第30話 貴族令嬢VS日高屋 ラウンド72

「また日高屋……?何度も貴族をバカにして……いい加減にしてくださるかしら……?」





「すっかり涼しくなって秋ねぇ」


 とぼとぼとジャージ姿が夜をさ迷う。長身に整ったプロポーション、闇のなかに輝くような金髪をひとつかみにまとめたマリーは肌寒くなった秋の空気を吸い込んだ。

 ペタペタと、履き古したサンダルの音が道に響く。重なる鈴虫の鳴き声。



「秋なら秋らしいものが食べたくなるものだわ」


 時刻は深夜1時ごろ。日中部屋の掃除や洗濯を済ませて気がつけばうとうとと寝てしまった。目が覚めればこの時間である。


 無性になんだか空腹だった。

 気がつけば、外に出ている。


「秋らしい深夜に、秋を強く感じられる場所といえば」


 駅前の店舗にマリーの足が向く。深夜でも明るい店内。写真を多用したデザインよりわかりやすさ全開の店先。

 それは彷徨うものが最後にいきつく場所だ。どんなものも優しく迎え入れてくれる場所だ。


「……イラッシャマセー」


 アジア系の店員が、死んだ目で挨拶する。


「深夜営業の日高屋しかないわねぇ……あまり知られてはいませんが、日高屋は秋の終わりごろを意味する晩秋の季語なのですわ」


 ※嘘です。


「さりげない動作でレシート入れに捨てられていた大盛無料券を拾い……もといお救いし」


 ゆっくりと、席につく。


「あんかけラーメン、大盛で。券ありますわ。それとメンマ」


「……アイヨー」


 店員が返事をしキッチンに戻る。見慣れたいつもの光景。


「明日は休み、一日中寝てられるのでつい夜中に来てしまいましたわ」


 夜中にやるこの好き勝手。社会人となっても夜更かしは楽しいものだ。


「晩酌はすでに昼間に済ましておりますので、今は呑みません」


 貴族令嬢とていつも飲んでいるわけではない。状況と節度を守れることが一人前の貴族の証明である。


「人生の豊さに必要なものとはなにか…… 金、人、地位、無数にあるなかで、あえて一つ。ひとつだけをあげるとするなら」


 人生に必要なものは多い。だがあえて、数々の選びがたいものから選ぶとするなら。それは。


「自宅から徒歩15分以内に24時間営業のラーメン屋があるか、という点ですわね」


 食いにいきたいときに食いにいける。それは大事なことだった。


「深夜に食べるラーメン。そこに罪などあるわけがございませんわ……」


 本能に、生きるという意思にしたがって食っているのだ。誰がそれを裁けるのか。貴族に罪なし。


「しかし時刻はさすが深夜1時ですわ」


「■■■■■■■ッッッ!!!」


 言葉にならない大声。大声をからし笑いながら絶叫しあう泥酔したサラリーマンふたりがいる。


「■■■ッッッ!! ■■■ッッッ!!!」

 

 すでにどこの国の言語かさえわからない言葉らしきもので会話なのかよくわからないことをいいながら酒を空ける。三次会か、それとも終電を逃したのか。


「10101111111000000010001110!!」


 泥酔した大学生らしき二人組。こちらも言語形態が人間の枠から外れてきている。


「1010111111111100000111!!」


 なにかしきりに泣いている男を、相手の男が肩を叩いて慰めているらしいのだが、なにを言っているのか理解できない。


「二次会三次会上がりか、それとも朝まで呑むつもりなのか。もはや生ゴミかヘドロになりかけた皆様がお集まりになってとてもぶっ壊れてますわね……これこれ、深夜の日高屋といったらこれですわ」


 都会の中に突如現れた無法のジャングル。深夜1時を回り終電を諦めた人間が来るということは、こういうことなのだ。貴族令嬢はこのもはや野生の王国と化した日高屋の空気が、どこか好きだった。


「酔っ払いをおかずにほどほどの味のラーメンを食う。深夜のラーメンなんてそんなものでいいですのよ」


 それでいいのか。


「ハイ、オマチヨー」


「あら、ありがとうございますわ」


 置かれたどんぶりを眺め、箸を取る。


「この五目あんかけラーメン、普通のラーメンにようは中華丼のあんかけをかけただけの代物ですけれど」


「コショウと酢をもりもりかけて……」


 酢は小瓶の半分いれるのがノルマだ。


「すすり込む!!」


 熱いあんかけと麺を一気に喉にぶちこんだ。


「秋味ッッッ!!」


 貴族令嬢の背後が光った、ような気がした。


「あんかけのラーメン、寒いときに食べたくなって当然のメニュー。そして想像通りの味ッ! てらいはなく外れもない。それが日高屋ですわ!!」


 そうこれが日高屋だ。最初の期待値を高くもなく低くもなく越えていく。このわかりやすさ、安牌感が日高屋なのだ。


「しかし当然あんかけは熱い……水、水を……」


 熱いラーメンは当然水分が欲しくなる。口中を冷ましたい。そんな衝動に駆られる。


 「水……み……ウォッカのソーダ割りおひとつ!」


「アイヨー」


 △ △ △



 ゴキュゴキュとウォッカ割りを飲み干す。乾きが癒される。


「ふー」


 だん、とテーブルに半ばまで減ったグラスを置いた。


「思わず頼んでしまいましたわ……呑む気はなかった、呑む気はなかったはずなのですが……ロシア語でウォッカは水の意味もありますので、まあこれは仕方ないケアレスミスというやつですわね」


 良質な教育を受け豊富な教養を身に付きた貴族と言えどミスは起こる。大切なことはミスをいかにリカバリーできるかだ。


「呑んでしまったものは仕方ない。人生は風のふくまま、あるがままにですわ」


 アクシデントを楽しむ。それが人生を楽しむこつだ。


「さて、一杯呑めば二杯呑んでも同じこと……店員さん、餃子、あとハイボール」


「アイヨー」


 マリーは思う。果たして呑む気で呑む酒と、呑むまいと思い結局呑んでしまう酒の味に違いがあるというのか。

 マリーは思う。後者の酒のほうがなんだか旨く感じるものだと。


「深夜のラーメンが一呑みに切り替わる…これも秋の風情ですわ。あーハイボール旨い……」


 ぐびぐびと呑む。酒は旨い。だからそうなってしまうものは仕方ない。別にこれは貴族令嬢の意思が弱いわけではないのだ。多分。


「日高屋の餃子は……いつもほどほどの味ですわね」


 モグモグと餃子を飲み込む。


「君は……伯爵家の……マリー君か?」


 名前を呼ばれ振り向く。その先には日高屋店員のユニフォームがあった。そして、見慣れた老人の顔。


「た、大公殿下っ!? なぜ日高屋の店員の格好を!?」


 なぜこのようなところに貴種の貴種たるオーギュスト大公殿下がいるというのか。マリーにはわからなかった。


「いわゆる貴族の嗜み……バイトというやつだよ。深夜は時給がよくてねぇ」


 どこか恥ずかしそうに、はにかみながら大公は頬を掻いた。


「殿下、奥様は今はなんと……?」


 あれから、関係の修復はできたのか。


「あれはまだ許してくれないようだ。まあ仕方あるまい」


「頑張っておられるのですね」


「ああ、老いぼれでもやれることはある。それにそろそろ我狼の新台も出るしな」


「軍資金集めですか……」


「バイトー! △○×※※※△!」


 キッチンでアジア系の店員が叫ぶ。大公が振り返った。


「×※※※※※※!」


 笑顔でサムズアップを返す店員。笑うオーギュスト大公殿下。パーフェクトコミュニケーション。


「……今のは?」


 聞きなれぬ言語を流暢に返す大公殿下。こんな言葉を話せたのか。


「南ベトナム語だよ。バイトの子から教わったんだ」


「殿下は頑張ってらっしゃるのですねぇ……」


 △ △ △


「ありがとうございました」


「それではさようなら大公殿下」


 頭を下げる大公殿下に手を振り、深夜の街を貴族令嬢は歩く。

 自由に呑めて、自由に食べて、自由にさ迷える。これがこの国のいいところだ。


「思わぬ時間に思わぬ人と出会ってしまいましたわねぇ……」


「しっとりとした深夜と、少しの驚き。それが秋というものなのでしょうか……」


 コロナの緊急時事態宣言が解除されとりあえずは普段の様子となった街。まだおっかなびっくりとだが、それでも元にもどっていく。

 

「またコロナが流行ったらお上からの要請で店が閉まるのかしら……もしかしたら店で酒を呑むななんて禁酒法まがいの話しになるのかも……なんてそんなわけないですわよね。食べ物と酒に寛容なのがこの国の美徳なのに。ハハッ」


 そんな状況など想像するだけでまっぴらごめんだ。


「それにしても知り合いが働いてるとなんだか行きにくいんですわよねぇ……」


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