第41話 貴族令嬢VSおでん ラウンド2

「おでん……庶民らしい雑な食べ物ですわね」



「剣菱、冷で。あと浅漬け。それと、そこのマジックボードに書いてある菜の花とアスパラガスのおひたしを1つ」


 春も半ばとなり明るくなってきた夕暮れの中を歩き、貴族令嬢マリーはおでん屋ののれんをくぐった。


「へい、こちらのお席どうぞ。それとおしぼりです」


 入店と同時に注文し、通されたカウンターに座る。時刻は午後四時ごろ。客はまばらだ。

 どっかりと腰を下ろした丸椅子に、細かな傷のあるカウンター。そして向こう側に見える四角い銅のおでん鍋。よく煮えている。


「ふぅー」


 ゴシゴシとタオルで顔を拭いた。疲れをこそげとるように力を込める。マリーは今日の仕事に思いを馳せた。


「久々に溶接やりましたけど、まだまだ腕は落ちてませんわね」


 鉄工所の日雇い仕事だ。溶接面越しだが、火花を見つめ続けた目がまだすこしチカチカする。

 貴族子女工業高校で鍛えあげ、教官からも「これはすぐ売り物になる」と褒められたアーク溶接のスキルは中々のものと自負している。

 が、やはり長時間の同じ姿勢は辛かった。これから暑くなってくると溶接はますます辛くなる。


「はい日本酒と浅漬け、あとおひたしです」


「来ましたわね……あとおでんのしらたきと大根、がんもどきとごぼう巻き下さい。辛子多めで」


「はいただいま」


 徳利からぐい呑みに酒を注ぎ、まずはきゅっと1口。喉を冷たくもじんわりとした熱が滑り込む。


「……」


 マリーの言葉が止まった。しばし祈るように顔を下げ、数秒の後。


「……くはぁっ」


 絞り出すように喉が唸る。1日働いた体に酒が染み渡る。


「どっぷりと春ですわねぇ……すっかり暖かくなって」


 箸を伸ばす。菜の花とアスパラガスのおひたし。口に含むと薄めの出汁と、菜の花の苦味、そしてアスパラガスの甘みが広がる。


「年を取るとこういう季節のあっさりしたつまみが効いてくるんですわ……」


 浅漬けはキャベツだった。シャクシャクと柔らかい歯触りの春キャベツを堪能する。

 またも1杯をすするように呑む。ほうと悩ましげにため息をついた。

 

「菅のおじ様……五万円、ウソだったのですの…」


 貴族令嬢は信じていた。


「……だめね。ありもしないものに頼っては……働く、働くのよマリー」


 溶接の仕事は早めに終わり、こうして呑みに来てみると、街にはひと月前よりも人が戻ってきているような気がする。


「こんなに暖かいんだもの、家に篭ってはいられないですものね」


「はいおでんですー」


「あ、はいはい」


 箸を割って静かにおでんを出迎える。味の染み込んだしらたきにかじりつき、くっと酒を飲み干す。


「おでんは出汁が命ですわ……」


 つづいてがんもどき。辛子を多めにつけて食う。これも出汁が染みて旨い。追って日本酒。


「はぁぁ、酒が足りませんわ」


 徳利を降って最後の1滴まで落とす。飲み干して、2本目をどうするか考えた。


「ビールという気分でもなし、やはり次も日本酒か……でも明日は休みだし強めに酒を決めたい……」


 人生計画よりも真剣に熟考するマリー。どうするべきか。


「……思い切ってここは」


「すいませんやってますか」


 ガラス戸が開いた。聞きなれた女の声が響く。

 両者、思わず声が出る。


「あ」


「あ」


 黒髪の女子大生、山城かなえがいた。


「え、マリーさんこの店に来てたんですか!」


 づかづかと歩き、特に断りなくマリーの横に座る。


「え、ここよく来るんですか? 私帰り道だったんで初めて来たんですけど」


「え、ええとあのかなえさん?」


 なんだろう、この流れるようなムーヴは。


「あ、あの……隣、だめですか……?」


 心配そうに、上目遣いで困ったようにかなえが尋ねる。少しの間。仕方ないなとややため息が混じりながらマリーは答えた。


「ええ、いいですわ。かなえさん」


 まあいい。こういうこともあるとマリーは思った。しかしこうもナチュラルにするりと人の懐に入ってくるあたり、育ちの良さというものだろうか。


「あ、ありがとうございますマリーさん!」

 

「そんなに畏まらないで。まずはつまみと飲み物でもお決めになったら?」


「そ、そうですね、ええっとここはおでんが名物みたいですからまずおでんと……」


 迷うかなえ。まだこういうところには慣れていないのか。


「この若竹煮ってなんですか?」


 指さすホワイトボードメニュー。季節の品々。


「ワカメとタケノコの煮物ですわ。日本料理における『であいもの』というやつですわね」


「であいもの……?」


「旬の季節が同じで、相性の良い共に料理すると互いの味を引き立てる山の幸と海の幸の組み合わせを指す言葉ですわ」


「へぇ……じゃあそれで。あと飲み物は……」


 そっと、マリーの白い指がかなえの手に重なる。貴族令嬢の冷たい手が、絡みつくようにかなえの手を握る。


「ふひ!?」


「かなえさん、せっかくの淑女ふたりなのですから、ふたりでしかできないことを……してみたいとは思いませんか?」


 かなえの耳元で、マリーの熱い吐息と共にささやく。

 金髪の美貌が、潤む目でかなえを見つめていた。ふたりで、一体この後になにをしようというのか。様々な想像がかなえの脳内を一瞬で駆け巡る。


「ふひ、え、あ、あの、そ、そういうことは、けい、経験なくて」


 どぎまぎと、しどろもどろになりながらかなえは答える。頭を巡る「ふたりでしかできないこと」。彼女の顔が赤くなっていく。


「あらはじめてかしら? まあそうよね」


 うんうんと頷きながら、マリーは微笑む。


「で、でもマリーさんが教えてくれるなら、その、勇気だしてやってみようかなって、な、なんてふ、ふひひひひ」


「そう、なら良かったわ。店員さん! 黒霧島のボトルと氷もってきて! 割は水で! あと若竹煮!それとおでん適当に見繕って!」


「え」


「焼酎はグラスよりボトル飲みのほうがお得なんですわ。ボトル飲みは久しぶりですわ」


 うきうきとしているマリー。呆然とした表情のかなえ。


「あの、ふたりでしかできないことって……」


「1人だと酒のボトル開けるのがキツい時ってありますわよねぇ。ここボトルキープ制じゃないんですわ」


 そっちかよ。


「わ、私てっきり」


「? なにか気になることでも?」


「い、いえなんでもないです」


「はい焼酎ボトルと水でーす。あとおでんと若竹煮」


 運ばれる酒とつまみ。かなえは割り箸をわる。


「とりあえずはあなたはまずすこし薄めのほうがいいですわね」


 慣れた手つきで黒霧島を水でわり、氷を落とす。そっとかなえに差し出した。


「さあ、まずは1杯」


「あ、ありがとうございます」


「乾杯」


 焼酎ロックを満たしたマリーのグラスと軽くぶつけ、ぐいと飲む。


「ふー、ちょっとクセを感じますけど、まだ飲みやすい気がしますね」


「こういうのは少しづつ慣れるのがいいんですわ」


 おでんのごぼう巻きに辛子をベッタリとつけて、齧る。そこにぐびぐびとロックを流し込むマリー。やはり黒霧島は定番で飲みやすい。おでんとの相性も抜群だ。


「いきなり濃いめでは酒代がかかりますもの」


「これが若竹煮……」


 小鉢に入った煮物をしげしげと眺めるかなえ。たけのこにワカメを乗せて、食べてみる。


「あ、たけのこにワカメの匂いが移って合いますね」


「ここはワカメは生ではなく乾燥わかめを使っていますの。乾燥ワカメをわざと固めに戻し、おでんの出汁を使ったたけのこ煮の汁を吸わせるように戻して煮る……大将の熟練の腕が見えますわね」


 旬の春たけのこだ。しかも旨い。当然酒も進む。空になったグラスに、マリーがまた焼酎を注いだ。


「す、すいません」


「いいのですわ。こうして人に酒を注ぐのもふたりで呑む楽しみというもの……おでんは大根と厚揚げ、チクワと薩摩揚げ。そこに唐突にロールキャベツ。手堅い定番にいきなりの変化球とは……試されていますわね」


「大根も美味しいですね。お酒に合います!」


「こちらのロールキャベツも半分いかがかしら?」


「いただきます!」


かなえがロールキャベツに齧り付くと、キャベツに染み込んだ出汁とひき肉の旨みが口内に溢れる。堪らず焼酎を1口。


「おでんにロールキャベツっていつのまにか普通になりましたよね」


「そうねぇ、私も最初は面食らったけれど今ではすっかりありになってしまったわ。常識って日々変わっていくものなのですわね」


 マリーもロールキャベツを食べる。またも焼酎ロックで流す。合間に浅漬けで口内をリセット。


「かなえさん、大学生活はどのようなものですか? お友達はあれからできまして?」


「授業は慣れましたけど、まだあんまり友達は……同期はサークルや飲み会で忙しそうなんですけど、私はさっぱりで。その人のインスタ、いつも飲み会とか友達との写真ばかり毎日新しいのが載ってるんですよ」


「そう……でも、友人は量よりも付き合いの深さですわ。沢山の友人に囲まれていても、孤独な人は孤独。またその反対もよくあることですの」


「私にも、そんなふうに深くつきあっていける人ができるかなあ」


「できますわよ。かなえさんも、私も、人生はまだまだこれからですわ」


 豪快に笑いながら、マリーはグラスにどっぽどっぽと焼酎を注ぐ。氷もいれずに1口飲んだ。

 喉を通る熱に、ふぅと炎の息を吐く。


「かなえさん、あなたに聞いておきたいことがあるのだけれど……」


 マリーが、まっすぐにかなえを見据えた。


「? なんですか」


「もし、あなたが良ければだけれど」


 どこか物憂げに、どこか儚く。金髪を揺らし、貴族令嬢の誹謗がずいとかなえに迫る。


「ふ、ふひ、は、はいぃ……」


 やはり彼女はどこか人を狂わせる何かがあると、かなえは思った。女同士なのに、なぜこんなにも胸が高鳴るのか。


「この季節の天ぷら盛り合わせ頼みませんこと?」


 煮物ばっかだったので、マリーはそろそろ油物が欲しかった。


「あ、はい、いいっすね」


 もうなんでもいいや、とかなえは思った。


「じゃあ店員さん、季節の天ぷら盛り合わせください!」



 △ △ △


「ふぅー」


 熱くなった体を扇ぎ、かなえは家のドアを開ける。

 帰り道で酔いも覚めてきた。またマリーと一緒にどこかで飲めるだろうか。


「あ、ただいま」


「おう、おかえり」


 居間に珍しく父がいた。普段は夜遅く帰るためにこの時間は珍しい。


「なんだこの時間にお帰りか。ははん、さては彼氏か? やっと女子大生らしいことをしてるなぁ」


 笑って聞いてくる父。昔からこういう軽い人なのだ。


「そんなんじゃないよ。友達と飲みにいってただけ」


「本当に友達かぁ? まああまり遅く帰ることは止めておけよ。危ないからな」


「もう子供じゃないし、彼氏じゃなくて友達だっていってるでしょ」


 あしらいながら、部屋に戻る。父の相手をするのもダルい。今日は風呂に入って、いつもの作業をして早く寝よう。

 かなえが鍵をあけてドアを開くと、中は真っ暗だった。わずかにパソコンの明かりが見えた。


「……」


 電気を付けずに、ドアを閉めて鍵をかける。

 灯りを付けると、部屋の全貌があらわになった。


 街角を歩くマリーの写真。振り向くマリーの写真。

 ジャージのマリーの写真。工事現場でガードマンをするマリーの写真。後ろ姿のマリー写真。

 酒場でチューハイを飲んでいるところを外から撮られたマリーの写真。

 

 マリーの様々な日常の姿が、机のコルクボードへ無数に貼られていた。その数、数十枚以上。

 そのどの写真も、マリーの視線がカメラの方向を向いていない。

 全て隠し撮りされたものだった。


 かなえは天井を見上げる。そこには、大きく引き伸ばされた焼き鳥を頬張るマリーの写真があった。


「はぁ……今日も沢山撮れた……スマホカメラの撮影時に音が出ない改造しといて良かったなぁ」


 彼女の机の上には、この辺りの地図があった。地図の赤丸は居酒屋や飲食店の──つまり、マリーが出没していた店に描かれている。横には数字。つまり来店回数。


「ここ1ヶ月の行動パターンから絶対おでん屋くると思ったの、当たって良かったぁ」


 今日のマリーとかなえの出会いは偶然ではない。予めかなえが計画していたものだ。


「また明日も会えるといいなぁ、あ、そうだ」


 どこかうっとりしながら。彼女はパソコンに近づく。


「盗聴のやり方、調べとかないと」



 △ △ △


「ぶえっっくしょんっっ!!!」


 暗くなった街をマリーが歩く。迎えの車に載せられていくかなえを見送り、1人貴族令嬢は家路を急ぐ。


「ちくしょう……あー、春とはいえ油断すると冷えますわね」


 明日は休みだ。暖かくしてさっさと寝よう、とマリーは思った。


「それとも、私の噂でも誰かしてるのかしら……?」


 ウワサどころではないです。

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