第33話 貴族令嬢VSしゃぶしゃぶ

「シャブ……おシャブをキメたいですわぁ……」





「いらっしゃいませー」


 昼過ぎのチェーン店、やはり平日の昼間だからだろう客層はまばらだった。

 ママ会らしき数人連れ、昼飯タイムらしいサラリーマン。

 その中を、悠然と歩く白い貴婦人の姿。


 白い大きなつばの婦人帽。飾るは純白のバラの造花。ふわりと踊るドレスのスカート。そして、羽織るは輝くシルバーのスカジャン。背には紅い天狗の面。

 今日のスカジャンは、マリーのお気に入りのやつだ。


「お一人で、ランチ三種肉食べ放題コースとアルコール飲み放題でお願いしますわ」


「はい検温しますねー」


 指を一本立てて、検温。流れるように店員に案内された場所へ歩く。厳かに着席。

 洗練された貴族の所作であった。


「お鍋の種類はすき焼きとしゃぶしゃぶどちらにしますかー?」


「おしゃぶで」


 今日はしゃぶをキメに来たのだ。ガッツリと。


「はいしゃぶしゃぶですねー飲み放題のドリンクはいかがしますかー?」


「生ビール大で」


「はいおまちくださーい」


 店員を見送りながら、ゆっくりと息を吐く。しゃぶしゃぶに対してマリーは精神を集中させる。意識を切り替えるのだ。しゃぶ脳になるのである。


「定期的に……シャブ、キメたくなりますわねぇ……」


 なかなか家でやる機会がない。店では具材から鍋の準備までしてオマケに食べ放題ならば、これはもう店一択になるのは当然である。


「最近してなかったのよねえしゃぶしゃぶ……」


 生活に追われ、マリーはしゃぶを嗜む機会を失っていた。これではいけない。貴族はいかなるときも優雅にたち振る舞うもの。

 マリーよ、今日はシャブれ。力の限りシャブるのだ。


「ふと思い立ったら来てしまったわ……ランチ食べ放題で飲み放題付きで三千円少々、有能な店ですわ…」


 カレーもアイスクリームも食べ放題だ。うどんもある。無限の選択肢は幸福の形。だが一本間違えばそれは容易に崩れ落ちることもマリーは知っている。


「はいお出汁火にかけますねぇ。あとスタートのお肉です」


 運ばれる大皿。そして酒。この店のスタートは豚ロースと牛肩ロースから始まる。 


「まずは一杯……!」


 昨日の夜は抜いた。その空きっ腹にビールをぶちこむ。冬は深くなった。体が凍える現場も増えた。それでも、ビールはまだうまい。

 喉を鳴らし飲む。飲み尽くす。飲み放題だ、遠慮はいらない。


「ズズズッ……ふぅー」


 底をすすってしっかり空になったジョッキ。それをかかげ、おかわりを叫ぶ。


「ビール大もう1杯!」


 同時に優美な所作で立ち上がる。


「さて、いまのうちに野菜も取っていかないと……」


 キノコ類、野菜、もやし、うどん、マロニー。種類は多い。だがマリーのチョイスは常に的確かつスピーディである


「まず鍋底に沈めるごぼうのささがき、マロニーを先に鍋にいれておく」


 ヒョイヒョイと取った具材。それらを席に戻り初めに鍋にいれておく。

 味が染み込むもの、硬いものは最初に入れておくのがセオリー。


「そして今は冬だから青物の値段が高い。葉物野菜を狙い元を取るのが貴族の作法……! 水菜、ネギ、白菜」


 少し天気が荒れるとすぐ野菜が値上がりする。


「そういえばキャベツが高くなってたですわねぇ……なにあの値段、葉の裏に大麻でも摘めてるの……? は、いけませんわね。貴族たる私ががそんなはしたない言葉を……」


 マリーは常に自省する女である。


「ハッピーなおハーヴでも入れてなさるの、このキャベツ。というべきですわ」


 自省するだけだが。


「あと豆腐。湯豆腐にしたい。席に戻れば、ちょうどよく煮立った出汁と到着したビール……ポン酢とゴマだれをセットして。なにこれ? へー香辛料を漬け込んだ花椒オイルやスパイスと合わせた岩塩もあるのね……後で試してみよ」


 そして山盛りの大根おろし。これがなければ。


「ひさびさにおシャブを決めるためには入念なセッティングが大事……これができないと高貴な身分とはいえないわ……」


 セッティングは大事だ。いろいろなものの。


「まずは豚ロースから……」


 無造作に数枚を箸で掴み、しゃぶしゃぶと沸騰した出汁にくくらせれば、ピンク色の肉はさっと色が変わる。


「肉をしゃぶるこの感覚と喜び……これを味わえるのはしゃぶしゃぶという料理だけですわね…」


 マリーの顔は、どこかうっとりと悩ましげに鍋を見つめている。


「始まりは一味を振ったゴマだれをたっぷりとドブ付けしてぇ」


 赤が彩る薄茶色のゴマだれに、肉をつける。


「食らう…! そしてビールッッ!!」


 豚肉の旨味、ゴマの味わい。そしてそれらを喉奥で流し込むビール。


「ギンギンにキマリますわこれはぁ!!」


 グビグビと飲み。またしゃぶる。今度は牛肩ロースだ。硬い肩ロースも薄切りにすれば柔らかく食べれる。


「ゴマだれやはり旨すぎですわ……脂を落としたしゃぶ肉との相性は抜群……! 酒も進む!」


 もう止まらない。シャブがガンギマリMAXである。


「生ビールおかわり!! 飲み放題だから何も気にせずやれますわ! 私は今自由!」


 解き放たれた野獣のごとく、肉を食い酒を飲む。これだ。生きているとはこうでないと。


「牛ロース!!」


 滾りを叫ぶ。もう止まらない。


「肉がくるまでを野菜でつなぐ……! 軽めに火を通した水菜や長ネギのシャキシャキをポン酢で、たまりませんわ……!」


 ヴィーガンにも気を使い野菜も多少は取っておこう。


「そこに熱々の豆腐をポン酢おろしでやっつける!  そしてビールで冷ます!」


 応えられない。


「はいお肉とお酒おかわりですー」


 さらに並ぶ酒と肉。行き着くところまでいくしかない。


「時間は90分制……限られた自由を全力で謳歌する…!牛ロースをもみじおろしにゆず胡椒のポン酢で…! そしてやはりビール!!」


 瞬く間に消える肉。流し込むビール。いつしかマリーの綺麗な額に、汗が浮かんでいた。

 暑さに思わずスカジャンを脱ぐ。


「脳内快楽物質が……ダダ漏れですわ!!そして肉をしゃぶる合間に……鍋底に待機させておいたゴボウとマロニーちゃんを頂く!」


 これが戦略。獣のように肉を流し込んでも、マリーは常に先を捉えている。


「シャブる快楽の狭間の、チルアウトですわ…!!」


 ※けして犯罪的なニュアンスはありません。


「あ、アクとりしないと……」


「……それにしても家族連れでシャブってる方、結構いますわね。緊急事態宣言で時間のできたご家庭が多いのかしら」


 いろいろ面倒な世の中になったが、家族の時間が増えたことを喜ぶ人もいるという。やはり家に愛する家族がいてくれることは生き方を変えてくれるものなのだろう。


「その中で私はひとり……五年後十年後もこのままひとりでしゃぶったりすき焼きったりしてるのかしら……」


 箸が止まる。鍋は沸騰していた。


「だ、だめよ弱気は……まだよ、まだ慌てる時間じゃない……!」


 弱火にし、焦りをビールで流し込む。


「ビール、と牛肉おかわり!!」


 弱気は酒で押し流す。それが貴族の生き方だ。


「ひ、ひとりの客なんて別に珍しくもないですわあっちにもひとりすき焼き中のサラリーマンが……あ、すき焼きも美味しそうに見えてきましたわね」


 シャブシャブと肉を泳がせながら、ポン酢で冷まし一口ですする。他人の食べているすき焼きはなぜうまそうに見えるのだろうか。


「……それにしても仕事は一応ありますが、また途切れ始めてきましたわね。不安を消すために思わずシャブに手を出しに来てしまいましたわ」


 ※べつに犯罪的なニュアンスはありません。


「どんな人も不自由の元に生きている。人を真に自由にするのは酒を飲んでいる間、食べ放題の間だけですわ。そうですわよね、吉田類様……」


 吉田類はべつにそういうこと言ってないと思う。


「牛ロース、おかわり!」


 △ △ △



「ありがとうございましたー」


「ふぅ、あれからさらに牛ロース二皿にカレーと締めにうどんやってアイスクリームまで堪能してしまいたわ……サービス良かったけどあの店本当にやっていけるのかしら」


 とぼとぼと帰り道を歩く。腹がくちれば他人を心配する余裕が出てくるものだ。


「それにしても良い気持ちだわ。満腹と適度な酔い、これだからシャブをキメるのは止められませんのよ…さあこれで明日も頑張る活力が……」


 ※べつに犯罪的なニュアンスはありません


「あら?」


 鳴る電話。あわてて出る。


ピッ


「はい、はい、明日の現場っすか? たしか綾瀬に9時からで…え、無くなった? まったく? あーそうですか。明日も明後日もない? ゆっくり休んで? はいはいそれじゃ」


 携帯を切り、ゆっくりと令嬢は冬の空を見つめた。遠くで、鳥が、飛んでいた。


「……じゃ、帰って家で呑みますか」

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