第40話 貴族令嬢VS鳥貴族
「鳥貴族……? なにこれ? 名前だけじゃないの……!」
「いらっしゃいませー」
「おひとりですわ」
赤いドレス、均整の取れた体型。そして堂々とした気風。貴族令嬢が颯爽と入店した。
同時に指を一本立てる貴族令嬢マリー。肩にはリュックサック。今日は解体工の仕事だった。
「本日はアルコールをお召し上がりでしょうか?」
「はい?」
聞きなれない質問にピタリとマリーの動きが止まる。
「お召し上がりでしょうか?」
「え、ええ呑むつもりですわ……」
ガンガンに呑むつもりで入った。
「アルコールをご注文する場合は、ワクチン接種証明証と身分証をお見せしていただいてからになったんですよ」
「え」
「そうでないとお酒をお出しできないことになっておりまして」
「えぇ」
「申し訳ありません」
「そ、そんないきなりワクチン接種証明証と言われても……そんなものは……手元に……」
酒を呑むつもりで入ったら、そんなことになっているとは。このまますごすごと家に帰るのか。帰って接種証明証を持ってまた店に戻る気などもう湧いてこないぞ。
ここまでか。ここまででマリーは終わってしまうのか。
いやうろたえない。貴族はうろたえないのだ。
「あるのですわ」
財布からスっと取り出す摂取証明証とマイナンバーカード。
「はい確認しました。ではこちらのお席にどうぞ」
「小耳に挟んで前から調べといて良かったですわね……備えあれば憂いナッシングですわ」
まさに九死に一生であった。
二人座席の1つにリュックサックを置き、もう1つに腰を下ろす。
「お飲み物いかがいたしますか?」
「生ビールで。あときゃべつ」
「ありがとうございますー」
下がっていく店員。マリーはタッチパネルを取ってメニューを眺めた。
「生ビールとキャベツでーす」
「このキャベツ……お代わり無料なのでまずはこれをつまみながら熟考ですわ」
到着した酒。まずはタレのかかったキャベツを齧る。そしてビール。グビりと喉を湿らせるつもりだった、はずだが止められず半分ほど呑んでほうと一息吐く。
「あぁっっ!、染みますわぁ……」
暦も初春を過ぎたがまだ肌寒い。
「えーと、焼き鳥焼き鳥……このぼんじりとレバーのタレ、と……貴族焼きスパイスのもも」
このタッチパネル式の店もずいぶんと増えた。
「最初は色々戸惑ったりもしたけれど、いちいち店員読んだり会話するのがおっくうな人には良いのかもしれませんわね……朝七時から夜九時まで残業した時は会話するのに使うエネルギーすら捻出できなかったわ」
現在六連勤なので、今も少々お疲れである。
「それから山芋の鉄板焼き。それからピーマンの肉詰めもいいわね」
目に付いたものをひたすら打ち込む。
「おっと、それからこの釜飯も忘れてはいけませんわ」
注文完了。後は待つだけである。
「それにしてもまた仕事増えて来ましたわねぇ……どうにか乗り切れそうですわ」
パリパリとタレのかかったキャベツを噛み締めてぐびぐびとビールを飲む。まだキャベツは固く春キャベツにはなっていない。
「この分なら花見は……まだ無理でしょうか。上野の不忍公園の桜、また見たいですわねぇ。……最近友達もなかなか飲みに行こうという話にもならず、寂しいものですわ」
貴族子女工業高校時代の友人とは今でも親交はあるが、コロナ下ではやはりかかると面倒なのであまり会わなくなってきた。
「友人のキャロライン子爵令嬢は、最近会社でネットを使ったオンライン飲み会があったと言っていましたわ……なんでも幹事が参加者の家に料理と酒を料理屋に配達させてセッティングするらしいですわ」
こういう時代である。飲み会をやる側もいろいろ工夫するものだとマリーは感心した。
「『で、オンライン飲み会って楽しいんですの?』と聞いたらキャロラインが『家でまで仕事場の人間と顔合わせて楽しいわけないですわバッキャロウ』と返してきて大草原でしたけれど」
テクノロジーが必ずしも人類を幸福にするとは限らないとマリーは学んだ。
「おっとビールが切れた。追加っと」
せいぜいこのタッチパネル式くらいか。テクノロジーの進歩が嬉しいものといえば。
「はいビール、ぼんじり塩とレバータレ、貴族焼きです。あと釜飯セットしときますねえ」
テーブルに並ぶ良い焼き色の焼き鳥たち。そして一際目立つ釜。
「これこれ」
固形燃料に火がつき、小型の釜がセットされる。これが鳥貴族名物である釜飯。目の前で炊きあがるが、出来上がりに三十分ほどかかるためにまず一番に頼まないといけない。
「釜飯の炊きあがりを待ちながら焼き鳥と酒を楽しむ……優雅かつ実に貴族的ですわ」
ぼんじりをかじり、ビールを呑む。口いっぱいの脂と塩気の旨みをピールで流し快感に震える。
「そしてレバー……」
濃厚な肝の味わい。
「そして貴族焼き……ようはネギまですけれどこのピリ辛なスパイスが一味違いますわね」
スパイスの刺激。追ってビール。止まらない。快楽と至福の無限ループ。
「鳥貴族など所詮は名前だけのハリボテの貴族と思えば……なかなかやるではありませんの……! 褒美にハイボールをもう一杯注文ですわ」
お前が言うな。
「はいピーマンの肉詰め。あと山芋の鉄板焼きです」
「ピーマンとひき肉……相性抜群ですわ!」
噛み締める肉の旨みをピーマンの苦味が引き立てる。子供の頃はピーマンの肉詰めなど特に好きではなかったが、大人になるとこんなにも酒のつまみになるものだったとは。
ぐびりぐびりとビールを飲み干し、山芋の鉄板焼きをマリーは近くに引き寄せた。
山芋の鉄板焼きは、小型のスキレットにすりおろした山芋が焼かれ中心にうずらの黄身が置かれている。そして山盛りの海苔。
タイミングよく来たハイボールをくっと飲みながらスプーンで黄身を潰しで山芋焼きをつまむ。
「山芋焼き、これもなかなかよそではみないツマミですわね…」
口にいれれば日の通った山芋の熱さと黄身の濃厚さ、そして焦げた醤油の香りが一体となっていく。
熱々の口内をハイボールで冷まし、またも山芋焼きを口に運ぶ。
「このチビチビと食べては呑むのが最高ですわ……! これだけで二時間は保つ!」
そんなにやってたら食べ物冷めるだろ。
「いけませんわね、このハイペースでは釜飯前に時間を持て余すわ……しかし」
マリーが取り出すはスマホ。卓上に置いた。
「こういうときにYouTubeでも見て時間を潰しながら飲むのですわ……! 最近は居酒屋系YouTubeやお料理YouTubeも増えてきておもしろいのよ」
有名シェフもYouTubeチャンネルで料理を教えてくれるこの時代。まさにコンテンツは選び放題である。
「へんな魚おじさんの新作はでてるかしら……あ」
手が止まる。見知った顔があった。
「ベス……まだYouTube頑張ってたのね……!」
サムネはドブ川で釣りをするドレスの後ろ姿。貴族子女工業高校の後輩、YouTubeとなったエリザベス。愛称ベスだ。
「『近所の川でザリガニ釣って食べてみた』……頑張ってるのね、ベス……」
指を挟まれながらも必死にザリガニをバケツに落とすベス。食われるか、再生数を稼ぐか。生存競争がそこにはあった。
『アメリカザリガニは外来生物なのでその場で殺さないと持ち帰りできませんよー! ごめんね!』
始末したザリガニを水洗いするベス。ザリガニをボイルするベス。そして焼いたザリガニの殻をミキサーにかけてパスタソースを作り始めるベス。
頼りない、天真爛漫な後輩はもうそこにはいなかった。youtuberとしてたくましく戦う立派な貴族がいたのだ。
『うっ、部屋がドブ臭いですわ!』
えづきながら作業するベス。再生数も上がっている。
「必死に戦っているのねベス……あ、釜飯できてる」
スマホから目を逸らし、日の消えたことを確認。ザリガニなんかより釜飯を食べよう。
蓋を開けて混ぜ、飯をよそう。炊きたての米の香り。
一口すれば、美味さが口に広がる。
「ふわぁ……美味しい……なにより今目の前でできた炊きたてを食べている感動がヤバいですわ!」
炊きたての米に抗える日本人などいない。多少時間がかかろうがこれはたしかに待ってしまう。
「そしてこの付け合せの真っ黄色なタクワン……!しゅきっ!」
ガツガツと釜飯を頬張り、焼き鳥をかじる。そして全てをビールで洗い流す。
「美味いですわ!」
△ △ △
「ありがとうございましたぁー」
「ふぅ」
店を出て街を歩く。まだ人は増えていない。
「久々にトリキを満喫しましたわ」
心なしか足取りが軽い。酔いで疲労も飛んだのか。
「とはいえとうとう証明証まで酒を飲むのに必要になるとは……なんというかどんどん状態が極まっているような」
酒飲みへの当たりが日に日にきつくなっているように感じる。酒を飲むと言っても多人数で喚き散らすだけものだけではない。一人粛々と今日の疲れを晴らすために飲むものもいるのだ。
「それでも人は酒を呑む……呑むしかないのですわ。飲酒とは文化なのですから」
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