第31話 貴族令嬢VS焼酎

「焼酎……? はぁ、こういう品のない安物を飲んでいるからあなた方はそういう風になっていくのですわね」




「うぅ、さぶかったぁ」


 かじかむ白い手で戸を開ける。冷たい11月の空気を引き連れて、高貴なる姿が安居酒屋に飛び込んだ。

 縄のれんをくぐり、ボリュームのあるドレスがカウンターの椅子にどっかりと腰をおろした。


「へいらっしゃい」


 すかさずよってくる店員に、鼻をすすりながらも上品にマリーは注文を告げる。


「黒霧島、お湯割り。あと梅干し一つ」


「へい」


 マリーは上に和柄のスカジャンを羽織、その下にドレスを着ていた。背中には刺繍の金で作られた竜と虎。奥ゆかしい高貴な柄である。上野アメ横で買ったお気に入りだ。


「寒すぎですわよ……人間が外に出ていい気温ではありませんわ」


 だが現場仕事がある以上はでなければいけない。貴族に泣き言は許されないのだ。


「はいお湯割りと梅干し」


 どんと置かれた湯気の立つ陶器のタンブラー。横には小皿に置かれた梅干し。

 マリーは梅干しをお湯割りにぶちこんだ。


「お湯割りに梅干しを箸で崩していれて……」


 グジグジと箸で焼酎の中の梅干しを崩す。


「すする……」


 口をつけてズズッと一口だけすすり混む。熱により際立つ霧島の香り。梅干しの塩気と酸味。そして冷えた体を暖める熱量そのもの。


「……染み渡りますわねぇ」


 ほう、と息を吐くマリーの姿はどこか色っぽくさえ見える。ような気がする。多分。


「最近警備員のバイトも増やしてみましたけれど、ちょうど気温も下がってくるとは……令和は相変わらずデスモードですわねぇ」


 11月はまだそれほど寒くはならないと思っていたがこんなに冷え込むとは。


「若い頃は焼酎のお湯割りなんてジジイの寝酒と思っていましたけれど、冬の外仕事の後に呑むならそりゃハマりますわ」


 ズズズとすする。鼻水がまた出そうになった。


「梅干しいれるとつまみもそれほどいらないのもいいですわズズズ」


 この店の梅干しは今流行りの減塩やはちみつを使った食べやすい梅干しではない。塩気の強い昔の梅干しのだ。それがまた酒飲みの肴になる。

 梅干し、塩、そんなそっけのないもので酒を呑む。体には悪いだろうが、そういうことをするとやっといっぱしの酒飲みになったようが気がする。


「といってもこれで乗り切るほどわたくしもまだ老いてはいないのも事実……」


 労働後のマリーの腹は、減っていた。


「黒霧島のお湯割りと梅干しをもういっぱい。それとおでんを3品ほど見繕ってちょうだい。あとめざし」


「へい」


 小さく返事をする店長。マリーはやや冷めたお湯割りを今度はぐびぐびと飲み始める。


「焼酎はやはり芋ですわぇ」


 マリーは芋焼酎の荒々しい味わいを愛していた。臭いという人もいる。苦手という人もいるだろう。だがこれが個性だ。

 美点や優れた点を愛でることは誰にでも出来る。嫌われるかもしれない欠点や眉をひそめられる癖を受け入れることが真にそれを愛するということ。

 人の愚かさを慈愛を持って愛するように、マリーは焼酎の荒さを愛していた。

 深く、深く胸の奥に受け入れるように杯を空かす。


「へい、薩摩揚げ、はんぺん、しらたきです。それとめざし、あとお湯割りと梅干し」


 注文が来る。湯気を立てるおでん。梅干しを再びお湯割りの中で崩し、ウキウキとマリーはおでんに箸を向けた。


「チョイスはまずまずね。まずはからしべったりつけてはんぺんから」


 口に入れば出汁の味とともにふわふわと崩れる。そしてからしの辛さが広がる。


「このふわふわ食感からお湯割りで追いかけて」


 ズズッと、また熱々のお湯割りをすすりこむ。


「まさに淡雪……!」


「肌寒い春もいいですけれど、やはりおでんは冬場が花ですわねぇ。薩摩揚げも染み染みですわ」


 染みてくったりとした練り物、出汁を吸ったしらたきもいい。お湯割りが進む。


「こうしてお湯割りをいれてほっこり温まってみると」


 タンブラーを大きく傾ける。タンブラー奥にあった梅干しの果肉を噛みながら、焼酎の香りを堪能する。


「こんどは冷たいものでクールダウンしたくなるのが人の業……コンビニでアイスクリームが一番売れるのは冬といいますものね。店員さん、黒霧島、今度はロックで。それとカットレモンつけて下さる? それからもつ煮も」


 頷く店員。即座にマリーの注文に応える。


「へい、まず焼酎ロックとレモン!」


 運ばれたグラスに大きめの氷。それと焼酎。


「これにレモンを絞って……」


 ギュウと、汁がこぼれる。


「絞って…」


 ギュウと、汁がこぼれる。


「渾身の力をこめて…」


 ギュウと、絞ってももうなにも出ない。


「死に腐れ年金保険料…!!」


 もう絞ってもなにもでないぞ貴族令嬢。


「ふぅ……」


 汗をぬぐい、こくりと一口呑む。


「このロックの芋の荒さに、レモンの清涼感が素敵なのですわ……」


 怒りと共に貴族令嬢は焼酎を飲み込んだ。マリーは大人なのだ。理不尽も怒りも耐えられるはずだ。


「味噌味のもつ煮、定番を食べながら荒れ狂う芋焼酎ロックで押し流す。乗ってきましたわよ……!」


 グビリ、ムシャムシャと消える酒と肴。こういうことは火がつくと抑えが効かないものだ。


「年末が近づいてくる雰囲気、このせわしなさも前年までは好きなものだったのですが、今年は違いますわねぇ」


 マリーに陰りがあった。高貴なる美女に、憂いの表情。それはまるで朧月のように儚げで幻想的に。


「とくに年末に多くなる工事現場の警備員をしているとドライバーの気性の荒さが社会経済と密接に結びついているといやがおうでも察してしまいますわ」


 グビリと呑む。不景気とドライバーマナーの関係性について思いを巡らせる。これは統計して発表したらなにか賞もらえそうな気がしてきた。


「ドライバーの横暴さに思わず伝統派空手を使ってしまいそうになる瞬間もある……しかし我慢、我慢こそが人生なのですわ」


 怒りは振るってはならない。怒りは腹に納めてはいけない。怒りは足元にこめて己を支える礎にするのだ。それもまたノブレス・オブリージュ。


「ダメですわね。暗い酒はいけませんわ……そう、なにか〆、心が軽くなるような〆は……焼酎尽くしの流れ、このまま酒飲みらしい渋いものを一つ腹に入れて締めたいですわねぇ」


 おにぎり、茶漬け、にゅうめん。そういったものが浮かぶ。


「さっぱりとしたのを入れてさっと出て行くのが粋な酒飲みというもの……しかしここは聞いてみるのも手ですわね」


「店員さん、なにか〆でオススメありますの?」


 声をかけた店員は、最近店に入ったらしい金髪のバンドマンの青年だ。


「そうっすねー! うちは焼き肉乗せキムチチャーハンがよくでてますよ! うえに目玉焼き乗ってるやつ」


「……」


 しばし、声が出なかった。マリーの中で「なにかが違うでしょう?」という葛藤があった。

 この流れなら、もう少し別の選択肢があったはずだと思う。どうするか。

 十秒の沈黙の据え、マリーは決断した。


「じゃ、それで」




 △ △ △



「うっめ! キムチチャーハンに焼き肉のマリアージュうっめ!!」


「半熟たまご潰して豚カルビ肉と合えるとうまさ爆発ですわ!」


△ △ △


「ありがとうございましたー」


店員に見送られ、マリーは夜の街を歩く。焼き肉のせキムチチャーハンというガソリンで暖まった体に冷たい夜風でさえ心地いい。


「ふぅ、なんだかんだでがっつり決めてしまいましたわ。仕方ないのよ、冬はカロリーが必要ですもの。南極越冬隊は体温維持にカロリーを消耗するからがっつり食べても痩せるのは有名な話ですし」


 結局は、肉と脂が力となるのだ。


「こうして忙しく働く身になってみると、学生時代が懐かしいですわ。お姉様との思い出……東京モード学院へカチコ、交流にいったのはこんな寒い日でしたわね……」


 そして懐かしさもまた明日への力となる。


「モード学院四天王、今なにしてるのかしら」


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