第45話 貴族令嬢VS御徒町


「御徒町……? いや……御徒町いくくらいなら普通上野で降りない?」


 土曜の昼過ぎであった。

 山手線電車から降りる雑踏の中に、長身の人影がある。翻す長いスカートは師走の風ではためいていた。柔らかに輝く金髪。洗練された気品ある佇まい。電車の中で邪魔にならないよう前に担いだリュックサック。ヘルメットが揺れていた。

 貴族令嬢、マリーは仕事上がりに御徒町駅ホームへ降り立っていた。


「御徒町駅ってあんま降りたこと無かったですわねぇ……」


 狭いホームを見渡すマリー。雑居ビルの様々な看板が見える。統一性のないなんというか古い構えだ。宝石商のものが目立つが、なんでも御徒町はジュエリーショップが多いところらしい。高田純二が昔宝石デザイナーをしていたころに御徒町によくいたというのは本当だろうか。


「まあべつに今はそれはどうでもいいのですけれど……御徒町駅ってなんというか変わらぬ独特さがありますわね」


 上野駅は定期的に店や構造が変わる。乗客が多い駅はそれだけリニューアルされやすい。が、御徒町駅はなんというか昔からこの乱雑的なままだったイメージがある。


「山手線しか止まらないからかしら……」


 そんなことを思いながら駅の階段を下る。ガード下の御徒町駅は、やはり昔からのレトロな上野近くの風情──つまり乱暴にいえばあまり綺麗ではない姿だった。


「まあ、上野から秋葉行くまでに通り過ぎる所なイメージありますものね」


 ▽ ▽ ▽


 立ち食いそば よもだそば


「ええっと、んー、ここはやっぱ定番で半そば半カレーセット」


 券売機を押す。吐き出される券。


「それと缶ビール」


 そしてマリーは後ろの厨房へ券を差し出した。


「そばは温かいやつで。それからかき揚げもトッピングで」


「はいただいま」


 即座に出される半そば、半カレー、ビール。そしてかき揚げ天。受け取ったマリーは奥の席に向かう。


「まずは喉に湿り気を与え……」


 缶を開け、グラスに少なめに注ぐ。黄金と純白の泡。何度も見た。そして何度でも飽きない光景。


「る!!」


 ぐいと一気に飲み干す。爽快が喉を貫く。


「あ゛あ゛っっ!! これ!」


 今日も今日とて酒が染みる。マリーの肝臓は今日も好調であった。


「今年も終わりが近ずいておりますわ……わたくし、このどこか急いでいるような慌ただしい年末の雰囲気も嫌いではなくてよ」


 二杯目を注ぎながら、喧騒に騒がしい店の外を眺める。大晦日も近い上野アメ横前は、増えた人々で溢れていた。明らかに去年より人が多い。もうコロナの影響も薄くなっている。


「もう、ほとんど戻っているのね……やはり上野はこうでないと」


 手に取ったスプーンで、まずはカレーをよそう。ルーとライスのバランスを取りながら1口づつ調整する。これだ。このよもだのカレーがマリーを狂わせる。

 うっとりと眺め、そして頬張る。

 

「エクセレンッ……」


 広がる辛味。そして追っかけてビール。


「アンドビューティホォ……」


 思わず唸る。やはりよもだのカレーは美味い。


「鮮烈な辛さと旨み……やはりよもだのカレーは別格……! 色々と立ち食いそばの、いえ色々なチェーン店のカレーは食べたけれど、よもだそばのカレーは唯一無二の個性とレペルの高さありますわ」


 通常、チェーン店のカレーは大抵は万人に食べやすい味を目指し甘めまたは中辛に落ち着く場合が多い。しかしこのよもだそばのカレーはその中で圧倒的個性を放つインド風の辛口なのだ。


「そしてこの辛口インドカレーにかき揚げをつけて……かじる!」


 ざっくりとした揚げたての歯ごたえと、野菜の甘み。そしてカレーの辛さとのベストマッチ。


「当然のごとく美味い!!」


 立ち食いそば屋で呑む。この非日常感と罪悪感がたまらない。


「しかし最近の都内立ち食いそば屋のハイレベル化は凄まじいですわね……茹でおきが当たり前だったのが、今は出汁もこだわり生麺が茹でたて天ぷらも揚げたてが普通とは、侮れない……!」


 このよもだそばも店内の製麺機で作りたてのそばを出している。


「もはや安い駄そばを駅の風情ですすりこむようなものではなく味と値段に妥協無きグルメなのですわ。すごいものですわね、これが文化の熟成というものなのですわ」


 カレーをつまみにビールを飲み終え、半分となったかき揚げをそばに載せる。即席の天ぷらそばである。そして七味をしっかりと降る。よもだは出汁もうまい。カレーにもその出汁が使われているのだ。


「〆にすすりこむ蕎麦……!」


 一気にすする。マリーは普段は蕎麦は冷し派だが、さすがに寒い時期は温かいものを頼む。そして出汁の味わいは温かいほうがはっきりとわかる。

 汁まで飲み干して、コップの水を飲む。


「はぁぁ、最後の水がうまっ!」



 △ △ △


「えーと」


 トボトボと、マリーは御徒町駅近くを歩く。この辺りも居酒屋が多い。さらにその中で外国食材店も増えている。


「たしかこの辺りに……あった」


 目当ての看板を見つけた。今日はここに来たかったのだ。


 羊香味坊(ヤンシャンアジボウ)


「とりあえず生ビールで」


「ハイ、イラッシャイヨー、コチラノカウンターネー」


「ふぅ……」


 カタコトの店員に案内されカウンターに腰を下ろす。一息つくマリー。メニューを手に取りながら辺りを見渡す。


「ここが噂の羊香味房……中国東北料理を出す今話題の中華料理店グループの旗頭と言える店ですわね」


 今、御徒町は本場中華料理が熱い。

 上野近辺は寿司や洋食などが有名だが、そこから少し遠いこの御徒町には今本場、本格派の中華大衆料理の波が来ている。

 日本の中華料理が本来は現地のものを日本人向けにカスタマイズし独自発展したものだということは有名な話だが、今は本場な中華料理が流行を見せているのだ。

 それも高級ではなく、現地の一般人が日常的に食べる日常食としての中華。未知のエネルギッシュな食文化がマリーの目の前にある。


「しかしこのカウンター、いいですわね。料理人の仕事が一望できる。あの鍋の振り方、火工の腕の高さを感じますわ」


「ハイ、ビールネ」


 どんと置かれる生ビールジョッキ。即座に持ち上げて1口目をグビリとやる。


「いつ飲んでも美味いものは美味い……! カウンターで厨房の様子をつまみにグビグビいけますわね」


 そうはいっても当然これで帰るわけもない。メニューを見ながら思案を巡らせる。


「中国東北料理……中華で北と言えば宮廷料理である北京が有名ですけれどこの場合の東北はさらに北側の黒竜江省などの地方を指すそうですわね。北側は文化として羊と小麦を使う料理が多いという、どんなものかしら」


 事前知識として下調べはしてきた。未知を楽しむといっても最低限の教養というものが必要である。マリーはそういうことは欠かさない貴族なのだ。

 さて、まずは麺が食いたい。それとつまみだ。


「この羊肉麺というのと、あとラム串焼き五種類、それと水餃子」


「アイヨー」


「さあ、なにが出てくるか。楽しみですわね」


 期待に胸躍らせながら、しかしそんなことは顔に出さず気品に満ち溢れた表情でマリーは料理を待つ。


「しかし、結構客入ってますわね」


 中国東北料理。結構マニアックな方向性と思うが、客は途絶えない。昼酒を楽しむ客も多い。


「それだけ幅広い食の文化を受け入れる舌を多くの人々が持ち始めたということ、文化を楽しむ土壌がある。これもまた社会というものの豊かさですわね」


 そう思いながら、マリーの視線は横に釘付けになる。

 隣に座っている爺さんが、カリカリとラムスペアリブらしきものをかじっている。ローストされたスペアリブには多種の香辛料がまぶされ辛そうだ。

 そしてなによりも、かじったあとに赤星のビールをおっかける爺さんの笑顔がまぶしかった。

 マリーも思わず唾を飲み込む。


──どうしよ、スペアリブ頼もうかしら。


 なぜ隣の人の食ってるメニューはやたら美味そうに見えるのか。人類最大の謎の一つに悶えるマリー。


「ハイ、羊肉麺、ラム串焼き五本ネ」


「あ、はいはい」


 我に変える。そうだ、今は自らのオーダーに向き合う時だ。


「まずは羊肉麺……これはラムのスープかしら?」


 白濁したスープに、煮込まれた刻み羊肉、そしてネギとパクチーが彩る。シンプルな見た目だった。

 まずは麺を持ち上げる。やや平打ち状。

 勢いよくすすりこむ。口内に広がる羊の旨み。しばしの沈黙。


「なるほどこれは……地味味ですわ」


 さらに二口すする。三口すする。


「ですが、悪いという意味の地味ではない。飽きのこない日常食としての地味味ですわ」


 シンプルな塩味ベースの羊スープに、うどんに近い食感の麺。そして煮込まれた羊肉。羊の癖をマスキングするネギやパクチーなどの香草。

 今の日本で多く溢れる手間暇を掛けまくった独自進化ラーメンと比べるとその味わいはかなり地味に感じる。しかし、中国において麺料理とは家でも手打ちするのが普通の家庭料理の範疇。日常的に毎日食べることを前提としたものなのだ。

 

「今の魔改造した日本ラーメンに慣れた状態ではどこか物足りなくなるかもしれない味わい……しかし毎日飽きずに食べるものとして根付いた文化ならこのシンプルさも納得がいきますわ。どれだけ食文化が進んでも白米が変わらず白米として食べられることと同じことですわ」


 手間暇をしっかりと掛ければたしかに美味いものはできる。しかしそれを毎日用意し、毎日食べることを考えればそれはただの苦行と負担にしかならないのだ。このラーメンの素朴さと素っ気なさもまた生活に根付いた食文化の一つである。


「となるとこっちの串焼きはいかがなものですわ……?」


 長めの串が目立つ串焼き五種盛りに手を伸ばす。それぞれがラムショルダーの塩焼きやラムネックなど違う味だそうだが、果たしてどういうものか。


「まずはラムショルダーから……!」


 あむと噛み締める。弾ける肉の旨みと塩気。羊の臭みは当然ない。存分に噛み締めてから追撃のビール。流し込む。

 

「旨いですわ……! 二本目、こちらは……ラムネックに山芋の串。こちらも楽しみですわね。あ、生ビールお代わりお願いしますわ」


「ハイハイ」


 1口頬張ると羊肉にホクホクねっとりした焼き山芋が絡みつく。やや強めの塩気、これも酒が欲しい。


「ハイ、ビールヨー」


「反応の速さ、助かりますわ」


 即座にグビリとお代わりのビールに口をつける。飲める。いくらでも飲めるぞこれ。


「そして気になっていた……このレバーらしき串。羊レバーをなにかで包んだものかしら……?」


 手に持ち串をしげしげと眺める。1口に切られたレバー肉がなにかをうっすらと纏っている。


「百聞は一見にしかず、まずは考えるより体感することもまた大切……!」


 齧り付く。最初に塩味。香辛料の辛味。脂の旨み、そしてレバーのコクある味わいがあった。


「なるほど、包んであるこれは網脂ですのね。レバーに脂の味わいを足して強化している。知恵ですわね」


 これもビールが進む。進みまくるぞ。


「ハイ、水餃子ネ。アトコレ黒酢ツケテ」


 出されるメニュー。白い茹で餃子に白皿というシンプルそのものな見た目。


「中国北方は餃子発祥の地と言われるわ。本家本元本場の餃子、いかほどのものか……?」


 黒酢をつけて一口で食べる。柔らかでいて、ほどよい硬さの皮を噛み切ると、ジュワりと肉の旨みの洪水。そしてパクチーの香りが抜ける。


「うまっ……!」


 思わずぐびりとビールで追いかける。強い。やはり本場の餃子は強い。


「ラム肉とラム脂の濃い旨みに、パクチーの香りで癖を抑える構成なのね。そしてこの肉の強さでヘビー気味な餡に深みのある黒酢をかけることでさっぱりとした後味にしている。羊、小麦、そして米を原料とした黒酢。大地の味ね……!」


 一つ、二つ、気づけば消えていく。やはりこの店の羊料理はそこが知れない。


「これが本場中華、侮れないわ……!」



 △ △ △


「ふぅー、油断して結構食べてしまいましたわ……」


 腹を少しさすりながら、マリーはぶらぶらと歩き出す。はしごしようと思って控えめにやろうと思っていたがついついやりすぎてしまった。


「そう言えばあのスペアリブ頼むの忘れてた……いえ、それはまた今度にすればいいわ」


 楽しみはまた後に取っておく。後に回したほうが良い楽しみもあることをマリーは知っている。そう大切な人に教わったからだ。


「『いいかいマリー。明日に、来週に、来月に、楽しいことや嬉しいことがあると思えるから人は生きて行けるんだ。楽しい未来を見つけることが生きるコツなのさ』そういってましたわね、アランの叔父様……」


 冬の空を見上げる。思い出す、アラン男爵の横顔を。


「酒の飲みすぎで入院して、退院日にスナックでしこたま飲んでまた病院に逆戻りして医者にめちゃくちゃ怒られた叔父様……」


 死ぬぞアラン。


「まあそれはそれでいいとして……あら、コーヒーショップかしら、コオロギ……? 店名じゃなくてガチでコオロギの粉末を入れたお菓子を出す? へー昆虫食ね。こんなの流行るのかしら……」


 そう言えば昆虫食の自販機が上野の辺りにあるという。


「んー、ちょっとこれは試す気にはならないっていうか……あ、そうだもう1つ行きたいと思っていたところがあったんだわ」


 △ △ △


 ビーフスタンドキッチン


「いらっしゃいませお、ひとりですか?」


「おひとりですわ」


 アパホテル下にあるビーフスタンドキッチン。その店内にマリーは入る。

 案内された座席に座り、スマホを取り出した。


「QRコードからLINEで登録すると」


 スマホにメニュー表が表示される。


「ここはオーダーが自分のスマホからできる注文スタイルなのですわ。こういう店結構増えてますわね」


 ビーフスタンドキッチン。洋食系居酒屋である。手頃な価格帯で気軽に頼める肉系のメニューを売りに店舗数を増やしている。


「えーと、まずメガハイボールっと。ここはカティサークで」


 次はつまみだ。もう二件回っている。さすがにマリーも軽いものにしようと思っていた。


「ここはあっさりめのもので緩くだらだらとしたいわね。えーと、生ハムサラミ盛りと煮込みと」


 軽くすませたい。そう思いながら指が動く。


「それにガーリックトーストも添えて、あとこの名物ビフテキもいきましょう。はい送信っと」


 そう思うだけだった。


「直接店員にオーダーしないのは味気ないという人もいますけど、残業で疲れた時は店員と喋るのもおっくうになりますわ。こういうのも助かることもあるのですわ。ふぅ……それにしても、人が戻りすぎですわね上野。この分だとまた年明けにコロナが増えたと騒ぎそうな」


 まだまだ流行が終わったとは言い難い。だが恐らくこのまま徐々に静まっていくのだろう。


「人が減れば寂しくもあり、増えれば増えたで鬱陶しくもある……人間はワガママなものですわ」


 人とはそういうものである。


「はい、メガハイボールお待ちです」


「来ましたわぁ」


 雄々しくジョッキを掴み、マリーはハイボールに口をつける。グビグビと、グビグビと中身が減っていく。


「ああっ!!! うまっ!!」


 ほぉと息を吐く。酒はいつ飲んでも美味い。健康な証である。昼に飲めばなお美味い。


「しかしもう年末……今年も仕事仕事で特に生活に進展は無かったわね。就職も決まってないし」


 グビグビとまたハイボールを煽る。


「クリスマスも特に予定がないから結局仕事ですわ……もうなんか売れ残りのチキンとケーキが安く買える日という認識しかクリスマスに湧いてきませんわ……わたくし、これでいいのかしら……これ下手したら洒落ぬきで一生独り身のような」


 マリーは悩んでいた。過酷な現実にそろそろ正面から挑むべきなのでは?


「はい、ビフテキ、煮込み、ガーリックトーストと生ハムサラミお待ちです!」


「あ、はいはい」


 いそいそとナイフとフォークを取り出す。今は酒と食に集中しよう。今流行りらしい幸せスパイラルに飛び込むのだ。


「来年から本気だせばいいんですわ来年から!」


 名物ビフテキに卓上のステーキソースをかける。鉄板にソースが蒸発して香気と湯気が発生。少なめでもステーキはステーキだ。即座に切り分けて頬張る。噛み締める牛肉。

 そして間髪入れずハイボールを追っかける。


「たまりませんわこりゃっ!!」


 そして煮込み。ここの煮込みはビーフシチュー風の洋風煮込みである。煮込まれた肉と野菜をガーリックトーストに載せて一気に齧る。


「パワフルですわ!」


 煮込まれてとろける野菜と肉。そしてそれらの旨みが染み込むガーリックトースト。完璧である。

 ハイボールがスルスルと消えていく。

 やはり一杯では足りない。足りるわけが無い。チビチビとサラミを齧りながら、マリーは軽やかに二杯目をスマホで注文した。


 △ △ △


「ちょっと本気だして食べすぎましたわね……」


 雑踏の中を上野駅まで歩く。冷たい風も火照り気味な今だけは心地よかった。

 藪蕎麦に行列があった。立ち飲み屋も満席だ。やはり人はかなり増えている。

 その様子をぼんやりと眺めながら、もういつもの日常が本当に戻ってきていることをマリーは確信していた。

 そうなれば、このコロナ時期に慣れきってしまった感覚を取り戻せるだろうか?


「世の中って変わるのが本当に早くて困りますわ……大晦日の上野アメ横。ちょっと覗いてみようかしら」


 ぶらぶらと、マリーは宛もなく上野を歩く。


「……来年こそは就職決めたいですわ」

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