第34話 貴族令嬢VS吉野家

「吉野家……? わたくし、こんな牛丼なんて下品なものの食べ方なんて存じ上げませんわよ……?」



「はいいらっしゃいませ」


 白い──というにはすこし煤けたドレスをなびかせて、マリーはオレンジの看板をくぐり丸椅子に腰かける。

 ドレスの上には、一月の寒風に耐えるためにダウンジャケットを羽織っていた。

 マリーの歩みはこころなしか重い。


「はぁ……」


 深いため息。明かな疲労困憊。

 普段は完璧にブラッシングされているはずのマリーの金髪は荒れていた。こきりと首を鳴らしお茶をすする。


「ああ……正月からの8連勤はきつかったですわね……」


 仕事が五日間途絶え、慌ててほかになにか無いか探した。Uber Eatsや警備員はもちろんパン工場の短期バイトやフォークリフトの倉庫作業もやった。

 今日は道路工事の警備員を終え、明日は久々の休日である。

 世間の風はいつも辛い。だがそこに生き抜く喜びもある。そのために強くあらねば。

 明日は一日寝ておこう。あと洗濯もしよう。布団も干そう。

 その前に腹を満たしたい。肉で。

 だが正月の夜にやっている店といえばまず目についたのは吉野家しかなかった。


「人は置かれた場所で咲くことが大切……いいのよ。それが大切なこと。すいません、このダブル定食の牛皿と牛カルビのセットで。牛皿はねぎだくで。味噌汁は豚汁に変更。あとゴボウサラダと温玉。それとビール。ご飯後にしてください」


「はいわかりましたー」


「ふぅ……疲労と消耗を癒すには……肉、酒。つまり豪遊しかありませんわ」


 夜の吉野家で豪遊。まさに貴族だけが嗜める遊び。


「ああ……熱いお茶が美味しいですわ」


 ズズッと茶をすするとビールが来る。見回すと客はまばらだ。マリーは静かにコップに注いだ。若干、手が震えている。無理もない。ここ数日は忙しさから酒を飲んでいないのだ。


「古代メソポタミアでは労働者の間ではビールが『飲むパン』と言われ栄養ドリンクのように愛飲されていたという……肉体疲労時にビールを飲むことは数千年前からの常識!!」


 少なめに注いだビールを、くっと一息に飲み干す。苦味、そしてキレあるのど越しが駆け抜ける。ぐったりした体に、突き刺さる活力。


「くぅあああ!! きたわこれぇ……!」


 もう一度注ぐ。少なめに一息で飲み干せるように、一口ごとに注ぐほうがよりビールを最適にうまく飲めるやり方なのだ。

 そして、またも飲む。


「労働が報われるこの瞬間……!!」


 マリーの目尻にすこしだけ涙があった。人は悲しみに涙するのではない。苦しみに涙するのではない。それらを受け止めて今を生きているからこそ、涙を流すのだ。泣くことは、生きる者だけができることだから。


「はい牛皿と牛カルビ定食。豚汁、ゴボウサラダと温玉です」


 夜の吉野家に、無敵要塞が出現した。


「来ましたわね……!まずは汁物から」


 ズズリと豚汁を啜る。熱々の汁で体が生き返る。根菜と豚の旨味。それらをまとめあげる味噌の味わい。


「ゴボウサラダ……ときどき無性に食べたくなりますわ」


 箸で持ち上げ、食い付く。ジャッキリとしたゴボウの食感と土の味わい。マヨネーズドレッシングにより引き立てられる。うまい。追ってビールをグビリ。


「顎にがっしりくる食感。久しく味わってませんでしたわね……」


 温玉を崩す。そこにコチュジャンを混ぜ込んだ牛カルビをどっぷりとつけて食う。ようはすき焼きの要領である。

 とろりとした黄身とコチュジャンの辛み。そしてよくわからない部位で歯ごたえのある牛の旨味を噛み締めて、そしてビール。


「労働後の肉……そして酒……私、今生きてる……! あ、ビールもう1本ください」


「はーいただいま」


 運ばれるもう1本をまた注ぐ。くっと飲み干す。


「そして牛皿に紅しょうがを多めにのせて……温玉につけて食らう!」


 カルビとはまた違う煮られた肉の味わい。マリーは牛丼には紅しょうが山盛り派である。


「そしてねぎだく……牛丼はこの柔らかく煮られた玉ねぎが主役とも言えるわね。そしてゴボウサラダ! 追ってビール!」


 存分に肉を食い酒を飲み豚汁をすする。疲労した体が、すり減った魂が、癒されていく。


「それにしても今は夜中に吉牛を店でキメることさえ贅沢なのですわね」


 自粛により夜八時以降の飲食店は利用できない。せいぜい持ち帰りくらいだ。


「借りたビデオを徹夜で見て、TSUTAYAに返してきた夜明けの帰り道に吉牛で牛丼キメてあとは泥のように眠る……そんなささやかな楽しみも贅沢になってしまった……難儀な時代ですわ」


 マリーのささやかな楽しみはアレな方向だった。


「時代は変わるもの……TSUTAYAももうずいぶんと減ったものですわ。あきらかなクソ映画をジャケ借りして深夜テンションでゲラゲラ笑いながら観賞することも遠い過去になっていく……さよならメタルマン、トランスモーファー……」


 別にそれは無くなってもいいかもしれない。


「すぎゆく過去よりも、今は現実と戦わないと……そのためには力……力とはすなわち米! 店員さん、ご飯大盛りでください」


「はーい」


「そして残った戦力をここに結集させて」


 運ばれるどんぶり飯に、マリーは残った牛皿とカルビ、温玉をぶちこんでいく。


「名付けてダブル牛丼……!ぶちこみますわよ!」


 がつがつと丼ぶりをかっこむ。そして豚汁で流し込む。マリーの食いっぷりは力強くそして男らしい。生まれたときからどんぶり飯。そう背中が語る。

 どんぶりを空にし、そして最後のビールをくっと飲み干した。


「ふぅー……満ち足りましたわ」


 △ △ △


「ありがとうございましたー」


 店員に見送られ夜の街を歩く。まだちらほらと歩く人影は、家を目指しているのか。それとも行き場所がないのか。


「コロナで外にでれなくなった分、家の中の娯楽は充実しましたわね。アマゾンプライムなどの動画サイト見てゴロゴロしてると昔TSUTAYAに行ってはビデオを借りて返しての無限ループしてた頃にはとても戻れませんわ」


 時代は変わる。失われたものを振り返る暇もないほどに。


「家でいろいろなところから出前を頼めるUber Eatsなんてものもある……まあ私は配る側なのですけれど」


 マリーの手にはビニール袋があった。中身は持ち帰りの牛皿である。


「さて……家でアマプラみながら牛皿と檸檬堂で第二ラウンドですわ!」


 マリーの夜はこれからであった。


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