第42話 貴族令嬢VSフライドチキン

「フライドチキン……油臭い下品な食べ物ねぇ」




「このバーレル一つくださいですわ。お持ち帰りで」


「はいありがとうございまーす。おまちくださーい」


 白髪の老人がトレードマークの店内で、貴族令嬢は高らかに注文を言い放った。

 夕暮れ、仕事終わりの帰宅客が訪れるケンタッキーで、マリーは現場終わりの疲れもみせず凛と立つ。


「……別れとは不意に訪れるものですわ。悲しい別れほど特に」


 堂々として佇まいでチキンを待つマリー。その顔には一抹の寂しさ。


「久しぶりにいこうかなっと思ってた洋食屋が潰れてましたわ……」


 規制も終わり油断していた。古来より春は優しい季節であると同時に、飢餓の季節とも言われていたという。

 食物を過剰に生産し保存できない古代では、秋から冬への限られた量の食料を溜め込み越冬をするしかない。

 そうして食料を食いながら冬が過ぎるまでを待つのだが、飢饉などで食料貯蔵が上手くいかなかったり、冬が例年より長いと、食料は尽きやすくなる。そうなればあとは当然飢えとの戦いになる。

 春は古の人々には「冬を飢えて超えたギリギリの状態の人々」が飢餓で死ぬ季節でもあった。しかしそれももう過去のことであったはずだ。はずだった。


「規制が終わったと思えば店を畳むところも多い……耐えきれなかったのね」


 個人店への風当たりは、まだまだ強い。


「悲しみと追憶は……肉と脂で癒すのですわ」


「はいバーレルお待ちのお客様ー、できましたー」


「はいはい今いきます」


 △ △ △


「ふぅー」


 ため息をつきながら、2階までの階段を上がる。築28年、古めのワンルームアパートだ。いいところと言えば駅がやや近いところくらいか。

 鍵を開けて、部屋に入る。電気をつければ見慣れた玄関口があった。靴箱の上に置かれた、くしゃくしゃになったレシート類。

 ハイヒールを脱いで上がる。


「ただいまぁ、っと……」


 居間、というかワンルームなのでこの部屋しかないのだが、人が倒れていた。

 窓ガラスから、暗くなった夕暮れの僅かな光が差していた。照らされて金髪は輝き、白い肌が覗く。横顔はあどけない美童だった。深い青の燕尾服と、白手袋を纏い畳の床に仰向けに倒れている。


「……」


 無言のまま、手提げ袋を下げたままマリーは彼を見ていた。

 長いとも短いともいえぬ間のあと、マリーは彼の頭の近くに歩を進め、


「起きろボケ執事」


 頭を蹴った。


「痛でっ!? は、このローの角度は……マリーお嬢様!!」


「うるさい。また一日寝ていたの、セルジュ……?」


 セルジュと言われた童顔の青年は、起きながら跪く。


「いえ、今日は河原で食べられる野草を摘んでいました! 春なので!」


「お願いだから働いて……!」


「僕にはお嬢様のお世話という重大な責務がありますので、他の些末なことをする暇など」


「賃金の出るほうの労働をしろ……!」


 彼がシャンターヌ家に代々仕える執事の一族が1人、セルジュ・ギャバンである。



 △ △ △


「今日はお早いおかえりだったのですね」


「現場が早めに終わったからですわ」


 ちゃぶ台の前に座るマリー。横にかしずくセルジュ。彼がいれたお茶を啜る。薄いので、2度目にいれた番茶だと思う。


「普段外食ばかりなのでお嬢様のお身体を心配していたんですが、……フライドチキンかってきたんですか」


「油で揚げた鶏肉は苦手かしら」


「いえ油物大好きなんで」


「そうよねぇお前は」


 マリーも大好きです。

 袋からバーレルを取り出す。蓋を開ければアパートの居間に独特のあの匂いが溢れていく。


「わぁいケン〇ッキー」


 喜ぶセルジュを尻目に、マリーはチキンを皿に取り分ける。


「たまに食べたくなりますよねぇ。こういうの」


「チキン以外のものは無いんですか? ポテトとかツイスターとか……」


「チキン屋ではチキンさえ買っていればいいんですわわ。チキン屋なんだから」


「相変わらずお嬢様は漢オーダーですね」


 プシュと、音が鳴る。マリーはビールの缶を開けていた。

 溢れる泡をしばしうっとりと眺め、やがて手を震えさせながら一気に呑む。


 グビりグビりと喉の音だけがあった。やがて名残惜しそうに口を離し、ダンとちゃぶ台に缶を置く。


「久々のエビス500ml缶……これぞ黄金の日々ッッ!!」


「お嬢様は出所して数年ぶりにビール飲むヤクザものみたいな飲み方しますね……僕はお酒好きじゃないんでご飯で食べますけど」


 横の炊飯器を開ければ、炊きたての白米がある。


「私から見るとケンタッキーで白米食べる方が難易度高いんですけれど……」


「味が濃けれぱなんでもおかずですよ。とくにこの皮のところがいいんです」


 皮のところはマリーも確かに好きだが。


「まあいいですわそれよりもまずはドラムから」


 ドラム、脚の部位を掴み豪快にかぶりつく。口の中に溢れるじゅわりとした油とスパイスの味わい。

 はぐはぐと骨際の肉を剥がし噛み締める。やはりこの味は独特だ。時折無性にかじりつきたくなる。


「追ってビール!」


 追撃のアルコール。油を洗い流すと同時に苦味と爽快感。喉奥深くにインパクト。


「ああ!! これこれ!!」


 さらに腰の肉であるサイに手をつけながらビールを飲み干していく。本能の赴くままに。


「やはりエビスとケンタッキーの相性は最高……! ゆえにカロリーも洗い流されるので実質カロリーゼロめですわ」


「いやその理屈はおかしい。お嬢様……ところでなぜ僕のところにはむね肉のパサパサしたのしか渡してくれないんでしょうか?」


「セルジュ、働かざるものはキールだけで十分なのですわ」


「ええ……」


 はぐはぐと肉をかじり白米をかきこむ執事。本当にケン〇ッキーで白米を食えるのか、と驚きながらもマリーはエビスの2本目を開ける。


「セルジュ、ジョッキがあったわよね? もってきてちょうだい」


 さっきは缶ごと飲んでしまったが、やはりビールはジョッキでなければ。


「あれは先日酔っ払ったマリー様が割ってしまったんですが」


「……じゃあ、どんぶりでいいわ。あと冷凍庫にあるジョニーウォーカーの赤も取ってきて」


「はいはい……ていうかうちは赤しかないですね」


「赤と思えば赤、黒と思えば黒に味わえるものですわ」


「お嬢様、もう酔ってますか?」


 ※赤はジョニーウォーカーの中で1番安いやつです。

 のそのそと立ち上がる執事。その皿にキールを追加しつつ、マリーはサイの肉に齧り付く。


「はいお嬢様」


「よし」


 開けた2本目をどんぶりに注ぎ、さらにそこに冷凍庫でキンキンに冷えたジョニーウォーカーの赤を注ぐ。


「たまにこういう荒っぽいのをやりたくなるんですわよねぇ」


「はぁバクダンって飲み方ですよねそれ。あんまり品が良い飲み方ではないのでは?」


「おだまりなさいセルジュ、これは『ボイラーメーカー』という由緒正しいカクテルなのですわ」


 ごぶりと、どんぶりを傾け豪快に飲む。


「ああ! ビールの爽快感とウイスキーの飲みごたえが両立しているわ!」


「いやそれ元々肉体労働者が好んで飲むやつだったような……」


「おだまりなさい」


「お嬢様の飲み方ってなんでそんな無駄に漢らしいんですか?」


「おだまり」


 ボイラーメーカー。ビールにウイスキーを混ぜて作られるカクテルである。手っ取り早く飲めて、なおかつ同じく麦でつくられている同士だからか、安ウイスキーと安ビールでもそれなりにおいしくつくれてしまう。別名バクダン。


 ごぶりごぶりと豪快に飲み、肉を齧る。原始的な喜びに震えながら、マリーは晩餐を続ける。


「それにしても、あなたそろそろなにかバイトとかしないの?」


「いやぁまだ時期早々かなと」


「いや今ですわ今。今でしょ」


「お嬢様、そろそろ初夏が来ていますよ。河原の返りにツツジが咲いており」


「話逸らすな」


 ガタン、と玄関から突然音がした。ビクリと身を震わせて二人は音のした方向を見る。


「……なに?」


「なにか、重いものがぶつかったような音でしたね……」


 顔を見合わせ、しばしの沈黙。やがてマリーが口を開く。


「セルジュ、見に行きなさいよ」


「え、いやですよ。ここはお嬢様の空手の出番では」


「主人を盾にするな」


 そうはいっても仕方ない。お互いしめし合わせ立ち上がると、渋々玄関へ歩き出す。


「まいったなぁ。お嬢様が子女工時代に持ってた木刀まだありましたっけ?」


「あれはもう処分したのですわ……開けますわよ」


 息を止め、ガチャりとドアを開けるマリー。


「うわ、誰か倒れてますよお嬢様。死体ですかこれ」


「は、あなたは……オーギュスト大公殿下!?」


 玄関の横に倒れる老人に、マリーは声を上げた。


「す、済まないねマリー君」


 背広の老人を、マリーは肩を貸して立たせる。


「うわ誰ですかこのボロキレ」


 ストレートに感想を垂れ流す執事を、マリーは睨んで止める。


「ボロキレではなくて大公殿下よ。なにが……なにがあったのですか……? 一応聞いておきますね」


「実はうま」


「あ、もういいですわ」


 大体もうわかる。


「ああ、今だと間違えるかもしれんな。娘じゃないほうの馬なんだ」


「別に『じゃないほう』つけなくてもわかりますわ大公殿下」


「最終レースでこのザマだ。どうか笑ってくれ。そのほうが救われるものだ」


「アッハッハッハッ!!」


「笑うな」


「あいたっ!?」


 指を差し爆笑する執事を、マリーは殴って止める。躾には時に暴力も必要である。


「すまんなマリー君。というわけで三日ほど水と塩とストロングゼロで過ごしたのでこの有様だよ」


 フラフラとしながら、老人は微笑む。強がりの笑みだった。


「お労しいですわ大公殿下」


「なぁに。使ってはいけない金に手を出してからが本当のギャンブルなんだよ」


「どうぞこちらに」


 部屋にまねき入れる。ふらつく大公殿下を座らせた。


「殿下、お口に合えば宜しいのですが」


 差し出されたケンタッキーを、オーギュストは厳かに口に運んだ。


「おお、久々の油物だ。染みるなぁ」


「大公殿下。ご無理もほどほどにしませんと」


「すまぬなあ。若くもないのに若い真似ばかりしてしまう。しかし、老人が老人をやってもつまらぬものなのだよ。すまぬついでにマリー君、また三千円ほどようだててくれぬか?」


「仕方ありませんわねぇ」


 △ △ △


「それではお気をつけて大公殿下」


「なにからなにまですまんねぇマリー君。それではまた」


 去っていく大公殿下の背を見送りながら、マリーはため息をつく。


「ギャンブルさえなんとかすれば良き方なのですが」


「なんとかできないからダメなんじゃないですかね」


 執事は常に正論しか言わない。


「正論は人を傷つけるだけですわセルジュ……さあ、明日も早いので寝ましょう」


「お嬢様、あの人に今までいくら貸したんですか?」


「お金を貸す時は返らないものと思って貸すものなのですわ。寝ましょう」


「お嬢様」


「寝ろ」

 

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