。牡蠣のもつ塩気とタルタルソースの濃厚な味わいが渾然一体となる。


「……追ってビール!!」


 ぐびりと飲み干す。応えられない。


「……はぁああ!!! やっぱカキフライは牡蠣を1番美味く食べる調理法ですわね!!人類の英智極まる!!」


 衣をつけることで閉じ込められた旨みをそのまま味わえる。合理的極まる料理だ。


「今度はカラシを多めにつけて、ウスターソースも足して、……齧りつく……!!」


 味が複雑になり、より喜びが増した。


「この幸福の爆弾があと3個ある喜び……実りの秋ですわ……ね……?」


 ふと視界に入ってしまった。今日のオススメにあるアレに気づいてしまった。

 知ってしまったなら、もう無視はできない。どうするか。

 葛藤があった。マリーの儚い心を、悩みが締め付ける。


「どうする……どうすれば……!」


 しかし今日のマリーは違う。いままでのか弱い乙女ではない。自らを支える強さがあるのだ。具体的にいうと懐に余裕がある。


「やるしかないわね、人生はそれしかないのよ。店員さん」


 意を決して、店員を呼ぶ。


「この仙台産生牡蠣、二つ、いえ、五つください。あと、八海山の冷をひとつ」



 △ △ △


「へい。生牡蠣と八海山の冷ね」


「やっぱ牡蠣は生で食ってナンボですわ……」


 仙台産の牡蠣は10月からシーズンである。カキフライで緩んでいた牡蠣への欲望、生牡蠣の名前をみてはもう耐えられなかった。

 貝殻に乗せられ、ポン酢とアサツキ、そしてもみじおろしが乗せられた仙台牡蠣は丸々としていた。栄養豊富な海がそのまま実ったような姿だ。

 普段ならば二つで妥協するだろう。だが今日のマリーは違う。ホームラン2本を打ったのだ。無敵なのだ。五つ頼む資格があるはずだ。


「先程はカキフライが最高の調理法と言ってしまいましたが……やはりそれでもこの生牡蠣に逆らえる人類など皆無……!」


 殻を手に取り、そのまま口をつけながら1口で生牡蠣を啜り込む。


「んんんんんんんっっ!!!!」


 ダイレクトに爆発する海の香りと、旨み。生臭みは一切なく、喜びだけがそこにある。かしめるごとに何度でも美味い。


「んんんん!!」


 そして間髪いれずに升に入ったコップの状態の八海山に顔のほうから近づける。そのまま啜る。


「んんんんん!!!!!」


 美味い。美味すぎる。日本酒が生牡蠣を旨みをさらに上位に引き上げる。これが日本の食文化だ。


「んんんんん!!!!」


 なんか喋れよマリー。


 △ △ △


「ありがとうございましたー」


「うう、さぶ」


 店を出ると、寒さがましていた。とぼとぼと商店街を歩きながら、今日を振り返る。


「ふぅ、調子に乗って思わず牡蠣食いまくってしまったわ。……あの8回表、思い切って振ったほうがホームランもう1本狙えたんじゃないかしら」


 手に残るあの快感的なミートの感覚をまだ覚えている。


「いけませんわね、所詮草野球は趣味。こういう楽しみはたまにあるものとして、まずは本業に勤しみませんと……ん?」


 携帯が鳴った。知らない番号だ。少し訝しみ、でる。


「あ、はい。はい。……え、あ、今日の対戦相手の? あそこの監督さん? あ、はい、来週空いてますけど。へ? そっちに出て欲しい?」


「ひと試合5000円?」


「はい、はい、じゃあ来週日曜の目白台運動公園ですね。朝9時集合? はい、はい、それじゃあよろしくお願いしまーす」


 ピッと携帯を切り、マリーは秋の夜空をふと見上げた。


「野球には夢がありますわねぇ」



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