第44話 貴族令嬢VSシュラスコ
「シュラスコ……? 野蛮なお肉の食べ方ですこと」
「イラッシャイマセー」
浅黒い肌の外国人店員がカタコトで挨拶をする。多分ブラジル人だろうか。
時刻は午後1時。八月の灼熱から、一気に冷房吹きすさぶ店内に入る長身の人影があった。
儚げに金髪を揺らしながら、ふらつく足取りでドレスの婦人は──マリーは店内を進む。
やがてガックリとカウンターに手をついた。
「ゴ希望ノコースハ?」
「ぜェ、ぜェ、ぜェ」
笑顔のブラジリアン青年と、消耗しきった顔のマリー。あまりに対照的な光景だった。
無言のまま、息も絶え絶えに彼女はある一点を指し示した。メニュー表だ。
「ハイ、デラックスシュラスココースデスネ。アルコールノミホーダイツケマスカ?」
「ぜェ、ぜェ」
コクコクと頷くマリー。今日の炎天下の工事現場はかなりキツかった。
パクパクと、乾いた唇を動かし背後を指さす。生ビールの看板があった。
「ハイ生ビールデスネー」
コクコクと頷くマリー。
「デハ、コチラオセキドゾー」
△ △ △
「はぁ──」
ガックリと席で項垂れるマリー。もはや姿勢を維持する気力もない。目が死んでいる。午後2時に上がれたとはいえ、今日の太陽はそれほどに厳しかった。
いや、今日はそれだけではない。
「ハイ、ビールデス」
ダンと雑に置かれたジョッキ。泡は3、黄金の液体は7の完璧な注ぎ具合だった。力無く、マリーは顔を上げてそれを視界にいれる。
「……あ、あ、おぉ」
呻く。虚ろな視線を送りながら、震える手を伸ばす。取っ手を掴んだ。
手のひらに感じる冷たさ。持ち上げる。重い。一気に口に当て、飲み込む。喉を通る炭酸と冷気。体の奥を貫く。
ぐびぐびと、飲む。全てを飲み込む。残った泡を、音を立てて啜り込む。
「あ、あああああああ!!!!!!」
ジョッキをテーブルに置き、マリーは絶叫していた。歓喜の声だった。誕生の声だった。蘇生の声だった。
体の隅々が生き返っていく、そんな実感があった。
「あああ!!! ビールお代わりお願いします!!」
「ハイタダイマー」
「はぁ、この日のために禁酒と肉断ちを3日……そして仕事中の水分補給も控えがんがん汗流してカラカラに乾いた状態で挑む最初の1杯め……そら人格ぶっ壊れもんですわ」
※これは訓練された貴族だけが行える行為です。平民のみなさんは危険なのでやめて下さい。
「ていうかもうこんだけ汗流してたらなに飲んでも超美味くて当然ですわ……」
ぐびぐびとビールを傾けながら、店内を見る。やっと味わう余裕が出てきた。
「暗めの店内とムーディな装飾。これがブラジルですのね」
シュラスコ。いわずとしれたブラジルの代表料理である。とにかく肉を食いまくれると聞いてここに来た。今日のマリーは飢えたライオンである。
「ハイ、コチラアルカトラ。ランプ肉デス」
「来ましたわね……」
肉の塊が刺さった鉄串をかかげ、こちらに寄ってくる笑顔が眩しいブラジリアン青年店員。片手にはナイフを持つ。
身構える。初手、ランプ肉。マリーの表情が険しくなる。
「何枚キリマスカー」
「とりあえず2枚で」
「ハイー」
ナイフが滑る。肉塊から薄く切られる肉、2枚。滴る肉汁。
マリーはそこにコショウと塩をふり、ナイフとフォークで大きめにきりわけて、まずは1口。
「ふおぉ……!」
唸る。噛み締める肉の旨味に思わずガッツポーズ。
肉は硬めだが、噛み締めるたびに溢れる旨味が素晴らしい。ランプ肉は牛のおしり付近の部位である。柔らかく焼き物に向いている。
「追ってビール……!!」
飲み干す1杯。染み込むアルコール。体が、魂が喜んでいる。
「くぁぁ!!! がんがん食えますわ!」
即座に消えるランプ肉。まだまだ欲しい。酒と肉を追加だ。マリーは欲望を解き放つ。
「ハウスワインの赤、お願いしますわ!」
「ハイータダイマー」
次の肉、そしてワインがやってきた。今度は鉄串が二種ある。
「ハイ、コチラ、ピッカーニャ。イチボデス。ソレトコチラハガーリックステーキデスヨ」
「どっちも二枚ずつ下さいませ」
「ハイハイ」
皿に追加される肉と肉。抉り込むように突き出されたフォークで肉を捉え、口に放り込む。マリーはその端正な輪郭を弾ませて肉を噛み砕いた。
「イチボはさっぱりとしてこれも旨みが強い……そしてガーリックのパンチある香り……無限に呑めますわ!」
肉の旨みが残る口内に、赤ワインを豪快に流し込む。肉とワインのハーモニーに、細い肩を震わせた。
「たしかこのワインと料理のコンビネーションを表す言葉がございましたわね、ええっと、たしか……」
赤ワインをかかげ、マリーは高らかに叫んだ。
「ルネッサンス!」
マリアージュです。
「ハイ、コラソンネ。鶏ノ心臓ヨ。イワユルトリハツ。ソレカラコッチハ豚のスペアリブデス」
盛り付けられる鶏のハツ。そして豪快に骨付きで焼かれたスペアリブ。脂が焦げ食欲を誘う香りが上っていた。
「このハツのプリプリ感最高ですわ。焼き鳥屋でいつも食べるのに、ブラジル料理屋で食べるとまた違うものに思える……」
追ってワイン。無限に飲める。
やがて、マリーはその白い指に肋骨を握りしめた。ずしりとした肉の重み。
「そして骨付きのスペアリブ……骨付き肉を食いちぎる喜びはプライスレスですわ!」
ガブリと噛み付く。滴る肉汁がマリーの美しい唇を濡らし、頬に垂れる。うまい。本能がうまいといっている。
「そしてキリストの血、ワイン!」
追い討ちのワインが喉を通る。
「再度のキリストの肉、スペアリブ!」
ジーザスが豚になってるぞ。
「くうう!!! そらこんなんガバガバ食いまくってる連中に、稲作民族がサッカーで勝てるはずありませんわ!」
貴族令嬢のサッカー観は貧弱だった。
「ふぅ、肉を食い酒で水分補給してようやくひと心地ついた気分ですわ。何事余裕が大事……こういう時に考え事をするのがいいのよ」
ほうと一息吐いて、口元をナプキンで拭いた。ナイフとフォークを置いて、マリーはどこか遠くを眺めるように思いを巡らせる。
「そろそろ、就職活動再開しないと……なにか資格も取ろうかしら、測量士補とか」
思考を巡らせる。履歴書作成が面倒臭い。面接も正直勘弁して欲しい。
「履歴書の手書きをやたら重視したり使い回しに文句言うやつらってなんなのかしら……しかしいつまでもこのままというわけにも」
気がつけば、マイナス思考に陥っていた。いかに気丈に振舞おうとも、やはりマリーは箱入りの貴族令嬢である。世間の荒波の前では弱々しさもでる。
「いけませんわ、こんなときはアランの叔父様の言葉を……叔父様の笑顔を思い出すのよマリー。『明けない夜も、越えられない苦難もこの世にはない』叔父様はそう仰っていた……」
思い出す。マリーに優しかったアラン男爵のことを。
「酒場で酔っ払って記憶を飛ばし、気がついたらベッドの上でニューハーフの方と寝ていた叔父様……」
懐かしく思い出に微笑みながら、マリーは雄々しく立ち上がる。
「そうそう、ここはシュラスコばかりではなく、サイドメニューも充実してるのですわ。見ておきましょう」
△ △ △
「これが……」
マリーが持ってきた皿には、バターライスがあった。その上にかかる煮込まれた黒いソース。煮溶けた野菜や肉、そして
「あの燃える闘魂が好物と言っていた、フェジョアーダ……」
フェジョアーダとは豚肉や野菜、インゲン豆を煮込んだシチューのような料理である。ブラジルでもっともポピュラーな家庭料理とされているという。
かつてブラジル移民だった経歴を持つ某有名プロレスラーが好物に上げていたのをマリーは聞いていた。
「話には聞いていましたけれど、食べるのは初めてですわね……」
本来はブラジルの主食であるキャッサバの粉を振りかけて食べるらしいが、ライスにもかけるという。
「私にも、あの燃えるような魂が宿ることを祈って……!」
1口食べる。口の中に広がる肉と野菜の旨み。
「美味い……! 派手な味付けはなく塩のみのシンプルなものですが、肉と野菜の良さが生きる飽きのこない味わい……家庭料理として親しまれるわけですわ」
二口、三口。スプーンが止まらない。
「豆の煮溶けた具合から甘くないお汁粉、ともいうべき口当たりですが、不思議と嫌な感じはしない……これ日本人好きなやつですわ」
米との相性もいい。ワインとも合う。なにより今までの肉オンパレードから、どこかほっとする素朴さと癒しをマリーは感じていた。
「そう、これがブラジル人の心の故郷の味なのですわね……ブラジルといえばサンバなど裸同然で踊るとか映画のシティ・オブ・ゴッドのイメージばかりでしたけれど、こんなしみじみとした良さもありますのね」
貴族令嬢のブラジル観は貧弱だった。
「……なんだか、現実に立ち向かう勇気を貰えたような気がしますわ。某闘魂もこの料理で勇気と顎を身につけたのかしら」
顎は関係ないんじゃないかな。
マリーは顔を上げる。目の前にはブラジル人店員がいた。右手にはナイフ。左手には肉の塊。
「ハイー、豚バラ、ラム肉イカガデスカー」
「じゃあ三枚ずつください」
△ △ △
「アリガトゴザイマシター」
「うっぷ」
締めの焼きパイナップルまで堪能し、マリーは店を出た。さすがに食いすぎたか。
「久しぶりの肉と酒、効きましたわねぇ……」
そろそろ歳を考えねば、と思うもののどうにもやめられない。
「月に何度も行ける店じゃないけれど、次に来る時はなにかいい事があったときに行きたいですわね」
日はまだ高く、街は暑い。青空を見上げながら、マリーは呟く。
「そう、例えば」
爽やかな風が、吹いた。
「就職が決まったらとか」
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