第37話 貴族令嬢VSラーメン二郎インスパイア
「これがラーメン二郎……?ラーメンというよりこれはまるで豚の……!」
「──冬が深まると訳もなく悲しくなるものですわ」
曇り空の街を、貴族が一人歩く。いつもの白いドレス、そして寒い今日はギラつくシルバーのスカジャンを羽織っていた。背中には稲妻が直撃する通天閣の刺繍があった。御姉様とマリーが敬愛するコニーが先日送ってくれたものだ。
仕事初めの人々で少し活気が戻った雑踏の中でマリーは優雅に、そして寂しさと悲しみを纏う。
冬はこんな季節なのだ。悲しみと喪失、言葉にならない感傷と古傷が静かに疼く、冷たい季節。
そんな時、人はどうするのか。
「二郎ぶちこむしかありませんわね」
二郎である。
「ラーメン二郎は鬱に効くとツイッターで言ってたような気がしますわ」
言ってません。
寂れつつある商店街を抜けて道路を1本挟む。
進む先には煤けた壁と看板に脂がこびりついた店があった。特に湯気を上げるダクトから下の壁に垂れ流しのようについた脂がひどい。
「正確には直系の二郎ではなく二郎インスパイアのお店ですけれど、なかなか味とジャンキー度の再現度高くていいんですわ……」
近場に二郎本店はないのが目下の悩みだが、こういう腕のいい二郎インスパイアがあるのはありがたい。ちなみによく言われる「二郎系」とは店主がラーメン二郎に暖簾分けされたなどいわゆる関係性のある店のことであり、この場合の「二郎インスパイア系」とは暖簾分けはされていないがラーメン二郎によく似たラーメンを出す店という風に分類される。微妙に違うものなのである。(その他分類については諸説あります)
「まあ大切なのは味……そしてチャーシューのデカさですわ。直系とかインスパイアとか細かいことはどうでも良い……!!」
マリーは実利主義なのだ。細く白い指が戸を開く。脂で持ち手がペタペタする。
「へいいらっしゃい!!」
タオルを巻いた髭面が挨拶する。それを横目にマリーは券売機に札を入れた。
「えーと、ラーメンと」
ピッとボタンを押す。やはりヌルっている。
「トッピングで
「生卵と黒烏龍茶」
忘れてはいけない。健康ための黒烏龍。
「はいお願いします」
出した件を確認する店員。さああとはコールに備えるだけだ。
「へーい。はい生玉子と黒烏龍茶」
「相変わらず床とテーブルがヌルヌルですわねぇ」
ふぅとためいきをしてペットボトルの黒烏龍茶を
ひとくち啜る。ちなみにマリーはこの店のテーブルにはけして肘をつけない。テーブルもヌルついてるからだ。
「ラーメン二郎……健康に悪いと思いつつも2ヶ月に一回くらい来てしまいますわね」
いままでいくつもの二郎を愛好する
マリーは今日も生きている。そしてマリーは走っている。
「あー、明日はひさしぶりの休みですわ」
明日は仕事がない。人に会う予定もない。そしてここは二郎インスパイア。
「ニンニクガンガンぶちかましたいですわね」
ふと向かいのカウンターに目をやる。い並ぶ男ども。やたらガタイがいいのが並ぶ。
──あー近場の大学のラグビー部かしら。
そういえば前来たときもいたような気がする。常連か。
「二郎系の極太自家製面は茹で上がりに十分近くかかる……この間をじっくり待つのも二郎系の醍醐味ですわ」
二郎の椅子に座り、ふと目を閉じれば懐かしい思い出が物悲しさに取り憑かれたマリーの心を癒してくれる。
「貴族子女工業高校時代は週一で通ってましたわね。クラスメイトの令嬢たちと
近くに二郎本店があったので、友達に誘われて以来入り浸っていたものだ。お花比べとは貴族子女工業高校での
そして、いつもそこにいた親友のことを思い出す。いつも明るく太陽のように笑っていた赤毛の少女。穏やかで誰にでも好かれていた男爵令嬢の姿を。
「ローラ……」
彼女の名を呼ぶ。健康元気でやっていてほしい。内臓系とか特に。
「……ん?」
ふと気がつく。筋肉もりもりのラガーメンに囲まれていたために気がつかなかったが、見たことのある黒髪が狭間に少し見えた。
「……んん?」
小柄だから隠れてしまったのだろうその黒髪の彼女をマリーは知っていた。
「なんであの子ここにいますの……?」
先日立ち飲み屋で知り合った女子大生、山城かなえがいた。
それもなんだか青い顔でいる。
「……まさか」
かなえがこちらを見た。反射的に思わず顔を背ける。しかし彼女の顔が少し明るくなった。「見つかってしまった」とマリーは思った。
マリーのスマホが鳴った。そういえば彼女とは酔った勢いでラインを交換していたのだ。
かなえ『マリーさんもじろう来てたんですか?』
返すべきか、迷う。マリーの予測は当たりそうだ。
マリー『かなえさんオヒサー(^_^)vんん? どうしたのかしらー?(^з^)-☆』
かなえ『助けてください!こんなすごいお店なんてわからなかったです!食べきれません!』
──やはりそうなのですわね。
彼女の青い顔からして、おそらくとなりにいるラガーメンのゼンマシマシニンニクチョモランマを見て怖じけついたのだろう。
──なぜこの子はいつも初見が入りにくいところにノーガードで突入してしまうの……?
これがお嬢様か。
どうする。マリーの中で「コールはゼンマシマシと言っておけばいいですわ」と言ってみたい意地悪な感情が浮かぶが。
──ダメですわね。私を頼った来たこの娘を裏切るわけにはいきませんわ。
マリーは高貴なる貴族令嬢である。高貴とは財産や金銭によって証明されるものではない。その魂のあり方によって証明されるものである。
マリー『かなえさん落ち着いてヽ(゜д゜ヽ)(ノ゜д゜)ノ!!もう少ししたらコールといって店員が『ニンニク入れますか?』って質問してくるから\(^^)/『全部少なめで』といえば食べやすい量にしてくれますわ(^3^)/ニンニクはお好みで~(´(ェ)`)』
コールとは二郎における特徴的なトッピングの確認である。麺がゆで上がり丼に盛り付けされるタイミングで行われる。得に券売機で有料トッピングをつけなければ、少なめと言っておけば一般的な大盛り目のラーメンとしての量に納められる。
かなえ『ありがとうございますマリーさん』
マリー『いえいえ頑張って~(⌒0⌒)/~~』
「ニンニク入れますか?」
ラインを終えると間髪入れずかなえにコールが来た。
「ぜ、全部少なめのニンニク無しで!!」
ひきつった声を出すかなえ。うなずく店員。
──これで心配はないですわね。
「ニンニク、入れますか?」
マリーの元にコールが来る。身構える。走る緊張感。ここをミスったら死ぬ。
「……!来ましたわねコール……二郎は遊びじゃないんですわ!!」
入念に考えたコール。それは「ヤサイアブラスクナメカラメニンニク」。マリーにはゼンマシを戦い抜くあのときの力は無い。きつくなってきたのだ。そろそろもうこのくらいに落として胃腸を労るのが懸命だ。
──もう私も限界になりながら胃に二郎をぶちこんでる年ではありませんわ。大人になるのよマリー。さあいきますわよ!
「ゼンマシマシ、ニンニク入りで」
「へいゼンマシニンニク!!」
一瞬の間。マリーは言葉を失う。
「私……今、何を言ったの……?」
本能が知性を凌駕し、欲望が意思を裏切った。もはや慣習と化したいつもののゼンマシマシを押さえられなかった。
「こ、こんなはずでは……」
こんなはずでは。しかしもうコールは終えてしまった。
「やるしか……ないんですの……!」
覚悟を決めろ、貴族令嬢マリー。
「へいゼンマシマシニンニクチャーシュー!!」
城があった。無敵要塞があった。
ただでさえ大降りな丼に、そこからなだらかな山のようにモヤシとキャベツが盛られていた。頂上には万根雪ならぬみじん切りニンニク。
サイドには煮込まれた脂。そしてチャーシューが2塊。2枚ではない、2塊だ。三歳児の握りこぶし程度の大きさと厚みのチャーシューを世間では枚とカウントしない。
「今日も景気のいい切り方してますわねぇ……」
それか店を選んだ理由だが、今は怨めしい。
「とにかくいくしかないわ!」
即座に放たれる天地返し。二郎ラーメンは量が多い。先に野菜と麺を混ぜておかないと延びるのは必定だ。量が多ければ天地返しの難易度も高くなるが、そこは貴族令嬢マリーである。マナーと呼ばれるものは古今東西身に付けているのだ。
「ラーメン二郎はラーメンではないと言われておりますが、それもまた真実の一側面……二郎は正しくは汁気の多い混ぜそばというぺきもの」
ガっと麺を箸で手繰り一気に啜り込む。二郎は力でねじ伏せる。
口の中一杯に炸裂するニンニクと脂。低加水麺独特の歯ごたえ。すべてが二郎だ。
「ん、ぐぐ、まだやれますわ!」
マリーは吠える。まだ戦える。ズルりズルりと啜りこみ合間にチャーシューを噛み砕く。ほとんど脂だこれ。
「半分まで食べたら、今度は卓上のこしょうをぶっかけてぇ!」
黒コショウをパラり。この脂地獄を変えてくれ。
「生卵をぶちこんで味変ですわ!!」
掻き回した生玉子をかける。カラメのスープとの相性はバツグンだ。
「こしょうの刺激と生卵のトロリとした食感……二郎の豚力を引き上げますわね!!
一気に啜り上げる。ラストスパートだ。
「……ふぅー。うっぷ、完食ですわ」
カランと、置いた箸が丼を鳴らした
「あー、ラーメン後の水ってなんでこんな美味しいのかしら」
ぐびぐびと水を飲みながら一息。そして思う。人はなぜ二郎を食うのか。ものすごい美食という訳ではない。命をかけて食う価値はないだろう。それでもなぜ二郎を食うのか。
「そこに二郎があるから、としか言えませんわね。さ、丼をカウンターに上げて……!テーブルを拭き」
美しい金髪をかきあげ、マリーは優雅に一礼した。
「ごっつぉさんですわ!」
「アリヤトヤッシター」
△ △ △
「ふぅー、2ヶ月ぶりの二郎……効きましたわね」
かなえは少なめでも悪戦苦闘してるようだが、できる助けはした。
「あとはあなた次第ですわかなえさん……体に絶対悪いと思っていてもやめられないこと、だれにでもありますわ……でも人はこういうことをたまにしないと生きてる意味がわからないものなのよ……」
合理性だけでは、安寧だけでは人は生を実感できない。ときに命を試すことが、その実感となる。
そんなことをマリーは帰り道で考える。片手にはビニール袋。
「ふぅ……あー私今絶対ニンニク臭い…」
正直めちゃくちゃ臭い。
「さっきコンビニで買った缶ビールを開けて」
吹き出す泡。口をつけながら啜る。一滴足りとも零すものか。
「家までの帰り道を歩きながらゆっくり飲む……これぞ黄金の土曜日ですわ!!」
ぐびりとビールを啜りこむ。二郎後の喉の乾きを潤しながら、思うは会いたいと願った懐かしき友のこと。
「
元気かつ健康でやっていて欲しい。内臓系とか得に。
「……あとで胃薬飲んどこ」
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