第25話 貴族令嬢VS銀だこハイボール酒場

「銀だこハイボール酒場……? 庶民らしい下等なところですわ」





「おメガハイボールをお一つ、お願いしますわ」


 マリーは丁寧に「お」をつけて頼む。貴族は丁寧さをわすれてはいけない。


「それとたこ焼きのネギたこ、あと壷きゅうりにたこの唐揚げ」


 向こう側の店先では持ち帰り客がたこ焼きを買っている。昼下がりも過ぎた平和な光景だ。

 その中で、今からマリーは酒を呑む。

 ドレスを翻し、ハイヒールを鳴らして入店し、そして客の往来に邪魔されない店の奥側という拠点を確保して、


 呑むのだ。

 

「はいメガハイボール!」


「最初の注文のレスポンスが早い店は助かりますわねぇ……」


 ゴキュゴキュと喉を鳴らす。八月も半ばである。なかなかに過酷な季節は、冷えた酒で乗り切るのだ。それが高貴なる血の運命である。


「午後三時の悦楽……!」


 日が高いうちからの酒は旨い。なぜ旨いのか、背徳感やあるいは呑みたいその瞬間に呑むから、答えはない。無くて良い。今目の前にあるアルコールだけが真実だから。アルコール度数の高さだけが価値だから。


「ふぅー、労働後のハイボールは染みますわね……」


 疲れた体には油ものとアルコールが染みる。マリーの高潔な魂は、癒やしを求めていた。癒される場を求めここ銀だこに来た。


「築地銀だこハイボール酒場。たこ焼きチェーン大手銀だこがプロデュースするハイボールをメインとした酒場ですわ……」


 銀だこのカリッと揚げ焼きしたたこ焼きをつまみに、店先で一杯呑む。貴族でさえも戦慄する隙のない戦略である。マリーはこの見えざる計略の指にからめ取られてしまった。

 ここまで来たらもう呑んで食うしかない。


「たこ焼きで酒を一杯やる。酒飲みならば誰もが思いつくことを大手たこ焼き店が形にしたこの店……よろしくってよ」


 ならばこの運命、甘受するのみ。


「はいねぎだことタコ唐、あとキュウリです」


 運ばれるつまみ。こんがりと揚げられたタコ唐揚げに、ツボに入った切られたキュウリ。そして一面の刻みネギで彩られたたこ焼き。

 立ち上がるネギの芳香にゴクリとマリーは唾を飲み込んだ。


「ここのたこ焼きは4つ入りのつまみにちょうどいい個数で頼めますわ。まず最初はねぎだこからとわたくしは決めてますの」


 クシ二本でたこ焼きを持ち上げる。乗ったネギが落ちないように慎重に口に運ぶ。落とすなんて不作法は貴族には許されないのだ。


「大量の刻みネギが乗せられたたこ焼きを……出汁につけて食す!」


 口いっぱいに広がるネギの香り。カリカリの表面に、とろりとした中身、そしてタコの弾力と旨味。

 渾然一体となり弾ける。


「熱い……外カリ中トロの銀だこが、ネギの香味で爽やかに、だが熱い!」


 たまらずジョッキを持ち上げる。メガハイボール程度の重さなど、普段は解体現場のガラ運びや道路工事で鍛えたマリーの腕力の前には無力である。軽い。この程度では貴族令嬢は苛めない。

 マリーは人の命以上に重いものなど背負ったことはない箱入りの人道系貴族令嬢なのだ。


「そこにハイボールで鎮火……!」


 グビグビと喉が鳴る度に、巨大ジョッキが軽くなる。

 うまい。たこ焼きとハイボール。ベストパートナーだ。まさにロミオとジュリエット。サイモン&ガーファンクル。うしおととら。あるいは清原と桑田。


「この熱さが……癖になりますわ!!」


 たこ焼きは焼きたて。熱さこそが命。マリーは持ち帰りのふにゃふにゃしたたこ焼きをみる度に悲しみにさいなまれる優しい心の持ち主である。やはりたこ焼きは店先で食うものだ。


「このタコ唐かみしめるほどに旨味が……良いですわね。合間につぼきゅうりをつまみ口内をリセット……! さらにねぎだこに挑む……!」


 ポリポリとキュウリを、ムグムグとタコ唐揚げを、そしてアツアツのネギタコ。もう止まらない。


「熱さと快楽の永久機関ですわ!!」


 恐るべし。恐るべし銀だこハイボール酒場。


「現場仕事後に高タンパク質でタウリンを豊富に含むタコを摂取で疲労回復。これは利に叶った呑み方ですのよ!!」


 合理性と快楽。貴族足るもの二兎を追って二兎を得るものだ。

 しかし、ひたとマリーがジョッキをつかむ手が止まった。


「……また日雇いの仕事が減ってきましたわねぇ」


 現実が、マリーのか弱い心を締め付ける。どれだけ気丈に振る舞おうと、肉体労働のおかげで握力が50キロほどあろうとマリーは所詮箱入りの貴族令嬢である。か弱い乙女なのだ。


「Uber EATSのバイトもあまり儲からなくなってきましたわ……」


「コロナのダメージがここにきてかなり来てるような……」


「特別定額給付金…第二弾あるのかしら…あるなら早めで……」


 マリーの弱さがむき出しになる。誇り高い貴族といえど、明日が見えぬことは心を折る。


「ダメですわ貴族たる私がこんな他力本願を……人生は自らでつかみとるのよ!! 貴族に重要なことは気合いですわ!」


「明太子チーズたこ焼き! それと普通のたこ焼きもお願いしますわ!」


 不安をふりきる。ふりきるためにはつまみがいる。


「あと、メガハイボールもういっぱい!!!」


 あと酒もいる。



 △ △ △


「はいたこ焼き二種にメガハイボールお代わりですねー」


「明太子チーズたこ焼き……お好み焼きでよくある組み合わせがたこ焼きに合わないはずがないですわ……」


 チーズのコクと明太の旨味がたこ焼きと融合する。


「ハイボールループ再発動!!」


 アツアツをハイボールでやっつける。もはやマリーは無限ループから抜け出せない。


「そして普通のたこ焼き……やはりこれを食わないと落ち着かないですわねえ…ソース味は偉大ですわ……」


 ポン酢で食う方法もあるが、やはり結局はたこ焼きはソースに落ち着く。人はソースから離れては長く生きられないのよとかそんなことをラピュタとかでも言っていたような気がする。


「ふぅ……少し落ち着いてみれば焦燥も薄れてきましたわね。コロナといえど明日は明日の風が吹くことは同じ。今までのなんの変わりがあるものでしょうか」


 人はいずれ死ぬ。それがいつかは誰にもわからない。どれだけの不安があろうとも、今を生き明日を迎える以外に生き方などないのだ。

 だからこそ、今は。


「店員さん、ソース焼きそばおひとつ」


 焼きそばが無性に食いたかった。



 △ △ △


「はい焼きそばー」


「やはりソース味は偉大ですわねぇ! 大事なことだから二度いいましたわ!!」


 ズルズルとそばをすすり込む。ソース味、キャベツの歯ごたえ。青海苔の香り。止まらない。


「そして追ってハイボールッッ!!」


 豪快に飲み干す大ジョッキ。カラリと氷が音を立てた。


「粉もの万歳ですわ……」


 △ △ △


「ありがとうございましたー」


「ふぅ……最後の焼きそばが、思いのほか効きましたわねぇ…」


 満腹になった腹をすすり、店の外を歩く。夕方、いまだ昼の熱気は消えていない。

 マリーの白い柔肌に、じんわりと汗が浮かぶ。


「結局は、明日が見えないことはコロナ前でも後でも変わらない…今を懸命に生きるしか人ができることはないのですわ……新しいバイト、探しましょうか」


 貴族令嬢は、明日もまた戦うのだ。

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